2発目。
デストロイヤーを英語辞書で引くと、
「破壊者」とか「駆逐艦」と出るが、
我々世代の人間に対し、
「問題 :デストロイヤーについて50文字以内で、
できるだけ詳しく述べよ」と出題すれば、
なんの躊躇もなく
「白い目出しマスクを被ったアメリカ人プロレスラー」と、
スラスラ饒舌に回答するハズ。
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そのデストロイヤー(プロレスラー)が亡くなった。
享年88歳。
かの力道山と闘っていた超全盛期のデストロイヤーは、
さすがに知らないものの、
全盛期のジャイアント馬場との対戦時は、
幼少期だったが鮮明に記憶している。
「足4の字固め」
当時、くそガキの兄弟ゲンカで必ず飛び出す必殺技だった。
あとコブラツイストとスリーパーホールドもか・・・
この「足4の字固め」の伝道師こそ、
デストロイヤーだった。
また和田アキ子や徳光和夫が出ていた、
日本テレビ系バラエティー番組「うわさのチャンネル」に、
レギュラー出演していた当時としては「超異色」の、
スタープロレスラーでもあった。
しかし私メとしては、
選手晩年期の「お笑い系プロレス」時代の、
デストロイヤーの方が好きだった・・・
昭和から平成に移り変わろうとしていた、
1980年代後半から90年代初頭。
世はバブル期。
ちょうどその頃、
メガネスーパーがプロレス団体を立ち上げたため、
全日本プロレス所属の天龍源一郎や谷津嘉章といった、
中堅どころがSWS(メガメスーパー)へドッと移籍離脱したりで、
ジャイアント馬場の全日本プロレスは、
存亡の危機に見舞われた。
この危機を当時、若手だった三沢光晴と川田利明、
ジャンボ鶴田、田上明で四天王バトルを展開し、
これが大当たり!!
ジャンボ鶴田が病気で離脱(のちに死去)すると、
三沢VS川田のシングルタイトルマッチは超ドル箱バトルとなった。
その一方、手薄になった前座試合を、
ジャイアント馬場やラッシャー木村、渕正信、
永源遥、大熊元司といった、
超ベテラン(というかロートル組)に泉田純(当時は無名の若手)らで、
「お笑いプロレス」路線を作り上げ、
前座リングを盛り上げた。
例のラッシャー木村のマイクパフォーマンスのヤツだ。
全日本の聖地、後楽園ホールでの観戦時には、
「1興行で2度オイシイ全日本プロレスだな」と、
揶揄半分リスペクト半分で見知らぬファン同士、
リングサイドで語り合っていた頃が懐かしい。
当方の妹は三沢信者、当方は川田信者だった・・・
そんな全日本プロレスの興行に、
年に1度だったかデストロイヤーが、
その「お笑いプロレス」に参戦する「お約束」があって、
これが、ちょっとした人気カードだった。
もう、この頃になると「プロレスは八百長だ」などと、
ヤボなことを言う大馬鹿野郎は来場しなくなっていて、
本当に心の底からプロレスを愛している、
熱狂的信者によって興行が成立していた。
それが我々世代ヲタ野郎どもである。
かくいう、その中の一人が私メと私メの妹(笑)
よってジャイアント馬場とデストロイヤーが、
リングに上がると、
それはもうフィールドオブドリームスの世界。
リングが神々しく見えたものだった。
スローな試合展開も、
自分からジャイアント馬場の16文キックを
食らいに行く泉田の「お約束」も、
一瞬たりとも目が離せない「歴史的シーン」の連続となる。
そしてデストロイヤーの本当に基本に忠実で、
受け身一つとっても「これがプロの技だ」ってな、
華麗にしてテンポよろしく美しく、
それに大きな「音」で魅せる、
由緒正しき伝統的プロレスリングの真骨頂に、
現場で観戦していた客は皆、
酔いしれたものだった。
スリーパーホールドひとつとて、
時間調整のスリーパーあり、
大技続き後の疲労回復のスリーパーあり、
次の大技への布石となる、
引きつけのスリーパーありと、
次に出す技を予想しやすく、
そして客の期待を絶対裏切らない、
プロ中のプロの技というものを我々に、
丁寧に教えるかのように、
魅せてくれることで、
いかに「現役」のトップレスラーたちが、
凄いコトをしているかも、
我々に教えてくれた人。
それが晩年のデストロイヤーという、
レスラーの仕事だった。
この頃すでに御年60歳ほどだったか…
こうしてプロレスの奥深さを、
思い知った。
テレビの画面では、わからない。
地べたの目線である。
痛いものは痛い等…
かくして試合が進むにつれ、
リングアナの
「6分経過!6分経過!」のコール。
試合終了3分前の合図。
ここからがリングと客席との、
阿吽の呼吸の時間。
例のスリーパーホールドや、
関節締めのグラウンド技で、
ひと呼吸できると、
常連客と思しき、
ソレを許されているであろうファンから、
絶妙のタイミングで、
「デスト~時間ですよ~」と、
まるで歌舞伎の大向かいのような、
掛け声!
