「自分は、西行、芭蕉の道を行く者だ」と言われるのは、勝手に思うままに36で
紹介しました坂村真民先生です
その芭蕉は、「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、われ生涯いひ
すてし句々、一句として辞世ならざるはなし」という言葉を残しています。
小さい頃から体力が弱く、あまり長生きはできないと思われていた真民先生の詩魂
と通底していると思えます。
「人々の心に光を灯すこと」を念願に、詩一筋に歩んできた詩人の詩に、人生を回
天させる人はとても多いと思います。
勝手に思うままに51 幸せの帽子
幸せの帽子 坂村真民
すべての人が幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすと
やってくるものではない
時には不幸という
帽子をかぶって
やってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするのだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつもかぶらされたが
今から思えば
それがみんな
ありがたい
幸せの帽子であった
それゆえ神仏の
なさることを
決してうらんだりしてはならぬ
とても深い詩であります
わからないんですよね
自分のためになることいってもらってるのに
自分のためになることが起こっているのに
そんなとき
謙虚な心でいられたら
素直な心でいられたら
次回は、その謙虚と素直のお話です。 つづく
紹介しました坂村真民先生です
その芭蕉は、「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、われ生涯いひ
すてし句々、一句として辞世ならざるはなし」という言葉を残しています。
小さい頃から体力が弱く、あまり長生きはできないと思われていた真民先生の詩魂
と通底していると思えます。
「人々の心に光を灯すこと」を念願に、詩一筋に歩んできた詩人の詩に、人生を回
天させる人はとても多いと思います。
勝手に思うままに51 幸せの帽子
幸せの帽子 坂村真民
すべての人が幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすと
やってくるものではない
時には不幸という
帽子をかぶって
やってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするのだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつもかぶらされたが
今から思えば
それがみんな
ありがたい
幸せの帽子であった
それゆえ神仏の
なさることを
決してうらんだりしてはならぬ
とても深い詩であります
わからないんですよね
自分のためになることいってもらってるのに
自分のためになることが起こっているのに
そんなとき
謙虚な心でいられたら
素直な心でいられたら
次回は、その謙虚と素直のお話です。 つづく