東日本大震災から14年が経ちました。
あの日の恐怖や悲しみ、そして助け合いの温かさを、私たちは決して忘れてはなりません。
震災の記憶を風化させないことは、未来への備えと希望を繋ぐ大切な一歩です。
被災地の復興は今も続いており、一人ひとりができる支援や防災意識の向上が求められています。
過去から学び、命の尊さを胸に刻み、次世代に安全で安心な社会を手渡すために、共に歩んでいきましょう。
希望を胸に、未来を創る力を信じて。
東日本大震災から14年が経ちました。
あの日の恐怖や悲しみ、そして助け合いの温かさを、私たちは決して忘れてはなりません。
震災の記憶を風化させないことは、未来への備えと希望を繋ぐ大切な一歩です。
被災地の復興は今も続いており、一人ひとりができる支援や防災意識の向上が求められています。
過去から学び、命の尊さを胸に刻み、次世代に安全で安心な社会を手渡すために、共に歩んでいきましょう。
希望を胸に、未来を創る力を信じて。
なんで勉強せなあかんの~?
と聞かれたら何て答えたらいいのでしょうか。
かつて「女王の教室」というドラマがありました。
ドラゴン桜の天海祐希版って感じで、天海祐希さんが小6担任役で、鬼教師。
~ このドラマの第10話のシーンから ~
ある生徒から、
「先生、この前言いましたよね?いくら勉強しても、いい大学に行っても、いい会社に入っても、そんなの何の意味もないって。じゃあ、どうして勉強しないといけないんですか?」
と質問されたとき、鬼教師の担任の先生の言葉。
いい加減目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?
勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。
したいと思うものです。
これからあなたたちは、知らないものや、理解できないものにたくさん出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにたくさん出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。
好奇心や、探究心の無い人間は、人間じゃありません。サル以下です。
自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて、何ができるというんですか。
いくら勉強したって、生きている限り、分からないことはいっぱいあります。
世の中には、何でも知ったような顔をした大人がいますが、あんなもの嘘っぱちです。
いい大学に入ろうが、いい会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えばいくらでもできるんです。
好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。
勉強は、受験のためにするのではありません。立派な大人になるためにするんです。
これは、永遠のテーマですね。
「将来困らないように」「人生の敗者にならないように」というような、ネガティヴな言われ方をすると、余計に〝なんでやねん〟になりますよね。
このドラマの先生みたいに、「知りたいと思うから人間なんだ。それを思わなくなったら、死んだも同然」と、ドギツイ、パンチの効いたワードを投げかけられると、〝なるへそなあ…〟と思えることもあると思います。
私自身も、毎日、勉強をしています。知的好奇心は死ぬまで衰えないでほしいと切に願っています。
好奇心や探究心は失いたくないですね。もっともっと、へえ~、なるほど~と、新たな発見を楽しんでいきたいものです!!
困難な状況に直面したとき、あなたはどうしますか?
私たちは人生の中でさまざまな困難な状況や課題に直面します。そんなとき、あなたはどう対処しますか?解決方法が見えづらくて途方に暮れることはありませんか?
実は、困難な状況や課題に対処するためには、あるシンプルな方法があります。それは、「困難を分割せよ」というメッセージです。このメッセージは、大きな困難や問題を小さな部分に分けて取り組むことで、解決策が見えやすくなり、克服する道が開けるという考え方です。
このメッセージは、井上ひさし氏の著書『握手』に登場するルロイ修道士、哲学者デカルト、そしてビル・ゲイツといった人々の言葉からも見出すことができます。彼らはそれぞれ異なる分野で活躍した人々ですが、共通して困難を分割することの重要性を認識していました。
本記事では、彼らの教えを踏まえながら、「困難を分割せよ」というメッセージの意味と、その実践方法について考察します。
井上ひさしの著書『握手』からの教え
井上ひさしの「ナイン」という小説に収録されている「握手」という短編小説が教科書に掲載されています。「握手」は、第二次世界大戦後の日本で暮らしたカナダ人のルロイ修道士と、彼が園長を務めた児童養護施設「光ヶ丘天使園」で育った「私」との再会を描いた作品です。ルロイ修道士は、戦争中に日本人の監督官に人さし指を潰されたり、天使園の子供たちに強い握手をしたり、指言葉で気持ちを伝えたりするなど、個性的な人物です。彼は、「日本人とかカナダ人とかアメリカ人といったようなものがあると信じてはなりません。一人一人の人間がいる。それだけのことですから。」という考え方を持っており、戦争や差別に対しても憎しみや恨みを持たず、子供たちに愛情を注いでいました。彼は「困難は分割せよ」という言葉を言い残します。この言葉は、ルロイ修道士の人生哲学を表しています。大きな困難や問題に直面した時に、それを大きな問題と捉えるのではなく、小さな問題に分割して、一つずつ解決していくことの重要性を強調しています。ルロイ修道士の言葉は、「私」にとって、人生の大きな支えとなりました。
