勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 106

2019-02-09 11:28:47 | 掃除
我が師 鍵山秀三郎氏から毎年、良書を4回ほど拝受いたします。
いずれも素晴らしい本ばかりで、その都度感動致しております。
その鍵山相談役は、以前から前回紹介しました月刊『致知』の巻頭の言葉であったり
対談等たくさん載っています。

すべてすごい言葉なのですが、その中でも印象深い巻頭の言葉があり、その文章を
紹介したいと思います。

勝手に思うままに 106 未来からいまを観る

現代、未来のことを見極めることは不可能
情報化の進展によって、私たちは過去の事柄について詳しく知ることができるように
なりました。その時代に秘密とされ、闇に葬られたことでさえも、真相が白日の下に
さらされてしまいます。そしてそのことを評価したり批判することもできるのです。
国家機密でさえその例外ではありません。
しかし、いま起きている事柄のすべてを、過去のことを知るのと同じように正しく知
り、誤りのない判断が下せる人は皆無でありましょう。いまのことさえ難しいのです
から、遠い未来のことについて見極めることは、至難の業です。いくら学問が進み、
科学が発達してもです。むしろ学問や化学が進むほど難しくなると思います。
人に対する評価も同じで、過去の人を正しく評価することはできても、現代の人を正
しく評価することは不可能です。
昔、奇人とけなされた人で、後世になって先覚者、偉人と称される人がいる一方で、
その時代に英雄ともてはやされた人物が、後世になって悪人のレッテルを張られる例
は少なくありません。
ヒトラーやスターリンは、当時、国内だけでなく海外からも熱烈な支持を得ていたは
ずですが、いまは自国民からも忌まわしい人間として嫌われる存在となりました。

どのような未来でありたいか
このように、いまと未来の出来事を正しく予測したり、現代の人物を正しく評価する
ことは不可能であっても、どのような未来でありたいかを明確にし、姿をはっきりと
描くことは可能です。また、期待する理想的な人物像を描くことも許されます。
百年後の二一〇六年(二〇〇六年に執筆)に、どのような国家でありたいのかを明確に
思い描くことはできるのです。そして、理想の国である二一〇六年からすれば過去で
ある二〇〇六年を分析すれば、いま考えていることや行っていることが正しいかどう
か、はっきり見えてきます。いま正しいと信じてやっていることをこのまま続けてい
って、二一〇六年にいまよりもよい国家になれるかどうかを真剣に考える必要があり
そうです。
人々は皆、豊かな暮らしを求めています。豊かな暮らしに豊富な物質は欠かせません
が、安心・安全は物質以上に大切なものであるはずです。
日本からはいま、豊かな暮らしを支える安心・安全が失われてしまいました。
安心と安全を保つために、国も巨額の費用をかけていますが、個人の負担も増すばか
りとなりました。個人が多くの費用をかけながら、それでもなお、安全と安心を確保
することがかなわなくなりました。日本人が物質的な豊かさを手にする方法・手段に
誤りがあったため、代償として安全と安心を失ったといえるでしょう。
古く縄文時代から、祖先が血と汗を注ぎ込んで培ってきた崇高な精神を、わずか半世
紀のうちに崩壊させてしまったことへの警鐘が鳴らされています。
児童虐待、家庭崩壊、知識の悪用、凶暴な犯罪など、一つひとつの因果関係を明らか
にすることはできませんが、二一〇六年の位置から俯瞰(ふかん)した時に明らかにな
るのでありましょう。
               月刊「致知」二〇〇六年五月号 巻頭のことばより

今もなお、より深い教えは変わることなく心に浸みわたります。
先日、拝受した書籍は「最高の人生のつくり方」高橋佳子著
同封の手紙に「私もかねてより大変尊敬申し上げる高橋佳子先生です。私の座右の銘
の一つであります「もらう幸せ」「できる幸せ」更には「あげる幸せ」と幸せにも3
つの段階があるということを教わった方です」とありました。心して拝読したいと思
います。

