知床日誌⑩
赤子泣いてもふたとるな、というのは米を焚くときの重要な教えだ。この説はいつごろから語られているのだろうか。おそらく明治時代に軍隊が飯ごう炊さんをするようになってから広まったのだろう。
しかし焚火などの直火で薄い鍋で米を焚くとき、この方法ではうまく炊けない。米の量にもよるが直火は火力が強いので焦げた生煮えのメッコ飯になりやすい。鍋が厚ければともかく、私たちの使うアルミのうす鍋の炊飯は難しい。調理はカヤックの重要な技術だ。食わなければ漕げない。現代はフリーズドライやレトルトなどの野外生活に適した食材も多い。しかし私はそのへんのスーパーの普通の食材を使う。
腹が満たされれば心もとりあえず満たされる。酒があればなお良い。
私は冬山でガソリンストーブを使った。灯油のプリムスなどのバーナーは予熱しないと燃えないが、ガソリンは低温でも着火する。真冬の十勝岳から大雪山黒岳までの16日間の縦走で私はガソリンを使い、燃料食材の重さを一日1キロに抑えた。主なものは米、マカロニ、くずビスケット、屠場から分けてもらった検査肉、乾燥野菜に茶や砂糖などだ。肉は炒めて水分を飛ばし、ホウレンソウなどの野菜はアパートのストーブの上でゆでて乾燥させた。それでも20日分の重さは20キロになる。寝袋やピッケル、アイゼン、スキーなどを含めると50キロ近い。厳冬期十勝大雪縦走の記録は少ない。ノンサポート、ノンデポの記録はほとんどない。
私と佐々木実はふたりで毎日イグルーを作りながら歩いた。この山行は山を登っていた時代の私の唯一の誇りだ。イグルーは一時間で作らないと実用には耐えない。
知床の風や雨の中の焚火の調理には火の作り方が鍵になる。風が強ければ火が燃えても熱が逃げる。だからかまどは低いほうが良い。しかし低すぎると火力が出ない。前にも書いたがかまどは木で作る。
おきが石の間に落ちないよう工夫して火床を水平に整え、風向きに平行に素性の良い適度に太い木を2本並べる。間隔はナベが乗る幅だ。その中で細い木を少しずつ燃やして対流を起こして火を大きくする。
風が強すぎる時は遮蔽板を工夫する。古いトタン板などだ。海岸にはどこにでもある。
米は海水でとぎ真水をやや多めに入れる。海水を使うのは水の節約のためだ。それになんとなく風味が出る。沸きはじめたらふたを開けてヘラで素早くかき回して温度を均等にする。火力はこの時最大にする。
良いおきが出来るようキュウリサイズの木を使う。やがてナベの中が地獄の釜状態になったら三つ数えて火から下し、同時にかまどを広げる。そしておきをならしてナベを乗せ、むらしにかかる。
風や雨で温度むらが出来やすいから30秒に一度はなべを回す。この方法だとうまくやれば米粒を立たせることが出来。そして一度に何升も炊ける。料理は労働だ。そして忙しい。しかし手間暇を惜しんではならない。
うんちくは語らなくてよい。みんなが喜ぶ料理を作れれば良い。失敗を恐れずにナベを開けてみることだ。なんだか説教じみてきたが料理は愛情だ。レシピは要らないし特別な道具も要らない。
震災に乗じて普及したレスキューキッチンの話を聞くと腹が立つ。人の不幸を種に儲けるなと不届き千万だ。しかし今に限らず社会ではそれがあたりまえだ。米を焚くなら大なべと米があれば良い。どこにでもある。
水もあるし木もある。私にカヤックの技術はない。しかし米を炊く技術はある。
赤子泣いてもふたとるな、というのは米を焚くときの重要な教えだ。この説はいつごろから語られているのだろうか。おそらく明治時代に軍隊が飯ごう炊さんをするようになってから広まったのだろう。
しかし焚火などの直火で薄い鍋で米を焚くとき、この方法ではうまく炊けない。米の量にもよるが直火は火力が強いので焦げた生煮えのメッコ飯になりやすい。鍋が厚ければともかく、私たちの使うアルミのうす鍋の炊飯は難しい。調理はカヤックの重要な技術だ。食わなければ漕げない。現代はフリーズドライやレトルトなどの野外生活に適した食材も多い。しかし私はそのへんのスーパーの普通の食材を使う。
腹が満たされれば心もとりあえず満たされる。酒があればなお良い。
私は冬山でガソリンストーブを使った。灯油のプリムスなどのバーナーは予熱しないと燃えないが、ガソリンは低温でも着火する。真冬の十勝岳から大雪山黒岳までの16日間の縦走で私はガソリンを使い、燃料食材の重さを一日1キロに抑えた。主なものは米、マカロニ、くずビスケット、屠場から分けてもらった検査肉、乾燥野菜に茶や砂糖などだ。肉は炒めて水分を飛ばし、ホウレンソウなどの野菜はアパートのストーブの上でゆでて乾燥させた。それでも20日分の重さは20キロになる。寝袋やピッケル、アイゼン、スキーなどを含めると50キロ近い。厳冬期十勝大雪縦走の記録は少ない。ノンサポート、ノンデポの記録はほとんどない。
私と佐々木実はふたりで毎日イグルーを作りながら歩いた。この山行は山を登っていた時代の私の唯一の誇りだ。イグルーは一時間で作らないと実用には耐えない。
知床の風や雨の中の焚火の調理には火の作り方が鍵になる。風が強ければ火が燃えても熱が逃げる。だからかまどは低いほうが良い。しかし低すぎると火力が出ない。前にも書いたがかまどは木で作る。
おきが石の間に落ちないよう工夫して火床を水平に整え、風向きに平行に素性の良い適度に太い木を2本並べる。間隔はナベが乗る幅だ。その中で細い木を少しずつ燃やして対流を起こして火を大きくする。
風が強すぎる時は遮蔽板を工夫する。古いトタン板などだ。海岸にはどこにでもある。
米は海水でとぎ真水をやや多めに入れる。海水を使うのは水の節約のためだ。それになんとなく風味が出る。沸きはじめたらふたを開けてヘラで素早くかき回して温度を均等にする。火力はこの時最大にする。
良いおきが出来るようキュウリサイズの木を使う。やがてナベの中が地獄の釜状態になったら三つ数えて火から下し、同時にかまどを広げる。そしておきをならしてナベを乗せ、むらしにかかる。
風や雨で温度むらが出来やすいから30秒に一度はなべを回す。この方法だとうまくやれば米粒を立たせることが出来。そして一度に何升も炊ける。料理は労働だ。そして忙しい。しかし手間暇を惜しんではならない。
うんちくは語らなくてよい。みんなが喜ぶ料理を作れれば良い。失敗を恐れずにナベを開けてみることだ。なんだか説教じみてきたが料理は愛情だ。レシピは要らないし特別な道具も要らない。
震災に乗じて普及したレスキューキッチンの話を聞くと腹が立つ。人の不幸を種に儲けるなと不届き千万だ。しかし今に限らず社会ではそれがあたりまえだ。米を焚くなら大なべと米があれば良い。どこにでもある。
水もあるし木もある。私にカヤックの技術はない。しかし米を炊く技術はある。