デカルトの教え
デカルトはフランスの哲学者であり、近代哲学の祖とも呼ばれます。彼は自らの思考方法を『方法序説』という著書にまとめました。この著書の中で、デカルトは「困難を分割せよ」という考えを持っていました。彼は問題を細かい要素に分解し、それぞれに対処することで、複雑な問題を解決する方法を示しました。デカルトのアプローチは、問題解決において論理的な思考と分析力を駆使することを促しています。
デカルトは、自らが抱える疑問や不確かさに対して、以下のようなステップに分割して取り組みました。
このように、デカルトは、複雑な疑問や不確かさを小さな要素に分解することで、真理を見つけることに成功しました。彼は、困難を分割することで、その解決策が見えやすくなり、克服する道が開けたのです。
ビル・ゲイツの教え
ビル・ゲイツはアメリカの実業家であり、マイクロソフト社の創業者です。彼はコンピューター業界で革新的な事業を展開し、世界最大の富豪となりました。彼もまた、「問題を切り分けろ」という教えを提唱しています。彼は複雑なプロジェクトを小さなタスクに分割し、一つずつ着実に解決していくことで成功を収めました。ビル・ゲイツのアプローチは、効率的な目標達成のために計画を立て、具体的なステップに分割することの重要性を示しています。
ビル・ゲイツは、自らが立ち上げたマイクロソフト社で多くのプロジェクトに携わりました。その中でも最も有名なものがWindowsというオペレーティングシステムです。Windowsはコンピューターの操作や管理を容易にするソフトウェアであり、世界中で広く使われています。ビル・ゲイツは、複雑なプロジェクトを小さなタスクに分割することで、様々な開発を成功へと導きました。彼は、困難を分割することで、その解決策が見えやすくなり、克服する道が開けたのです。
困難を分割する方法のまとめと提言
以上のように、「困難を分割せよ」というメッセージは、井上ひさし氏の著書『握手』に登場するルロイ修道士、哲学者デカルト、そしてビル・ゲイツといった人々の言葉からも見出すことができます。彼らはそれぞれ異なる分野で活躍した人々ですが、共通して困難を分割することの重要性を認識していました。
困難を分割する方法は、以下のような具体的な手法で実践することができます。
この方法は、どんな困難な状況や課題にも応用することができます。あなたも、困難に直面したときは、「困難を分割せよ」というメッセージを思い出してみてください。そして、上記の手法を試してみてください。きっと、困難を克服する道が見えてくるはずです。」
新型コロナウイルスしゅうそくは「収束」? or「終息」?
テレビやネットのニュースで、しょっちゅう耳にする、コロナしゅうそく。コロナのしゅうそくは「収束」、「終息」、どちらを使うのが正しいのでしょうか?
答えは、どちらも正解だが、どちらでもいいというわけではない。
「ハー!?、何わけのわからないこと言ってやがんだ!」って、ボイルドはらわたの方もいらっしゃることでしょう。
つまり、どちらも使うのだが、意味が違うので、文脈によって使い分けをきちっとしないといけないということです。
「収束」の方は、
「収」は音読みで「シュウ」、訓読みで「おさめる・おさまる」と読みます。
「収」は「取りまとめる。まとまる」を意味します。
「束」は音読みで「ソク」、訓読みで「たば・つか・つかねる」と読みます。
「束」は「引き締めて一つにまとめる」を意味します。
「収束」は、文字通り集めてたばねるということで、これが、ばらばらになっていたり混乱していたりしたものが一つにまとまって収まりがつくという意味になります。一定の状況に落ち着く、一旦まとまるという場合に用いるのが適します。
例えば、「事件が収束に向かう」「事故による一時の混乱は収束する」などと使います。
「収束する」は英語で「settle」になります。
I hope things settle down soon.(早く事態が収束してくれるのを祈っている)
一方、「終息」は
「終」は音読みで「シュウ」、訓読みで「おわる・おえる」と読みます。
「終」は「おわる。おえる。おわり」を意味します。
「息」は音読みで「ソク」、訓読みで「いき・やすむ・いこう」と読みます。
「息」は「やむ。しずめる」を意味します。
「終息」は「終」という漢字が含まれているように、物事がすっかり終わること、やむことをいいます。
「終息」=「息が終わる」=「エンド」と覚えておきましょう。
「終息」は、英語で 「end」,「stop」,「terminate」,「(伝染病などが)be stamped out」になります。
Finally the war ended [came to an end].(ついに戦乱は終息した)
意味は近いが同義語ではない2つの言葉の違いは、なんとなく理解していただけたでしょうか?
