しまさん
知床日誌⑤
知床のヒグマの生息密度は高く、その数はこの20年増え続けてきた。しかし海が変わりサケマスの遡上が激減したためか生息数は減り始めている。
20年前、海岸でクマを目にすることはそう多くはなかった。半島を回る時にルシャのあたりで何頭かを見かけるだけだった。しかしそれからしばらく経って急に数が増えた。
これには2000年頃まで行われてきた春熊駆除をやめたのが理由なのだろうと思う。2010年頃には一度のカヤック行で10や20のヒグマを見るのが当たり前になっていた。一周の間に35頭を見たこともある。当初はクマもヒトも喜び満足していた。しかし増え過ぎれば弱いクマは食べ物を得られなくなる。餌場を強い個体が独占するからだ。それで子連れや弱いヒグマは食べ物を求めて人里に出るようになった。
春に穴から出たヒグマは沢で水を飲み、新芽や若葉を食べ始める。特にイラクサが好物だ。5月の海岸近くの崖の草地では、何頭も海に尻を向けて無心に草を食べている。春先から夏の食べ物は主に植物だ。だからフンは牛と似ている。たまに海で海岸の石をひっくり返してコエビを食べる。かれらは何でも食べるがネコ科のトラやヒョウと違って無暗に動物を襲わない。夏が過ぎればカラフトマスを食べるのが日課になる。親は仔に狩りを教え、一人前になるまで見守る。
以前は生きたエゾシカを襲うことは少なく、クマとシカが仲良く並んで草を食べていることもよくあった。シカの死肉は打ち上げられたトドや遡上する魚とともにクマの蛋白源だった。しかし10年ほど前から生きたシカを襲う個体が出始めた。また営巣するカモメのコロニーに泳いで上がって卵を狙い、定置網のロープ伝いに沖の箱網(金庫)まで泳ぎ、魚を獲るクマが出始めた。親は仔にそれを教えた。ヒグマは頭が良く変化を学習する。数が増えすぎると当然新たな餌を求める。子は親から学び狩りを覚え、生きる術を学ぶ。
しかし長く続いてきた営みは変わり始めている。エサがなければ餓死するものも出る。それて本能的にエサを求めて町に現れる。今日の問題はクマに何の責任もない。ヒトが身勝手な理屈で野生を管理した結果だ。古い猟師は言う。「俺たちに任しておけば良かったのに」と。間引きは自然界の知恵だった。間引きが人を豊かにし野生を健全に保ってきたのだ。人には知恵があった。