伝説のアニメ「ヤッターマン」誕生30年目の復活!
読売テレビ・日本テレビ系で2008年1月14日スタート!!
ってな具合の触れ込みだったので、
まあ、初回だけでも…と
郷愁に誘われて見てしもた…。
「説明しよう!」
(これも、中年の方はおわかりだと思いますが、
ナレーターの語りが入るときの伝説のフレーズ)
ヤッターマンは、タイムボカンシリーズ第2作目として
1977年~1979年に放映されたテレビアニメ。
竜の子プロダクションの代表作ともいえる。
地球上のどこかにある大金鉱脈のありかを示した石(ドクロストーン)
を捜すドクロベーの手下、ドロンジョたちドロンボーの一味とそれを追う
ヤッターマンたちがくりひろげる痛快ストーリー。
そして、主題歌は52歳(初老?)の世良公則が歌うっていうんだから
これまた中年のハートをくすぐろうとしてやがんなと思う。
世良公則と野村義男(たのきんトリオのよっちゃん)が結成したユニット
音屋吉右衛門がオープニング曲「ヤッターマンの歌」
世良は
「プロデューサーの英断か暴挙か。
僕たちにとってはメモリアルなデビューです」
と語っている。
同曲は「♪ウーワンワンワン」の歌詞でおなじみであるが、
番組が始まり、このオープニングのメロディが聞こえてくるや、
30年の時を超え、幼年時代にタイムスリップ!!
条件反射的に、テレビの画面を見ながら
一緒に口ずさんでしまっている自分に驚いた。
しかも、驚くことに
歌詞を完璧に覚えている。
このアニメは、とにかく
お決まりのフレーズが多いのが特徴だが、
「ポチっとな」
「このスカポンタン」
「全国の女子高生のみなさ~ん」
「ママより怖いおしおきだべー」
「ブタもおだてりゃ木に登る」
なつかしのフレーズのオンパレードに
感涙ものでした。
深夜に、テレビで「英語でしゃべらナイト」新春特番を見ていた。
AM2:10を過ぎた頃だったろうか。
唐突に変な感じの音声がまぎれて聞こえた。
「ナンだろ??」
「緊急地震速報 緊急地震速報 大きな揺れにご注意ください」
ふとテレビの画面を見ると、右下のところに何か表示が。
そして気づいた。
「うぉ! これか、噂の地震予知の緊急放送やんか…」
と冷静なんだけど、
『大きな揺れにご注意…』っていうフレーズが気にかかった。
「ええ~、大きいんかいな~。」
机の下のスペースに目がいき、
「揺れたら、ここに入ろうか…」と瞬時思う。
「来るか、来るか…」
ぶら下がってて、揺れものを注視する。
「期待してんのか、怯えてんのか、どっちやねん!」
と、セルフつっこみを入れる。
結局、全く揺れることもなく、
テレビを注意して見ていると、
『ただ今、九州地方で地震が発生しました。震源地は…』
「なんじゃそれ!熊本かい!」
と、今度は、テレビにつっこみを入れる。
何事もなくてよかったのですが、
なんか、あれって、
いささかワクワク気分をもたらしてしまうものなんだなあと少々複雑。
まあ、初体験なもので…。
しかし、地震予知の緊急放送ってのは大したもんだ。
ほんのわずかな時間なのだろうが、
身構える時間を確保することはできるのだろう。
取り敢えず火を消すことはできる。
二次災害としての火事は確実に減るだろう。
枕を持って表に飛び出す人もいなくなるのだろうか…
帰宅してすぐ、予約録画しておいた
「第87回全国高校ラグビー大会の決勝戦」に見入る。
今年は珍しくも、準々決勝から大阪勢が姿を消し、
決勝は、伏見工(京都)-東福岡(福岡)の好カード。
伏見工は、昨春の全国高校選抜大会では初優勝を飾っている。
中学生のときにベストに通っていた塾生OBがその伏見工の
レギュラーで出場している。
彼のポジションは、スクラムハーフ(SH)。
フォワードとバックスの繋ぎ役となっている。
敏捷性と、的確で正確な判断力が必要な攻撃の起点となる
大切なポジションだ。
今回の試合の中でも、捌きのテンポといい、パススキルの高さといい、
惚れ惚れするものだった。
応援していた伏見工は、残念ながら、東福岡に敗れた。
スコアは
伏見工7-12東福岡と、1トライ差の接戦僅差の戦いだった。
開始早々から、伏見工は攻めに攻めて支配率も高かったが、
東福岡の個人技が光った2トライの後、執念のディフェンスの
壁が立ち塞がり、もうチョイというところまで何度も押し進めたが
リードされたまま届かず、涙を呑んだ。
両校ともアッパレの鳥肌の立つような試合だった。
今後は、大学での活躍をまた楽しみにしているぞ!