新型コロナウイルスによる世の中の様々な混乱が早く収束し、もう心配ないという、完全な終息が早く来てほしいものですね。
今月初めから、GoogleのサイトでGoogle Chrome β版 のダウンロードが始まっている。
どんなもんだろうか使ってみようと期待を込めて、早速ダウンロードしてみた。
ダウンロードもインストールも非常に簡単にできた。
最初は、かなりの文字化けが見られた。
しかし、それは修正の項目を検索してすぐに解決した。
寂しすぎるなと思うほどのすっきりしたデザイン。
無駄なスペースが少なく、画面を広く使えていい。
2週間くらいにわたって少しずつ使ってみた…。
起動はなかなか速く、表示もサクサクと体感ではかなり速いと感じる。
機能の多くは既存の競合ブラウザの寄せ集めという感じもするが、
いいとこをとって、余計なところを削って極力シンプルにしたということか。
ベースはあれこれつけずにあっさりとしたものにしておいて、後から
個人個人の好みに応じてカスタマイズするというのは時代の趨勢かと思える。
『 多機能ワンボックス 』というのがなかなかの魅力だ。�
URL を入力するボックスに 検索キーワードを直接入力できる。
キーワードの候補表示も的確だ。
一方、
一番の不満は、ブックマークの引っ越し。
私は、ずっと以前から、Operaをメインのブラウザにしているが、
Operaのブックマークを持ってくることはできない。
ちょっと残念…。
今のところOperaにはかなわない、かな?
その他、良し悪しはあるだろうが、
総合評価としては、『 もうちょい 』というレベルだ。
今後のリリースに期待したい。
連休の真ん中の日曜日、和歌山に出掛けたときのこと…
和歌山ラーメンの代名詞ともいえる、
『 井出商店 』 に赴いた。
「TVチャンピオン」で2年連続して「日本一うまいラーメン」に賞された店で、
和歌山ラーメンブームを作った立役者でもある。
混みそうな時間を外して行ったが、店の前には20名ほどの行列。
列に並んで、店の壁に書かれたメニューの一覧をボーっと眺めていると、
一台の目立つ黒いトラックが店の前の道に横付けされた。
車のリアには、 『 ALL JAPAN PRO-WRESTLING 』 と
丸くかたどられたロゴがあった。
おもむろに開いた扉から屈強な男が現われた。
うっわ!
「鈴木みのる、や!」 と心の内でつぶやいた。
《世界一性格の悪い男》という異名を持つレスラーだが、
「おらおらああ、雑魚ども~! ドケドケ~い!」
などというようなことはなく、
お行儀よく列の最後尾について、
同伴の後輩たちとニコニコとした表情で談笑していた。
リングの上での愚連隊の姿とは違って、
やたら胸板の分厚い、気のいいオニイチャンだった。
で、
井出商店のラーメンは、初めてのようでしたが、
お味の程はいかがだったのでしょうかねえ。
私は、大盛中華そば(麺2玉)を食べた。
美味かった!