勝手に思うままに 105

2019-02-08 10:50:33 | 
久しぶりの投稿です。
この時期は、寒さが堪えますが今年は少し暖かいのでしょうか、例年より早くチューリップが
きれいに咲くニュースを目にしました。

月刊『致知』を毎月購読しています。
人間学を学ぶ月刊誌として昭和51年から現在まで月に1度発行されています。
2019年3月号は、特集が 志ある者、事竟に成る
感動する内容をご紹介します。

勝手に思うままに 105 志ある者、事竟に成る

 志ある者、事竟に成る ―― 歴史書『後(ご)漢書(かんじょ)』にある言葉である。
堅い志を持つ者は、いかなる困難に遭っても必ずその志を成し遂げる、という意味である
 古来、この言葉に感動し、心を鼓舞された人は数知れない。このほどノーベル賞を受賞
された本庶佑さんもそのお一人だろう。ノーベル賞の賞金をもとに後進を育てるべく設立
された財団を「有志竟成」と名づけられたところに、それは明らかである。
 本誌もまた、創刊時、部数が伸び悩んでいた時期に渡部昇一先生からこの言葉を教わり、
大きな励みをいただいた。渡部先生ご自身も若かりし頃、この言葉を銘とし、自身を鼓舞
してきたと伺った。

 世に志を抱いて生きた人は多い。小社刊『子どもたちが目を輝かせて聞く偉人の話』
に紹介されている人は皆、志に生きた人である。
それぞれが魅力的だが、ここでは伊能忠敬を取り上げたい。
 忠敬は一七四五年、上総国(千葉県)に生まれた。幼名は三治郎。一七歳の時、地元の
大商家である稲生家に婿入りし、名を忠孝と改めた。伊能家の跡取り娘ミチ(二十一歳)が
最初に取った婿が急死し、その後婿に忠敬が選ばれたのだ。
 忠敬は一男一女をもうけ、家業に精を出して家産を増やし、四十九歳で家督を息子の
景敬に譲った。
そして隠居後は江戸に出て幕府天文方の高橋至時に弟子入りし、天文観測の道に没頭する。
それは、忠敬の生来の夢、志だったのだ。
 詳細は省くが、忠敬は最初から地図を作りたかったわけではない。地球の広さを知りた
い、そのためにも子午線一度の長さを算出したい、という思いを募らせた、それが契機に
なって五十六歳の時に蝦夷地の測量に赴くことになる。
 これが手始めで、忠敬は七十二歳まで十七年間にわたり、北海道から九州まて、全行程
三万四千9百十三キロを測量。その測量だが、最初の蝦夷地では「歩測」の方法を採り、
一歩を六十九センチと決め、何十キロものペースで歩いたというから恐れ入る。
 この測量による地図の完成を見ることなく、忠敬は七十三歳で他界した。
「大日本沿海與地全図」が完成したのはその三年後である。
 忠敬が導き出した地球の外周と現在のGPSとスーパーコンピューターで計算した外周の
誤差は、僅か0.1%というから驚く他ない。志を長い年月温め続け、自らの役割を果た
した五十代になってそれを実行、完遂した伊能忠敬の生き方に、学ぶものは多い。  

 現代にも志に生きた人はいる。折しも『JALの奇跡』(大田嘉仁著)が出版されたが、
JALの再建に七十八歳で無給を条件に取り組んだ稲森和夫氏がその人である。
二兆三千億円の負債を抱え倒産したJALを会長就任一年で千八百億円の黒字に転化させ、
二年で二千億円の黒字を計上、二年八か月で再上場に導いた。
まさに奇跡だが、その軌跡を起こしたのは稲森氏の高い志にあったことが本書を読めばよ
く分かる。仕事に携わる人、必読の書である。
 その稲森氏は、「宇宙は知恵の蔵、真理の蔵であり、真摯に努力する者に、天はその蔵
の扉を開いてくれる」と言っている。
 真の志には天も味方するということだろう。そういう志に燃えたいものである。 以上

五十六歳から高い志を抱き、大業を成し遂げた伊能忠敬、七十八歳から僅か二年でJALを
立直した稲森和夫氏、正に志ある者、事竟に成るということを学びました。