ビッグになってくれよ。
年明け初日の冬期講習の後半戦がスタートしたが、
残念なことに生徒の座席がポッカリと空いたままになっている。
昨日、その塾生が入院している病院へお見舞いに行った。
中3の生徒で、受験を目前に控えた冬休みを病院で過ごしている。
クリスマスも正月も病院で迎えた。
さぞ辛い気持ちでいるのだろうと思いながら病室へ入ると、
「うわ~、小魔人!!」
と、満面の笑みで迎え入れてくれた。
すごく顔色もよく元気そうな表情だったので安心した。
そして、そんなにしゃべりまくって疲れないのかと心配になるほど、
マシンガンのようにしゃべっていた。
そして、病室で少しずつやっている勉強を手伝った。
「早く塾に行きたいわ~、退院したら、次の日から行くから!」
と、言っていた。
一日も早く、元気になって、
クラスの仲間との熱い戦いに参加してほしいと祈るばかりだ。
今日は、初詣に出かけた。
上本町にある「生國魂神社」に参詣した。
この神社は、「いくたまさん」の通称で親しまれる。
ここは大阪最古の神社で、初代天皇である神武天皇が九州より
難波津にお着きになった際、現在の大阪城付近に日本国土・大地の
守護神を祀られたのが創祀であるとされている。
そして、平安時代には出雲大社、熊野大社と並ぶ3大社のひとつ
として崇敬され、明治には官幣に列せられるなど、国土の守護神、
そして大阪の総鎮守として崇敬されている神社である。
以前、テレビ番組で紹介されているのを見て、近いところになのに
まだ一度も訪れたことがなく、是非行かねばと思っていたところだ。
広い表参道から鳥居をくぐると、正面にある社殿のところから
鳥居の付近まで、長~い参拝の行列ができていた。
参拝を済ませ、辺りを見回すと、境内の一角にある絵馬を奉納している
ところには、桂三枝、桂文福をはじめ、多くの落語家のものが数多くあった。
大阪落語の祖である米澤彦八が、生國魂神社境内を舞台に上方落語
を広めたと言われ、称えられているのだそうだ。
さらに、境内を奥へ進むと、井原西鶴の像がでーんと構えていた。
西鶴は『好色一大女』や『世間胸算用』などを著す以前から俳人として
活躍しており、一昼夜ぶっ通しで連句をつくり続ける「大矢数」では、
延宝8年(1680年)には生國魂神社境内の南坊で、一昼夜4000句の
独吟矢数俳諧の新記録を達成したというからビックリだ。
神社の紹介のリーフレットを手にしながら、「へえ~、なるほど~」と、
時間をかけてゆっくり境内を散策した。
行列ができるわけだわ~と納得。
賀正~ん
旧年中は、格別のご愛顧賜りまして誠にありがとうございます。m(__)m
新年も 『 小魔人の小部屋 』 を宜しくお願いします。
年末年始の年越しは、お笑い三昧で過ごしました。
テレビを見ていて、すごく層が厚いなあと感じました。
オリンピックにお笑いという種目があったとしたら、
今の日本は間違いなく金メダルやろなあ…なんて思いました。
昨年は、10月、11月、12月とどんどんスピードアップして
時間が経過していくように感じました。
Time is Money
を忘れず、
今年は、
「何事も、一歩手前に前もって」
ということを目標にして
努力、邁進していく所存でございます。
ヾ(o´∀`o) コトヨロ ヾ(o´∀`o)ノ