ほどなくジャイアント馬場社長も、
場外乱闘の準備に入り、
体勢整うとリングが荒れはじめ、
やがてデストロイヤーと泉田以外のレスラーは、
場外乱闘へ…
「行け!デス!」「決めろっ!」、
雄叫び一発!
伝家の宝刀「足4の字固め」発動!
たまらず泉田「ギブっギブっ」と、
ギブアップで試合終了。
お約束の大円団に、
場内スタンディングオベーションで、
拍手万雷。
ドリフのコント同様、
毎回ネタは、わかってるのに、
毎回感動!
これこそ真のプロレス道であり、
プロの仕事なのだ。
任された仕事は、
どんなに歳を取ろうとも、
例え不本意なポジションでのどんな仕事であれ、
常に皆の期待に応えるよう、
全力で一生懸命やる。
それも一見簡単そうに見せながら、
万全の準備と完璧な段取りで臨む。
安全第一、手際よく丁寧に!
そしてデキて当たり前。
そういうことを我々はリングから学んだ。
この歳になって、
ようやく理解できるようになった気がする。
ジャイアント馬場もデストロイヤーも、
天に召された。
三沢光晴も・・・
ラッシャー木村も。
もう彼らのバトルを観ることはできない。
月日は流れ昭和を経て平成も終わろうとしている。
随分と長々、昔のハナシをしてしまった。
ソロソロ時間か・・・
「デスト~時間ですよ~」とは、
客からデストロイヤーに、
満足と感謝を伝える最高の賛辞のコトバである。
下品な「巻き」の意味じゃあナイ!
当時はニワカ過ぎて掛けられなかった、
このセリフ。
遅るばせながら最期にコッソリ一筆。
「デスト~時間ですよ~」
合掌…
デストロイヤーを英語辞書で引くと、
「破壊者」とか「駆逐艦」と出るが、
我々世代の人間に対し、
「問題 :デストロイヤーについて50文字以内で、
できるだけ詳しく述べよ」と出題すれば、
なんの躊躇もなく
「白い目出しマスクを被ったアメリカ人プロレスラー」と、
スラスラ饒舌に回答するハズ。

そのデストロイヤー(プロレスラー)が亡くなった。
享年88歳。
かの力道山と闘っていた超全盛期のデストロイヤーは、
さすがに知らないものの、
全盛期のジャイアント馬場との対戦時は、
幼少期だったが鮮明に記憶している。
「足4の字固め」
当時、くそガキの兄弟ゲンカで必ず飛び出す必殺技だった。
あとコブラツイストとスリーパーホールドもか・・・
この「足4の字固め」の伝道師こそ、
デストロイヤーだった。
また和田アキ子や徳光和夫が出ていた、
日本テレビ系バラエティー番組「うわさのチャンネル」に、
レギュラー出演していた当時としては「超異色」の、
スタープロレスラーでもあった。
しかし私メとしては、
選手晩年期の「お笑い系プロレス」時代の、
デストロイヤーの方が好きだった・・・
昭和から平成に移り変わろうとしていた、
1980年代後半から90年代初頭。
世はバブル期。
ちょうどその頃、
メガネスーパーがプロレス団体を立ち上げたため、
全日本プロレス所属の天龍源一郎や谷津嘉章といった、
中堅どころがSWS(メガメスーパー)へドッと移籍離脱したりで、
ジャイアント馬場の全日本プロレスは、
存亡の危機に見舞われた。
この危機を当時、若手だった三沢光晴と川田利明、
ジャンボ鶴田、田上明で四天王バトルを展開し、
これが大当たり!!
ジャンボ鶴田が病気で離脱(のちに死去)すると、
三沢VS川田のシングルタイトルマッチは超ドル箱バトルとなった。
その一方、手薄になった前座試合を、
ジャイアント馬場やラッシャー木村、渕正信、
永源遥、大熊元司といった、
超ベテラン(というかロートル組)に泉田純(当時は無名の若手)らで、
「お笑いプロレス」路線を作り上げ、
前座リングを盛り上げた。
例のラッシャー木村のマイクパフォーマンスのヤツだ。
全日本の聖地、後楽園ホールでの観戦時には、
「1興行で2度オイシイ全日本プロレスだな」と、
揶揄半分リスペクト半分で見知らぬファン同士、
リングサイドで語り合っていた頃が懐かしい。
当方の妹は三沢信者、当方は川田信者だった・・・
そんな全日本プロレスの興行に、
年に1度だったかデストロイヤーが、
その「お笑いプロレス」に参戦する「お約束」があって、
これが、ちょっとした人気カードだった。
もう、この頃になると「プロレスは八百長だ」などと、
ヤボなことを言う大馬鹿野郎は来場しなくなっていて、
本当に心の底からプロレスを愛している、
熱狂的信者によって興行が成立していた。
それが我々世代ヲタ野郎どもである。
かくいう、その中の一人が私メと私メの妹(笑)
よってジャイアント馬場とデストロイヤーが、
リングに上がると、
それはもうフィールドオブドリームスの世界。
リングが神々しく見えたものだった。
スローな試合展開も、
自分からジャイアント馬場の16文キックを
