勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 13

2009-10-30 10:06:41 | 平和
明日は「よい国つくろう!」日本国民会議(ホームページ→http://www.google.co.jp/gwt/x?ei=QuqySurxF5PO6wPB7ZHJCA&guid=on&output=xhtml1_0&source=m&u=http%3A%2F%2Fwww.nippon-kokuminkaigi.jp/&wsc=tc&wsi=00a4b5b5817fa8bd)に出席するため日帰りで東京に行ってまいります。 会議の様子は後ほど・・・この会の基本理念の一つに「日本人の誇りと自信と夢を回復する。」とあります。
以前読んだ「国家の品格」のフレーズを思い出しました。。「国家の品格」の著者藤原正彦氏は、作家の新田次郎氏の二男で、お茶の水大理学部教授です。「国家の品格」では「日本人には、世界に誇るべき我が国古来の“情緒と形”が大切である。」と、言います。

その第6章では、なぜ「情緒と形」が大切なのか? の中の2項目に「文化と学問の創造」のことが書かれています。

勝手に思うままに13 数学と美的感覚

岡 潔という大数学者のお話で、数学の天才学者 岡 潔氏は、奇行とも言うべきエピソードのたくさんある先生ですが、一風変わった主張の中にしばしば本質的なことがあったそうです。

フランス留学から帰ってきた直後の話に「自分の研究の方向はわかった。そのためには、まずは蕉風(芭蕉一派)の俳諧を勉強しなければならない」と、芭蕉の研究に一生懸命に励んだ。

数学の独創性には情緒が必要だと考えたのです。その後20年ほどかけて、当時彼の分野で世界の三大難問と言われていたものをすべて独力で解決しました。
毎日、数学の研究に取り掛かる前に、1時間お経を唱えていたそうです。

新聞記者からある時、「先生がおっしゃる情緒と言うのは何ですか」と訊かれ、岡先生は「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えられたそうです。   以 上

野に咲く一輪のスミレ、その可憐さに愛情を感じ、その美に感動する。それが重要なことだというのです。
芭蕉の俳句にも「よくみれば なずなはなさく 垣根かな」という 句があります。可憐にさくなずな(ぺんぺん草)に感動した句で、とても奥の深い俳句であります。その思いに近づく努力をしなければ・・・・・

勝手に思うままに 12

2009-10-29 08:25:38 | 平和
自由な発想の転換ができるということは、生活や仕事をしていく上できわめて大事なことであります。
しかし、発想の転換ということはさかんに言われるが、実際はなかなかむずかしくできないものです。
自ら自分の心を縛ったり、狭めている場合が多いです。だから大事なことは、自分の心をときはなち、広げていくということです。そしてたとえば、いままでオモテ
から見ていたものをウラから見る、またウラから見ていたものをオモテも見てみる。そういったことをあらゆる機会にくり返していくといった心の訓練によって、随所に発想の転換ができるようにしたいものです。

勝手に思うままに12  命の連係プレー

2006年11/28の中日新聞の夕刊(ずいぶん前ですが)にすてきな記事を見つけたので取っておきました。

28日早朝、愛知県大府市を走っていたJR東海道線の列車内で、心拍停止状態となった男性(57才)を、乗客らの連携プレーが救う出来事があった。

その男性のそばにいた客がすぐに車掌に知らせて救急車の手配につなげる一方、車内放送の呼び掛けで女性看護師二人が男性のもとへ。心臓マッサージをして救急隊員に引き継ぎ、男性は一命を取り留めた。

JR東海や大府市消防本部などによると、この日6時35分ごろ、同市の共和駅に停車する直前だった岡崎発大垣行き普通列車(6両編成)内で、最後尾の車両の中間付近座席に座っていた男性客が突然、通路に倒れこんだ。気づいた別の男性客が近くの運転席にいた車掌に即座に知らせ、車掌もすぐに同駅に連絡して列車を停車。救急車の手配まで2~3分ほどの素早さだった。

加えて、救急車が到着するまでの十分間、車内放送で知って「看護師です」と名乗りでた女性2人が心臓マッサージ。おかげで、駆けつけた救急隊員が、そのまま救急車の車内で蘇生処置を引き継ぐことができた。その後、病院に運ばれた男性はひとまず持ち直した。
同消防署によると「一分一秒を争う状況だった。みなさんの機転に感謝したい」と話した。  以上

ドラマのようなお話ですが、機転、発想の転換、見方を変える訓練をすることによって、機転が好転になるものです。

向かい風つまり逆風も後ろを振り変えると追い風になる。

追い風も調子に乗りすぎると・・・・ 手にしたのは得意の8番アイアン、グリーン目掛けて真直ぐに、追い風にのり大きくグリーンオーバー;; 深いラフにつかまりダブルボギー トホホ 人生の縮図のような ホールでした。 
と、こんなことを思い出しました。 (涙

