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知床日誌⑰
私は雨具に漁業用雨具、通称「漁師がっぱ」を使う。1986年のネパールヒマラヤ、チャムラン(7319m)遠征では雨期のヒルだらけのベースキャンプまでの24日間をこの分厚い雨具とゴム長靴で歩いた。もちろん通気性はないが水がしみて濡れることもない。何よりもこれがあれば雨の中でも家畜の糞尿にまみれた地面に座って酒を飲める。多少重いが見てくれより動きやすい。極寒の海で漁師が使うのだから当然作業性は良く動きやすい。私はこれなしに海には出られない。雨具に求められる機能の第一は防寒性だ。そのために外気を遮断する適度な厚さが必要だ。一般的なナイロン素材の雨具はたとえそれが高価な通気性素材であっても時間が経てば体に張り付き、雨の水温が体温を奪う。つまり濡れなくても時に低体温症を引き起こす。漁師がっぱは通気性がないので蒸れる。しかし蒸れても死なない。雨が降らなくても風が吹けば寒い。これ以上実用的な雨具はない。
毛にまさる肌着はない。速乾性が売りの肌着も、乾く条件がなければ優れた機能を発揮できない。唯一ウールだけが濡れた中で保温性を保つ。間違っても木綿を使ってはならない。大正12年2月、この時代を代表する登山家、板倉勝宣が吹雪の北アルプス松尾峠で遭難死した。遭難の理由は板倉だけが木綿の肌着だったためと言う。同行していた槇有恒らは毛の肌着を着用していて生還した。北海道では近年、トムラウシ山や羊蹄山、知床岳などでガイド登山中の凍死事故が起きている。ガイドには責任がある。装備を客任せにせず、出発前に点検して不備があれば貸すなりすべきだ。ゴアテックスは優れた素材だが豪雨の中でそれ一枚では、仮に体が濡れなくても体温を奪われる。雨具の下にウール肌着か薄手のウールセーターを着るだけで命が助かる。道案内だけがガイドの仕事なのではない。客の身の安全に気を配ることが最も大きな仕事と言える。
私は知床の参加者に漁師がっぱを貸す。だれもそんなものを持っていないからだ。必要なら肌着や羽毛シュラフも貸す。過酷な条件で役に立つのは天然素材だ。春の知床ではドライスーツも貸すがガスケットがよく破損する。艇もそうだが自分の道具でないとどうも扱いが荒くなる。しかしそれは致し方ないことだ。壊れたら直せばよい。道具は必要な時になければならない。暑ければ裸で良いが人は北風に弱い。そして北風や冷たい雨、雪は自然のなかであたりまえのことだ。私たちはそれに備えなければならない。
ミニマリストという言葉がある。個人装備を徹底して軽量化する人を指す。私もその端くれだが防寒具を減らしても漁師合羽を持つ。着替えはあるが使わず、多くの場合着干しする。上陸して設営や焚火を始めて1時間もすれば生乾きになり、そのまま寝袋に入れば朝までに乾く。しかし嵐が続く時は雨漏りのするタープの中、濡れた寝袋で震えながら過ごすことになる。木綿のパンツは濡れると漏れたオシメ並みに不愉快だ。それならはかなければよい。私はウールももひきを直接履いてパンツをはかない。私のセンスは経験に根ざしている。快適な野外の暮らしなどない。濡れて寒いのが当たり前の世界だ。特にカヤックではそうだ。昔、冬山を登っていた時代、雪洞の中で凍って硬くなった寝袋を音を立てて引きはがし、潜り込んで体温で氷を解かして眠った。本当に必要なものはそう多くない。そしてそれを知るにはやはり経験が必要かもしれない。私は今でも使わないお洒落Tシャツやサングラスを持って海に出る。そして肝心なものを忘れる。前回はノコを忘れた。まだ修行が足りないと思う。
私は雨具に漁業用雨具、通称「漁師がっぱ」を使う。1986年のネパールヒマラヤ、チャムラン(7319m)遠征では雨期のヒルだらけのベースキャンプまでの24日間をこの分厚い雨具とゴム長靴で歩いた。もちろん通気性はないが水がしみて濡れることもない。何よりもこれがあれば雨の中でも家畜の糞尿にまみれた地面に座って酒を飲める。多少重いが見てくれより動きやすい。極寒の海で漁師が使うのだから当然作業性は良く動きやすい。私はこれなしに海には出られない。雨具に求められる機能の第一は防寒性だ。そのために外気を遮断する適度な厚さが必要だ。一般的なナイロン素材の雨具はたとえそれが高価な通気性素材であっても時間が経てば体に張り付き、雨の水温が体温を奪う。つまり濡れなくても時に低体温症を引き起こす。漁師がっぱは通気性がないので蒸れる。しかし蒸れても死なない。雨が降らなくても風が吹けば寒い。これ以上実用的な雨具はない。
毛にまさる肌着はない。速乾性が売りの肌着も、乾く条件がなければ優れた機能を発揮できない。唯一ウールだけが濡れた中で保温性を保つ。間違っても木綿を使ってはならない。大正12年2月、この時代を代表する登山家、板倉勝宣が吹雪の北アルプス松尾峠で遭難死した。遭難の理由は板倉だけが木綿の肌着だったためと言う。同行していた槇有恒らは毛の肌着を着用していて生還した。北海道では近年、トムラウシ山や羊蹄山、知床岳などでガイド登山中の凍死事故が起きている。ガイドには責任がある。装備を客任せにせず、出発前に点検して不備があれば貸すなりすべきだ。ゴアテックスは優れた素材だが豪雨の中でそれ一枚では、仮に体が濡れなくても体温を奪われる。雨具の下にウール肌着か薄手のウールセーターを着るだけで命が助かる。道案内だけがガイドの仕事なのではない。客の身の安全に気を配ることが最も大きな仕事と言える。
私は知床の参加者に漁師がっぱを貸す。だれもそんなものを持っていないからだ。必要なら肌着や羽毛シュラフも貸す。過酷な条件で役に立つのは天然素材だ。春の知床ではドライスーツも貸すがガスケットがよく破損する。艇もそうだが自分の道具でないとどうも扱いが荒くなる。しかしそれは致し方ないことだ。壊れたら直せばよい。道具は必要な時になければならない。暑ければ裸で良いが人は北風に弱い。そして北風や冷たい雨、雪は自然のなかであたりまえのことだ。私たちはそれに備えなければならない。
ミニマリストという言葉がある。個人装備を徹底して軽量化する人を指す。私もその端くれだが防寒具を減らしても漁師合羽を持つ。着替えはあるが使わず、多くの場合着干しする。上陸して設営や焚火を始めて1時間もすれば生乾きになり、そのまま寝袋に入れば朝までに乾く。しかし嵐が続く時は雨漏りのするタープの中、濡れた寝袋で震えながら過ごすことになる。木綿のパンツは濡れると漏れたオシメ並みに不愉快だ。それならはかなければよい。私はウールももひきを直接履いてパンツをはかない。私のセンスは経験に根ざしている。快適な野外の暮らしなどない。濡れて寒いのが当たり前の世界だ。特にカヤックではそうだ。昔、冬山を登っていた時代、雪洞の中で凍って硬くなった寝袋を音を立てて引きはがし、潜り込んで体温で氷を解かして眠った。本当に必要なものはそう多くない。そしてそれを知るにはやはり経験が必要かもしれない。私は今でも使わないお洒落Tシャツやサングラスを持って海に出る。そして肝心なものを忘れる。前回はノコを忘れた。まだ修行が足りないと思う。
新谷暁生