勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 9

2008-10-13 13:40:41 | 平和
私は、地域の経営者・後継者と共に勉強会「半田塾」という私塾の事務局をしています。その半田塾で視察研修会に行ったときのお話です。

去年の5月に山口県萩市、下関市へ維新の旅に出かけました。
今回の維新の旅では、志ネットワークの代表 上甲晃さんに紹介していただき、山口県萩市に住む松田輝夫先生に、吉田松陰への手引きをしていただきました。
市内の公立小学校の校長を最後に教壇を去ってから、既に20余年。その間、ずっと郷土の歴史を研究するかたわら、ボランティアとして、萩の町を訪れる人たちの案内役を買ってきた。
日本でも屈指の学者であります。

勝手に思うままに9 松下村塾を訪れる人たち

松下村塾に掛けられている吉田松陰の肖像画にそっくりに見える松田先生は、80歳を越える年齢にはみえないくらい熱のこもったお話は人をひきつける。

松田先生のお話は私にとって新鮮で、感動的だ。とりわけ松田先生の話は、わかりやすい。

松田先生は松蔭先生そして松下村塾の説明をこのようにお話されました。
 「退職して20年、多くの人たちに萩の町を案内しました。最近気がついたことですが、萩の町を訪れる人にも、一つの傾向がありました。

最初にやって来られたのが、学校の先生をはじめとする教育関係者。教育者としての吉田松陰に学ぼうというわけです。

次にやって来たのは、公務員や政治家。
町おこしの盛んな頃でした。
この古い町から何かを学ぼうと、全国から視察に来られました。
そのブームも、いつの間にか、すっと消えてなくなりました。
そして今、中小企業をはじめとする企業の若い経営者や幹部が、たくさん来られています」。

松田先生は、自らの体験を通して感じている、訪問者の傾向をまず紹介された。
 どうして、今、中小企業を中心として、企業の人たちに、萩の町は人気があるのだろうか。

その答えを、松田先生は、次のように説明してくれた。「厳しい競争を生き抜くために、企業は血のにじむような努力を重ねてきました。
そしてあらゆる努力をした結果行き着いたのは、意欲のある人を育てることこそ組織にとってもっとも大切であるということ。
松下村塾のように、地域のごくありふれた子供たちを集めて、天下を揺り動かすような人に育てた吉田松陰、松下村塾から何かを学ぼうというわけです」。
 明治維新に向け激動期を生き抜いてきた人たちの中でも、松下村塾に集った人たちは、ごくごく普通の青年達たちです。
その普通の青年達が、明治維新という大改革を成し遂げていった。
企業の関係者は、その歴史の中に、自らのこれから進むべき道を探ろうとしている。「人はつくるものではなく、育てるもの」と、松田先生は言う。

歴史を学ぶにつれて、いにしえの賢者たちのすごさに圧倒されます。  拝

勝手に思うままに 8

2008-10-10 10:33:29 | 平和
すっかり秋らしくなってきました。

私の尊敬する人の一人に 石川 洋さんがいます。
石川さんは昭和5年生まれ。
私が、人生の道に迷ったときに、火を燈し導いてくれたかたです。
その話はまた後ほど・・・
その石川さんのお話に「やさしいだけではだめだ。やさしさのために人を迷わす」と言う。「やさしいから仏性ではない。強かろうと思ってなれないやさしさは。情魔を含んでいる。では、どうしたらよいか。与えられたことはどんな苦しい、意に沿わないことでもめげちゃいけない。焼け火箸を握り締めて離さない稽古をすること。それが生きることだ」雷鳴のような力で胸に響いた言葉です。
少し前からの、家庭での子供の教育がカン違いのやさしさで子供をだめにしているような気がしています。 まぁっ 大人にも当てはまることは多々ありまが・・・

勝手に思うままに8 想いを売る

「大阪天満橋商店街の古書店」青空書房  阪本さん
 その店の店主は八十歳を越えている。だが商品知識は店の在庫の数百倍に及ぶ。定価はどれも百円ばかし。
売り物は「本」ではなく「想い」であった。 「良書はいつしか次の人へ読み継がれる。その一端を担いたい。」
店の入り口の小さなPOP(毛筆書き)には「またころんだ、また失敗した。でもそれが人生です。一緒に生き方をさがしましょう(阪本)」とあった。
 あるお客さん。息子が離婚して帰ってきて、暴力を働き、借金をして、酒におぼれた息子の母であった。阪本さんは身の上話を聞いてから「あなたにぴったりの書籍がありますよ」とやさしくいった。 その書籍名は「お母さん疲れたよ 上下」(著者:田辺聖子) 3日後、晴れやかな表情でそのお客さん(母)は来店した。書籍は処方された薬だった。処方したのは書籍という薬の知識をふんだんに持った阪本医師だった。阪本さんは「本は薬です。生きている限り本を読み、悩みを持つ人に「この本を読みなさい」と言える人になる。 それが坂本さんの人生の役割だそうです。