南河内へ、歴史探訪に…。
【大阪府立近つ飛鳥博物館】
ここは平成6年にオープンしていたのだが、訪ねたいと思いながらなかなか行く機会がなかった。
だが、やっと訪れることができた。
はるばるという距離だが、期待以上の満足度だった。
この博物館の『近つ飛鳥』という呼び名は、『古事記』の中に記載があるのだが、大陸との本格的な窓口が難波の港に設けられた頃、難波宮からみて近い方の飛鳥(河内の飛鳥)ということで、現在の大阪府南河内郡辺り一帯を言ったものである。奈良県の明日香村を遠い方の飛鳥(大和の飛鳥)ということで「遠つ飛鳥」といった。
こちらは、ただ「飛鳥」と呼ばれるようになる。
その「飛鳥」に対して、当時劣らない文化を持っていたということで『近つ飛鳥』と呼ばれていたようだ。
そびえ立っているのは、「黄泉の塔」というものらしい。
階段状のへんてこな豪華な建物。もしや、アンドー?と思ったが、
入館してリーフレットを見てみると、案の定、安藤忠雄の設計によるものだ。
この博物館、展示物の案内をしてくれる音声ガイドを無料で貸し出ししている。
これはありがたい。いいとこだ。
でも、説明がとても細かく、ゆったりしたアナウンス。
1.5倍速とかないんかよ~って思った。
博物館の周辺一帯は、近つ飛鳥風土記の丘という史跡公園になっており、
日本を代表する規模の群集墳「一須賀古墳群」がある。
上の写真は復元されたレプリカの古墳の一つだ。こんなのがあっちこっちにあった。
次に、大阪芸術大学や上宮太子高等学校が近くにある、南河内郡太子町の
『 叡福寺 』を訪れた。
ここには聖徳太子(厩戸皇子)の墓所がある。
涕曚粒幣紊砲修咾┐詁鄲臾br>
聖徳太子の没後、伯母さんにあたる推古天皇が土地建物を寄進し、
墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされている。
この寺のずっと奥にある、叡福寺北古墳。
ここに聖徳太子本人とその母・穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)、
太子の妃・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が眠っているとされている。
聖徳太子御廟
聖徳太子にまつわる伝説や聖徳太子虚構説など、様々な論争があるが、
今後の教科書ではどうなることやら…
夏の終わりの休日のひととき、
堺を訪れた。
『 自転車博物館 』へ。
堺は、自転車の生産日本一として知られている。
自転車の歴史と発展を見て回ったが、期待していた
以上に興味深いものだった。
まず最初に自転車の元祖である1818年の「ドライジーネ」が
時代を感じさせるいい雰囲気の空間に展示されていた。
こちらは、昭和11年に皇太子に献上されたもの
まさに、おぼっちゃま専用って感じだ。
他にも、天皇家へ献上した自転車にはすべて「菊の御紋」のエンブレムが付いていた。
ミルク配達用。「なんか和むなあ」って思わず独り言。
ハンドルの軸がチェーンで結ばれていた。
なんちゅうスピード、さすがに見事なギア比だ!
髭男爵が乗りそうな典型的なタイプの「オーディナリー」。
産業革命で「世界の工場」といわれたイギリスで多く生産された。
コンピュータが組み込まれた最新のコンフォートバイク
自動変速、自動サスペンション、オートライトなどが採用され、手動操作が不要。
しかも、車輪の回転を利用した発電機で、コンピュータ用の電力を供給している。
速度、走行距離、変速ギア位置などをディスプレー表示する。自動車なみやん。 こちらは世界を一周した日本人が乗っていたもの。br>
【ギネス認定の一輪車】一輪車による最も速い米国横断
こちらは、日本の中3の少年、松島章くんが
1992年7月10日から8月22日にかけて、一輪車に乗って
米国のオレゴン州ニューポートからワシントンD.C.まで、
23日間で米国を横断した。
小学生の頃、こんなん流行ってたなあ。
で、
上のような感じのタイプのチャリを改造して、アメリカンな自転車にして
小魔人は粋がっていた。 (小5の頃のチビ魔人)
「おれ、ウイリーめっちゃ長時間できんねんど~!」
とイキってたら、ズボンの裾が引っ掛かって、
一人バックドロップのような感じで後頭部をしこたま打ちつけ、
瘤を作ってしまった苦い思い出がある。
英語でしゃべらないといけなくなった時どうすればよいのかを、楽しく学ぶ語学エンターテインメント番組。
毎週楽しみに見ている NHKの「 英語でしゃべらナイト 」 で
『 韓国・英語村Special 英語教育が熱い! 』 と題して、
韓国の英語教育事情を紹介していた。
以前から英語教育に熱い国であった韓国に現れた話題のスポットが「英語村」。
東京ドーム6つ分の敷地に突如現れるヨーロッパ風の建物!
