Shpfiveのgooブログ

主にネットでの過去投稿をまとめたものです

今上天皇は、なぜ韓国を訪問されなかったのか?

2019-03-31 22:18:39 | 国際情勢
Yahoo!知恵袋でこのような質問投稿がありました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13205623233


従軍慰安婦問題の件、なぜ日本の天皇は韓国に謝罪しないんでしょうか?
安倍首相または日本を象徴する天皇陛下がたったひとこと謝罪すれば、根本的に問題が解決されるはずなのに。
なんで謝罪しないの?
ねえ、なんで謝罪しないの?
ねえ、なんで?

なんで?
なんで?


この投稿者さんはプロフィールによると

秋田県能代市在住の男性です。在日韓国人の生活を支援する非営利団体NPO法人を運営してます。


とのことですけど、そのような方がこの程度の発言しかできないでいるところに、今の韓国、及びその支援者たち(在日韓国、朝鮮人の方に限りません)の限界が見てとれます。

結局のところ、こうした考え方の延長線上が、先の韓国の文喜相国会議長によるアメリカメディアのブルームバーグによるインタビューでの「慰安婦問題」についての発言になるのだと思います。

まず、今上天皇は先の大戦当時は未成年であり、これは言い切ってもいいと思いますけど

そもそも戦争の決定そのものに関与していません。


仮に「先の大戦決定に関与した」とされる昭和天皇のことを念頭においた発言だとしても

親の因果が子に報い


などという前近代的な発想は、既に近代国家である我が国は元より、国際社会においても既に一般的な考え方ではありません。

百歩譲って、仮に「昭和天皇の戦争責任」をいうのだとしても

http://cryptiana.web.fc2.com/docs/westph.htm#W1


ウエストファリア条約第2条(いわゆるアムネスティ条項)により

そのために互いに要求される,あるいは主張されるかもしれないすべてのものは永遠に忘却のうちに埋められるものとする.

のが、平和条約発効に伴い適用される国際慣習法であり、国際社会の一般常識です。

だから、仮に昭和天皇に「法的責任」があったとしても

それは対外的には、もう終わったことです。

しかるに韓国においては責任ある立場の政治家が

https://www.koreaworldtimes.com/topics/news/5151/


文在寅大統領に近い文議長(73)は7日のブルームバーグとのインタビューで、「一言でいいのだ。日本を代表する首相かあるいは、私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」と語った。


今上天皇が日本軍慰安婦だったおばあさんに謝罪することの是非は別としても

「戦争犯罪人の主犯の息子」

これは、さすがに他国の公的な立場にある政治家が、しかも海外メディアに向けて発信していい話ではありません。

そのような国だからこそ、未だに天皇陛下の韓国訪問が実現しないのだということも、あらためて指摘しておきましょう。

ちなみに今上天皇は平成四年(1992年)に中国訪問を実現され、そこで「深い悲しみ」を述べられました。

平成4年10月23日(金)
国家主席主催晩餐会(人民大会堂)における天皇陛下のおことば

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h04e-china.html


楊尚昆国家主席閣下,並びに御列席の皆様
今夕は,私どものために,このような宴を催していただき,また,ただ今は楊尚昆国家主席閣下から,心温まるお言葉をいただき,厚く御礼申し上げます。
貴国と我が国の交流の歴史は古く,特に,7世紀から9世紀にかけて行われた遣隋使,遣唐使の派遣を通じ,我が国の留学生は長年中国に滞在し,熱心に中国の文化を学びました。両国の交流は,そのような古い時代から長い間平和裡に続き,我が国民は,長年にわたり貴国の文化に対し深い敬意と親近感を抱いてきました。私自身も年少の頃より中国についての話を聞き,また,本で読むなどして,自然のうちに貴国の文化に対する関心をもってきました。子供向きに書かれた三国志に興味を持ち,その中に出てくる白帝城についての「朝辞白帝彩雲間あしたにじすはくていさいうんのかん」に始まる李白の詩を知ったのも,少年時代のことでありました。
また,今世紀に入ってからは,貴国の有為の青年が数多く我が国を訪れるようになり,人的交流を含む相互の交流は一層活発なものとなりました。私は,このような両国民間の交流の伝統をかけがえのない,貴いものと考えます。
このような深い関係にある貴国を,この度,主席閣下のお招きにより訪れることができましたことは,私どもの深く喜びとするところであります。
しかし,この両国の関係の永きにわたる歴史において,我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時,我が国民は,このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち,平和国家としての道を歩むことを固く決意して,国の再建に取り組みました。爾来,我が国民は,世界の諸国との新たな友好関係を築くことに努力してまいりましたが,貴国との間においては,両国の先人たちを始めとする多くの人々の情熱と努力によって,将来にわたる末長い平和友好を誓い合う関係が生まれ,広範な分野での交流が深まりつつあります。私はこのような両国民間の関係の進展を心から喜ばしく思うとともに,この良き関係がさらに不動のものとなることを望んでやみません。
今日,国際社会は,人類の平和と繁栄の達成という崇高な理想に向けて共同の努力を行っておりますが,この中にあって,日中両国民の友好親善関係の進展は,大きな意義を持つものと信じます。
本年は,日中国交正常化20周年という両国間の関係における大きな節目の年にあたっており,両国民の間で,相互理解と友好親善を目指して様々な行事が行われております。貴国からは,江沢民総書記閣下並びに万里委員長閣下が我が国を御訪問になり,両国間の絆をより太くより強いものとすることに貢献されました。この度の私どもの貴国訪問が,このような絆に結ばれた両国民にとり,お互いに良き隣人として将来に向かって歩む契機となれば誠に喜ばしく思います。
私どもは北京のほか西安と上海を訪れることになっております。西安では,かつて我が国から航海の危険を冒しつつ唐に渡り,長安で中国の文化を学んだ遣唐使や留学生の労苦をしのびつつ,貴国の歴史に触れたいと思います。また,上海では,貴国の新たな発展の息吹に触れることができるでありましょう。私どもは,この度の訪問において,できるだけ多くの若い人々にも接する機会を得たいと考えております。両国の若い世代は必ずやこれまでの伝統的な交流の歴史を継承し,これをさらに豊かな心の交流として発展させていくにちがいありません。
北京の秋の美しさは多くの人によって語られてまいりました。この美しい季節にこの地を訪れる機会を得ましたことを私どもは心よりうれしく思っております。
楊尚昆国家主席閣下,並びに御列席の皆様
ここに日中両国民間の友好親善の発展を念じますとともに,楊尚昆主席閣下の御健勝と貴国の繁栄,そして貴国民の幸せを祈って杯を挙げたいと思います。


これが紛れもない今上天皇のお気持ちである、と思います。

現在の中国では2012年の「尖閣諸島問題」以降、対日感情は急速に悪化し、それにともない我が国の皇室についても様々な議論はあるようてすけど

ともかくも対外的には「天皇は戦争犯罪人」という発言を公的に発することは控えているように見受けられます。

大韓民国は先進国をしばしば自認しているようですけど

中国と韓国、どちらが文明社会に適応した国家なのか?

と問われれば

これは中国と答えるしかないでしょう。

少なくとも中国は国際社会におけるマナーを、おおよそは守っています。

一方の韓国は何度条約を結んでも、その後で問題を蒸し返す常習犯としか見えません。

そのような国への天皇陛下の訪問が実現しないのは、是非論は別として

ある意味では仕方ないとも言えるように感じています。