勝手に思うままに 7

2008-10-09 08:46:14 | 平和
私は「実践人」という会に参加して7年くらいになります。
「実践人」とは、創業者である森信三先生(半田出身)の教学に則り、共に学び、実践し、自己の行き方を確かめつつ、いささか社会に貢献し、一隅を照らす使命の実現に勤めようとする団体です。全国各地で「実践人」の研修会や読書会が行われています。半田市の名誉市民でもあります森信三先生のお話はまたの機会にしまして、今日は数年前の中日新聞朝刊の中日春秋の文章を紹介します。

勝手に思うままに7  礼 儀

作家の大佛次郎氏に「礼儀」という随筆がある。慶応の塾長だった小泉信三氏の話を紹介する
塾長時代の小泉氏は、込んだ電車で慶応の学生が腰掛けていると、そばに行って学生を立たせ、ほかの人に席を譲らせたという。
学生たちは不平だったようだ。ある規律違反の学生には何度か忠告し、停学などの処分を出した。小泉氏の強い態度は変わらなかったとか

学生たちには苦い体験だったろう。でも、そうやって普通の規律に服する習慣を学んでいく。
「社会に出てからその徳を知らぬ間にそなえておいたのを、幸せと感じたことであろう」と大佛氏は書いた。そして「世の中には人間が年をとってからではないと、ほんとうには判らないことが、いくらでも在る」と

先生の忠言や叱責は、言われる方にとってみれば、快いものではない。けれど、後になって「よく言ってもらった」と振りかえることも多いはず。それが教えるということであり、教育なのだろう。
どんな態度にも「いいよいいよ」で済ませたり、目をつむったりするようでは、大事なことは伝わるまい

教育再生会議では、保護者や児童.生徒が先生の評価に参加する人事策も出ている。でも「席を譲ってあげなさい」などとうるさくも大事なことを言ってくれる先生を、生徒がそのとき「いい先生」と理解するだろうか。保護者も一緒になって、子どもに甘い先生をいい先生と評価する例は出てこないか

教育問題がさまざまある今、先生にもあらためる点はあろう。が、小泉塾長のような姿勢は大事なものに違いない。  以 上

忠言や叱責は、言う人、言われ方によっても受け取り方が随分違うものになってきますが、時間が経つにつれ「あ~その通りだな」って思うことが多いです。言う人、言われ方は、その時受け入れられるか、といったタイムラグだけのような気がします。

どんな状態のときでも受け入れられる、「素直な心」でいられたらいいですね

勝手に思うままに 6

2008-10-07 10:56:01 | 平和
会社の旅行で高山にいったことがあります。
高山は相変わらず、人気の高い観光地で、人がたくさんいるのも観光地としての魅力があるからなのでしょうけれど、風情を味わうことは難しいですね。
あれだけの景観を今の世に残すことの大変さは、計り知れない努力があるものと思います。
半田においても、景観を維持しようとがんばっている人たちがいます。

勝手に思うままに6 あきらめない1

平成2年のこと、新美南吉と同じ岩滑に生まれ育った小栗大造さんは、ある壮大な計画を思い立ちました。
“南吉がよく散策した矢勝川の堤をキャンパスに、彼岸花で真っ赤な風景を描こう。”ただ一人で草を刈り、球根を植えるその姿に、一人また一人と手伝う人が現れ、やがてその活動は「矢勝川の環境を守る会」へと発展します。こうして現在では、秋の彼岸になると(9月下旬)矢勝川の堤の東西2㎞に渡って200万本もの彼岸花が咲くようになりました。

たった1個の球根から
たった一人の力から
たった一人の行動から

私の家から10分も歩かずに着く矢勝川の堤を9月20日と10月4日の早朝、歩いてきました。
まさしく、キャンパスに描かれたような風景は感動ものです。
また、堤を歩く人々にすれ違うその都度みんながあいさつをしあうのです。
その光景にも感動しました。

『おひるがすぎると、ごんは、村の墓地へいって、六地蔵さんのかげにかくれていました。 いいお天気で、遠く向こうにはお城の屋根瓦が光っています。墓地には、ひがん花が、赤い布(きれ)のようにさきつづけていました』
「ごんぎつね」より(村の墓地は、現在の岩滑コミュニティーあたり)

童話の風景を、2km以上のキャンパスに描いた壮大な計画が、現実になった。
今では、観光の名所となり、訪れる人に感動をあたえ続けています。

ここまでの道のりは、やれないことを並べれば限りなく出てくることだったでしょう。しかし、あきらめない。大切な、ことです。