路面電車や警察署、郵便局、ホ―ル、役場、レストランなど、
ヨーロッパ風の町並みが作られている。
総建設費100億円をかけて建設されたという英語のテ―マパ―クだ。
まず、来場者は入国管理事務所で本物さながらの雰囲気で、
入国管理官役のスタッフの質問に答え、入国を許可される。
そして、「English only」の文字が掲げられており、場内は英語以外禁止。
欧米人のスタッフと来場者の韓国人との間で、すべての会話が英語で行われる。
暮らしの様々な場面を通して英語を体験できる。
その英語村に「しゃべらナイト」のメンバ―が潜入レポートをした。
ここには年間年間50万人、週末になると1万人近くが訪れるという。
英語を学ぶために、子どもから社会人までが泊まりに来るという人気テーマパークだ。
日本にも是非ほしいものだ。
韓国では、今や、
幼稚園でも、6割以上が英語を教えている。
イ・ミョンバク大統領は小中高の英語の授業を、英語オンリーにする計画を発表している。
英語教育にかける韓国の野望はどこまで続くのか。
そして、日本は取り残されるのか…
いっそのこと、存続が危ぶまれている『私のしごと館』を改装して、
日本版「英語村」としてリニューアルオープンするっていう手もあるなあ…。
数日前から新聞広告には告知が何度も出ていた。
サザンオールスターズの30周年記念ライブ「真夏の大感謝祭」の放送。
今年いっぱいで活動の休止を宣言しただけに、是非、見たい。
残しておきたいと楽しみにしていた。
最初に映像で出てきた小林克也氏の前説に始まり、
オープニングからアンコールまで、感動溢れるステージだった。
「うわああ…、現場が羨ましいなあ」ってすごく思った。
サザンのコンサートには、かつての若き日、
一度だけ行ったことがある。
あれは、淡い高校生の時だった。
南海ホークスのホームグラウンドだった大阪球場でのステージ。
(っていうと、ものすごく昔って感じがして嫌やな…)
この年は原由子の妊娠産休だったので、コンサートツアーのコーラスに
EPOが参加していた。EPOも好きなシンガーだったので、とてもラッキー
だったと覚えている。
そして、そのコンサートの日は、私の誕生日だった。
カノジョがチケットを用意してくれ、誕生日のプレゼントとして
一緒に行った。
そして、コンサートが始まり、
オープニングの曲は何かなあって、言うてたら、
なんと、
「Happy Birthday」 という曲だった。
えええ~を顔を見合わせた。
そんな思わぬサプライズがさらに懐かしい思い出を印象づけている。
夏期休暇のひととき、久し振りに京都に出かけた。
のんびり一人であっちこっち…
まずは、昼下がりの本能寺へ。
「敵は本能寺」で名高いところだ。
創建は応永22年(1451)。何度か移転をし、
天正10年(1582)の『本能寺の変』の舞台となったのは、
四条西洞院にあったときのこと。
その後、豊臣秀吉により現在の土地に移転した。
敷地内にある、『本能寺大寶殿宝物館』にも足を運んだ。
織田信長愛用の品々、狩野派の絵画などが展示されていた。
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また、境内の奥には織田信長一族や森蘭丸などの供養塔があった。
河原町通に抜ける細い裏口、こちらもなんだかいい雰囲気だ。
その後、新風館、高台寺、と、ぶーらぶ-ら。
/P>
今年も、夏期講習がやってきた。
とびきり暑い夏。
この暑さが関係してか否か、あれこれとぶっ壊れて、
準備に余計な苦労もした。
エアコン、プリンタ、PC、などなど…
夏期講習突入前の週末は、休日返上で準備に駆け回る。
昼間の授業に備えてのちょっとした教室の改造、
宿題テスト『夏の陣』の成績処理の段取り、
名簿・座席表の作成、
教材の準備、
事務用の備品調達、
夏期講習新規受講生の最終チェックと連絡、
セーフティメールのメンテナンス、
そして、
栄養ドリンクの買いだめ…
さあ、
生徒たちが後で振り返った時に、
誇りに思えるような
逞しさをもたらす夏をつくっていくぞ!
先日、「モカ」のコーヒー豆が消えるかもと、新聞に出ていた。
その原因はというと、
輸入の98%以上を頼っているエチオピア産から基準値以上の残留農薬が検出され、
厚生労働省が事実上、輸入にストップをかけた。
再開のめどはたっておらず、
今後、店頭からモカが姿を消す可能性もあるという。
大好きというほどではないが、ちょこちょこ飲んでいた。
「モカ」、もう飲まれへんのか~、と思うと寂しい気分だ。
冬に飲めるようになってくれればいいのだが…。