勝手に思うままに 11

2009-10-28 08:18:57 | 平和
箸よく盤水を回す
満杯にしたたらいの水を、箸一本で回しても最初は箸しか回りません。
ところがその箸を根気よくあきらめずに回し続けておりますと、輪が広がり、最後には盤水、たらいの中の水全部が大きな渦になって回るようになります。決して、あきらめないことです。と言うのは、我が師 鍵山秀三郎さんです。
鍵山さんの掃除哲学を学びたいと全国、今や世界にまでそのたらいの水は大きな渦となって回り続けています。

勝手に思うままに11 落書き

いまから約20年前の1980年代、NY市では、なんと、年に60万件以上の重犯罪事件が起きていました。
当時、「旅行者はNYの地下鉄には絶対に乗るな」と言われたくらい、その治安はひどい状態でした。

アメリカのラトガ―ス大学のケリング教授は、この前回のブロークンウィンドウ理論に基づき、NYの地下鉄の凶悪犯罪の抑制に、落書きを徹底的に消すことを提案した。落書きが放置されている状態は、窓ガラスの割れた自動車と同じ状態であると考えたからです。

そして、当時の交通局のデヴィット・ガン局長は、ケリング教授のアドバイスのもと、治安回復を目指して、地下鉄治安崩壊の象徴ともいうべきこの落書きを、徹底的に掃除するという方針を打ち出しました。

落書きを消すという驚くべき提案に対して、交通局の職員たちは、「まずは犯罪を取り締まるべきだ」と猛反発しました。  確かにそう思いますよね。
落書きも問題だけども、まずは小さな問題よりも大きな問題である凶悪な重犯罪事件を早くなんとかしなければと思うのは当然の反応です。

しかし、ガン局長は、落書き消しを徹底して行う方針を断行。
その後地下鉄の車両基地では、交通局の職員によって、妬く6000もの車両の、一面に書かれた落書きを消していくという、途方もない作業が行われました。
そして、プロジェクト開始から5年後の1989年、ようやくすべての落書き消しが終了しました。

するとどうでしょう それまで増加する一方だった地下鉄での侠客犯罪の増加がゆるやかになったのです。

そして、なんと2年後には、重犯罪数が減少しはじめ、94年には約半分にまで減少。結果的にNYの地下鉄の重犯罪事件は、なんと75%も激減したのです。
その後、1994年、NY市長に就任したルドルフ・ジュリアーニ市長は、地下鉄で成果を上げた犯罪抑制対策を、NY市警察に導入しました。

NYでは、落書きを消し、歩行者の信号無視や空き缶の投げ捨てなど、軽犯罪の取締りを徹底的に続けた結果、犯罪発生件数が急激に減少しました。

今、日本でも各地でこのような活動を行っているところがあり、有名なところで新宿歌舞伎町では街が一変してしまいました。

恐るべし掃除力  

掃除のお話はまた後ほど たくさん登場します。


勝手に思うままに 10

2009-10-27 13:36:27 | 平和
いゃ~久しぶりの書き込みになりました。
1年ぶりです。何してたんだと申しますと、怠けてました。^^;

再開記念に、三浦綾子先生のお話をしたいと思います。

勝手に思うままに10 幸福論

 作家の故 三浦綾子さんの人生は難病の連続だった。
24才で突然高熱に倒れたのが発端である。それがその後、13年に及ぶ肺結核との闘病の始まりだった。当時、肺結核は死に至る病気だった。
入退院の繰り返しの中で、三浦さんは自殺未遂も起こしている。

さらに、悲劇が重なる。脊椎カリエスを併発。ギブスベットに固定され、動かせるのは首だけで寝返りもできず、来る日も来る日も天上を目にするのみ。排泄も1人ではできず、すべての世話はお母さんがした。そんな生活が4年も続いたとは想像を超える。

そこに1人の男性が現れて結婚を申し込む。光世さんである。その日から薄皮をはぐように快方に向かい、2人は結婚する。綾子さん37才、光世さん35才だった。そして綾子さんが書いた小説『氷点』が新聞社の懸賞小説に当選、小説家への道が開ける。
しかし、その後も病魔はこの人を襲い続けた。紫斑病。喉頭ガン。
三大痛い病といわれる帯状疱疹が顔を斜めに発症、鼻がつぶれる。それが治ったと思ったら大腸ガン。そしてパーキンソン病。この二つを併発。

次々と襲いかかる難病。それだけで絶望し、人生を呪っても不思議ではない。
だが三浦綾子さんは常に明るく、ユーモアにあふれていた。
「これだけ難病に押し掛けられたら、普通の人なら精神的に参ってしまいますね」というある人の質問に三浦綾子さんは笑顔で答えた。「神様が何か思し召しがあって私を病気にしたんだと思っています。
神様にひいきにされていると思うこともあります。特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと・・・・。いい気なもんですねえ。(笑)」 陽気なのである。

誰の人生にも絶望的な状況はあります。けれど、心が受け入れない限り、絶望はない。
同様に、誰の人生にも不幸な状況はあります。しかし、心が受け入れない限り、不幸はない。
三浦綾子さんの生き方はそのことを教えてくれているように思います。
その三浦さんがこんな言葉を残しています。
「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口からだし、文句を言い続けるものなのです。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜ私たちは不満をあとまわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。 あっ久しぶりに最後まで読んでいただき 感謝