知床日誌④
カヤックで最も危険なのは風だ。波は技術でなんとかなるが風はそうではない。水煙を巻き上げ、竜巻のように風が走る海を漕ぐのは生きた心地がしない。知床半島は高い山脈なので海との落差が大きく、
気圧配置によって太平洋とオホーツク海どちらからも強い風が吹く。有名なルシャの出し風は知床岳と硫黄山の鞍部から吹き出す風だ。知床岳は標高1200mあまり、硫黄山は1400mでその間のルシャ乗越しと呼ばれる峠は海抜300mもない。オホーツクを進み、ウプシノッタと呼ばれる川を越えたあたりから風は強まる。前方には黒い帯が沖まで続き、雲は山肌に張り付いて這うように低く動いている。静かな海は一瞬で豹変する。
漕げるかどうかを急いで決めなければならない。もし竜巻が走り始めたら上陸地を探さねばならない。どこにでも上がれるわけではない。ゴロタの浜でも平らなほうが良い。水場も流木もいる。落石も心配だ。
気圧傾度の斜面は知床にかかることが多い。北海道に縦に3本の等圧線がかかれば知床は油断ならない。私はずいぶんそれで痛い目に遭ってきた。最近は少し用心深くなったが、それは臆病になったということなのだろう。
知床は天気図を取れるからある程度予測できる。しかし海外では気圧計だけが頼りのことも多い。バロメーターは気圧の変化を示す。そして風は気圧差で生まれる。
知床に予備ポールは欠かせない。風だけが理由ではないがよく折れる。そもそもドームテントは風に弱い。風が強まったらポールは抜いたほうが良い。知床で使うテントは劣化が激しくポールより先にテントが壊れることがある。私は風に吹き倒されながら地面を這い、テントのポールを抜いて回ったことがある。そんな時海は水煙で何も見えない。暴風は小石とともにあらゆるものを飛ばしている。
私はビッグルーフと呼ばれるモンベルのタープを昔から使っている。中央にポールを立て三方を石で塞ぎ押さえる。しかし布が薄いと石で擦れて裂けてしまう。この方法は風に強い。そして4人は寝られる。
昔のビッグルーフは布が厚く丈夫だった。しかし今は薄くなり使えない。もっともそんな使い方は想定していないのだからやむを得ないが。古いボロボロのタープを補強して使っているがそろそろ限界だ。
最近、新井場君が昔の厚い生地の中古品を見つけてくれた。これでしばらくは大丈夫だ。このタープはきっと私より長生きするだろう。