食らいに行く泉田の「お約束」も、
一瞬たりとも目が離せない「歴史的シーン」の連続となる。
そしてデストロイヤーの本当に基本に忠実で、
受け身一つとっても「これがプロの技だ」ってな、
華麗にしてテンポよろしく美しく、
それに大きな「音」で魅せる、
由緒正しき伝統的プロレスリングの真骨頂に、
現場で観戦していた客は皆、
酔いしれたものだった。
スリーパーホールドひとつとて、
時間調整のスリーパーあり、
大技続き後の疲労回復のスリーパーあり、
次の大技への布石となる、
引きつけのスリーパーありと、
次に出す技を予想しやすく、
そして客の期待を絶対裏切らない、
プロ中のプロの技というものを我々に、
丁寧に教えるかのように、
魅せてくれることで、
いかに「現役」のトップレスラーたちが、
凄いコトをしているかも、
我々に教えてくれた人。
それが晩年のデストロイヤーという、
レスラーの仕事だった。
この頃すでに御年60歳ほどだったか…
こうしてプロレスの奥深さを、
思い知った。
テレビの画面では、わからない。
地べたの目線である。
痛いものは痛い等…
かくして試合が進むにつれ、
リングアナの
「6分経過!6分経過!」のコール。
試合終了3分前の合図。
ここからがリングと客席との、
阿吽の呼吸の時間。
例のスリーパーホールドや、
関節締めのグラウンド技で、
ひと呼吸できると、
常連客と思しき、
ソレを許されているであろうファンから、
絶妙のタイミングで、
「デスト~時間ですよ~」と、
まるで歌舞伎の大向かいのような、
掛け声!
ほどなくジャイアント馬場社長も、
場外乱闘の準備に入り、
体勢整うとリングが荒れはじめ、
やがてデストロイヤーと泉田以外のレスラーは、
場外乱闘へ…
「行け!デス!」「決めろっ!」、
雄叫び一発!
伝家の宝刀「足4の字固め」発動!
たまらず泉田「ギブっギブっ」と、
ギブアップで試合終了。
お約束の大円団に、
場内スタンディングオベーションで、
拍手万雷。
ドリフのコント同様、
毎回ネタは、わかってるのに、
毎回感動!
これこそ真のプロレス道であり、
プロの仕事なのだ。
任された仕事は、
どんなに歳を取ろうとも、
例え不本意なポジションでのどんな仕事であれ、
常に皆の期待に応えるよう、
全力で一生懸命やる。
それも一見簡単そうに見せながら、
万全の準備と完璧な段取りで臨む。
安全第一、手際よく丁寧に!
そしてデキて当たり前。
そういうことを我々はリングから学んだ。
この歳になって、
ようやく理解できるようになった気がする。
ジャイアント馬場もデストロイヤーも、
天に召された。
三沢光晴も・・・
ラッシャー木村も。
もう彼らのバトルを観ることはできない。
月日は流れ昭和を経て平成も終わろうとしている。
随分と長々、昔のハナシをしてしまった。
ソロソロ時間か・・・
「デスト~時間ですよ~」とは、
客からデストロイヤーに、
満足と感謝を伝える最高の賛辞のコトバである。
下品な「巻き」の意味じゃあナイ!
当時はニワカ過ぎて掛けられなかった、
このセリフ。
遅るばせながら最期にコッソリ一筆。
「デスト~時間ですよ~」
合掌…
老舗演芸番組「笑点」の撮影場所
でもあるんですよね。
なるほど、太子の言葉で合点が。
プロレスも笑点も、その道で
しっかり基礎を叩き上げた職人達が
台本を元に、アドリブを飛ばし
ながら一つのショーを完成させる
のでしょう。
そー言えば小学生の頃は、テレビの
ゴールデンタイムにどっかり
プロ野球(巨人戦)とプロレスが
鎮座してましたが、今や見る影も
なく、有料放送へ転進。毒にも
薬にもならないタレントの
漂白されたコメントとSEの大げさな
笑い声ばかりのバラエティ番組
ばかり。
こんなのばかりだから、演芸場や
スタジアム、ホールでヒリヒリする
ようなライブを求めるのも当然?
ちょっと我田引水が過ぎますかね。
そうです笑点の収録も後楽園ホールでしたね。
あの「小屋」を定席に制すもの、
それ即ち恒久の繁栄を手にするものナリで、
そういう意味でいくとボクシング、全日本プロレス、
笑点は本当に超安定型にして、
息の長いモノへと成長しました。
マンネリだの時代遅れだの、
なんだかんだと言われながらも、
絶対的な「固定客」に支えられ、
かつ常に新しい上客を獲得し続ける姿勢、
それでもって「上客」だからといって、
決して甘えない常にアグレッシヴなスタイル、
これが常勝軍団のセオリーってやつなんでしょうね。
さて今や弱小球団になってしまったアノ球団にも、
球春が訪れます!
あの後楽園ホールの熱気に負けないよう、
今年もまた幕張の海の家にて、
けっして「上客」とはいえない我々ですが、
老骨に鞭打って応援と称して、
「ヤジり」に参りましょう!!