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表現の自由に「名誉毀損」的なものも含まれるという主張への疑問

2017-08-18 00:45:28 | 日本国憲法
>第二に、一元的内在制約説は、人権が本来互いに矛盾・衝突するものであって、それを調整するために公共の福祉に従って制約されざるをないものであるとするが、そこには、およそ人は自らの好むことは何であれこれをなしうる天賦の「人権」を有するという前提がある(樋口・憲法192-95頁)。つまり、人は財産権や表現の自由を有するのみでなく、人殺しをする自由、強盗をする自由、他人を監禁・暴行する自由などを天賦人権として有する。このような無制限の自由を各人が好むところに従って行使したとき、社会生活が成り立たないことは明らかであり、「人権」は公共の福祉の観点から制約されねばならない。殺人や強盗、暴行、監禁が制約されることと、所有地の建築制限、デモ行進の時・所・方法の規制、職業の許可制などは、同じ公共の福祉という概念で一元的に説明がつくことになる。

長谷部恭男『憲法(第2版)』P113より

→この長谷部恭男氏の見解には異論もあるのですが、それはここでは議論しません。

ここで取り上げたいのは

>およそ人は自らの好むことは何であれこれをなしうる天賦の「人権」を有するという前提がある

→というくだりです。

「天賦人権説」の立場から考えれば、確かにデマを流す自由、反対意見の相手をデマにより貶め、誹謗中傷する自由というのも認められていると考えていいのかもしれません。

が、現実的に考えてみましょう。

>このような無制限の自由を各人が好むところに従って行使したとき、社会生活が成り立たないことは明らか

→ではないでしょうか?

そうならないために「法秩序」というものが形成されているわけです。

「公共の福祉」という考え方に立つのであれば、やはり長谷部氏の言うように「人権」についても一定(最低ライン)の制約は必要と考える方が自然です。

従来、芦部『憲法』P177~178にもあるように

>2 性表現・名誉毀損的表現
(1) 性表現・名誉毀損的表現は、わいせつ文書の頒布・販売罪とか名誉毀損罪が自然犯として刑法に定められているので、従来は、憲法で保障された表現の範囲に属さないと考えられてきた。しかし、そのように考えると、わいせつ文書なり名誉毀損の概念をどのように決めるかによって、本来憲法上保障されるべき表現まで憲法の保障の外におかれてしまうおそれが生じる。そこで、わいせつ文書ないし名誉毀損の概念の決め方それ自体を憲法論として検討し直す考え方が有力になってきた。つまり、それらについても、表現の自由に含まれると解したうえで、最大限保護の及ぶ表現の範囲を確定していくという立場である。この立場は、性表現について言えば、わいせつ文書の罪の保護法益(社会環境としての性風俗を清潔に保ち抵抗力の弱い青少年を保護することと解する説が有力である)との衡量をはかりながら、表現の自由の価値に比重をおいてわいせつ文書の定義を厳格にしぼり、それによって表現内容の規制をできるだけ限定しようとする考え方で、定義づけ衡量論(definitional balancing)論と呼ばれる。

→名誉毀損表現なども「表現の自由に含まれる」と解したうえで、最大限保護の及ぶ表現の範囲を確定していくという見解が有力視されてきましたが

一方で芦部氏自身の同書P176にもあるように

>最高裁は、名誉毀損罪に関する刑法 230 条の 2 の規定について、表現の自由の確保という観点から厳格に限界を確定する解釈を打ち出している

→と学説上評価されてもいます。

その前提に立った上で、あらためて刑法を見てみましょう。

第230条
1 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

→あらためて「名誉毀損」ということについて考えてみたいのですが

仮に、天賦人権説の立場から、名誉毀損も「表現の自由」に含まれていると解するのだとしても

それは長谷部氏のいうように

人殺しをする自由

強盗をする自由

他人を監禁・暴行する自由

なども認められているというのと同レベルの(もしくは極めて近い)考え方ではないでしょうか?

私自身は現実的に考えて

名誉毀損も表現の自由に含まれている

という主張には違和感をおぼえます。

少なくとも「法秩序」の中で、その「自由」を本当に行使できるのか?

という問題はありますので。

参考サイトです。
http://agata-yukio.sakura.ne.jp/date07.htm

>01 デマは表現の自由の範囲の外にあります。

企業広報は、ステークホルダーの支持を得ることを目的とした活動です。情報を加工しバイアスをかけた情報操作・プロパガンダ型(自ら働きかけ自らの思う方向に他人や集団を動かすことを目的にする広報)の表現であっても、それが中傷誹謗や不法な商品宣伝でなければ、それは表現の自由として保障されています。

したがって、自社のイメージを上げるために、たとえばCSR活動に関して虚偽・誇大な自社宣伝的な広報を行ったとしても、その虚偽・誇大さが明らかになれば、市場で批判されることになり、自社のブランド価値を下げることになるでしょうが、そこには法的な問題は生じません。

しかし、その表現内容が、他者に向けたデマ(事実とは反する、根拠のない悪宣伝)である場合には、他者の正当な権利を害する恐れがあるので、表現の自由の保障の外にあり、法律による規制を受けます。

02 デマを流すことは犯罪であり、信用毀損罪です。「虚偽の風説の流布」すれば、それで犯罪は成立です。

デマをながすこと、つまり虚偽の事実を発信すれば、信用毀損罪(刑法233条)となります。
確実な資料・根拠を示さないで「あの会社は倒産寸前である」「カタログに書かれているような性能をもっていない」との情報を流すことです。

公の場であるならば、少数の者に虚偽事実を伝えても、その者から多数に伝播する可能性があるので、犯罪は成立します。
具体的に、信用が毀損することは必要ありません。
これを抽象的危険罪といいます。その危険があれば、その時に、犯罪は成立したものとします。3年以下の懲役または50万円以下の罰金となります。

説明会、懇談会などの公の場での発言、セールスマンの売り込みでの発言、ネット上での書き込みなどが、これに該当します。