勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 101

2018-08-25 09:02:31 | 
忘己利他 (もうこりた)
自分を忘れて他人のためにつくすことをいう。「己を忘れて他を利するは、
慈悲の究極なり」と禅の教えです

冷暖自知(れいだんじち)
水の冷暖は自分で飲んでみて知るように、真の悟りは修行を積み重ね、自分
で会得するものであり、体験を通じて会得をするという禅の教えです

この2つの言葉は「教員応援団」を立ち上げた森さんそのものだと思い書い
てみました。

勝手に思うままに 101 情熱 4

 この研修会の最後に、今後の本会の目指す方向を語る と題して武田邦彦
氏から持論である人生50年、人は50年生きればいい、しかしこれからは
100才まで生きることができるであろう。そのあと50年をどのように生
きていくのか、という問題提起をされました。

宗派を超えた仏教者の集い「南無の会」元会長 臨済宗の重鎮 松原泰道師
2009年 101歳で天寿を全うされました。

たくさんの教え、著書の中から

「一日一生 五十歳からの人生百歳プラン」著 
50歳、60歳の折り返し地点からが真実の自分の人生で、自分を創造するもっ
とも生き甲斐のある時代である、と著書にある。 

敗戦後の教育を受けた人が大半になった昨今
松原師の教えは、これからも受け継がれていくことを願います。

研修会終了後、慰労会が開かれました。 張会長、山本先生、武田先生、
愛知県副知事、上甲先生が参加しての会、すごいメンバーですよね。

上甲氏の隣へ座った時のこと、「これは、だれかと思えば身内ですか」と
とてもうれしい気持ちでした。その時に、この会の費用について聞かれた
ので慰労会は会費制ですが、研修会に伴う一切の費用は、森さんの自己負
担ですと伝えると、その反対隣に座っていた森さんに、「今日の私の費用
は一切いらない」と上甲氏。とても感動するシーンに出会えたし、この日
この会のキックオフに参加できたことがとてもよかったと興奮しっぱなし

次の朝早く、上甲氏からショートメールが届きました。
「昨日はありがとうございました。見知った友人がそばにいていただいた
だけで心強かったです」と、返信に、もったいないお言葉、身に余ります
と、更なる感動をいただきました。

最後に、私の思う教育論を

人と比べない教育

今の教育の在り方が横並びだ、と言われたのが慰労会でお隣に座った某市
の教育長です。私もそのように感じ合点がいきます。
テストも受験も勝ち負けにこだわり過ぎる。外からの評価に自分を委ねて
いるから本来の自分を見失う。
目先の損得やその場の空気に流され、本来の自分を見失ってはいないだろ
うか?

そういった自分自身に問いかける「自問自答」する姿勢を持ち続けたいも
のです。

冒頭の忘己利他 (もうこりた)の教えを、しかしこれが一番難しい

                 教員応援団に想う   おわり 拝

勝手に思うままに 100

2018-08-24 09:43:06 | 
100回記念

 夏季休暇、日光につづき会津若松へ足をのばしました。

会津若松も初めての地であります。 

このブログで以前に「什の掟」、ならぬものはならぬのです、を紹介
しました。會津藩校 日新館の決め事で、この掟は子供にとって仲間た
ちから受ける審問は辛いものではありますが、「お話」も「制裁」も
すべて大人たちに言われてつくったものではなく、子供たちが制約や
強制を受けずに自分たち自身でつくり、「会津武士の子はこうあるべ
きだ。」ということを互いに約束し、励み合ったのです。

そして、その高い志が、後の白虎隊となり優秀な人材を失ったこの悲
劇は、時を越え今の世に戦争の空しさと教育のあり方を伝えています。

その教育のあり方「教員応援団」のつづきです

我が師、上甲晃氏のこの日の講演は、今までの集大成のような感じを
受けたことを上甲氏に伝えると、「そうかもしれない」との答え

勝手に思うままに 100 情熱 3

 それは、どのように感じたのですか?、と質問してみた。
落語と同じや、と、関西弁で返す。???
その私の頭の上の見えない?を見つけ、付け加える。
 話をしていると聞いている人の反応がわかる。その駆け引きみたい
な会場の雰囲気は落語と同じや、と、聞き手の反応が良ければ、どん
どんのってきて、話も弾む。最後方から会場を見ていた私は、合点の
いく大盛況で、まさに情熱に火のついた人は多いのでは

 マザーテレサとの出会いを最後に話されました。
出会ったとき、1つだけマザーテレサに質問を投げかけた。
「なぜあなたは、この活動ができるのですか?」出会いの場所はインド
コルカタ、路上生活者が当時200万人多くの人が瀕死の状況の中で、
今、死にゆく人を教会に連れて行くその場所は「死を待つ人々の家」
体を洗い、きれいな服に着替えさせスープを与える。

 マザーテレサは、「彼らは、イエスキリストです」と答えた。

ノーベル平和賞のスピーチに「主よ、あなたの平和をもたらす道具とし
て私をお使いください。憎しみのあるところには愛を、不当な扱いのあ
るとこるにはゆるしを、分裂のあるところには一致を」最も貧しい人た
ちに寄り添い、手を握り、語り続けたマザーテレサの上甲氏への答えは
世界平和の道筋となることを問いかけた。


http://waratte.nosmilenolife.jp/edn/edn081220.html
↑一人、そしてまた一人
マザーテレサ 平和に捧げた生涯 

                          つづく



勝手に思うままに 99

2018-08-23 10:00:34 | 
夏季休暇を利用して初めて日光に行ってきました。
定期観光バスを利用して名勝めぐりをしてまいりました。

日光東照宮の陽明門が寛永時代の装飾技法により昨年3月に修理を終え
一番いい時期(ガイドさん曰く)に来たとのこと、日光も記録的な猛暑と
いうことでした、が、赤とんぼが季節を忘れず飛ぶ姿は、少し涼しげな
気持ちにさせてくれます。

 さて、教員応援団のつづきです

この研修会のメインでもあります。我が師、上甲晃氏の講演会です。

勝手に思うままに 99 情熱 2

 過去に上甲氏の講演は幾度となく拝聴しています。
その都度、情熱に火を燈され「よし、やるぞ」とやる気満々で持ち帰る
のですが、年と共に情熱の熱は冷める時間が日ごとに早くなるばかりで、
あの時の情熱は何処へ

 講演の内容は、松下幸之助翁(松翁)から得た教えをわかりやすく、ま
た、涙あり、笑いありで会場は大いに盛り上がっています。

 松翁の生い立ち、松翁との出会い、教え、そしてその教えを今に伝える
松翁が経営の神様と言われる経営の成功の理由は3つあると言う

一つは、学歴がなかった。松翁は、父親の米相場の失敗で小学校4年生で
中退し、丁稚奉公に出されます。わからないことは、とにかく聞いた。
周知を集めると表現していますが、聞く耳を持つということが要因であった。

一つは、貧乏であった。丁稚奉公で最初にいただいた小遣い(給与)は、
5銭、普通の家庭に育っていればたった5銭かとなるのですが、お金のな
い家庭に育った松翁はその5銭がすごくありがたく、「よし、明日からも
っとがんばろう」と思った。その時の思いをずっと後の経営に生かしていった

一つは、体が弱かった。7人兄弟の6人の兄弟は若くして重い病に亡くなり、
松翁も若くして結核を患いますが、働かなくてはお金がないそんな中、会社
を創業、しかし体はうまく動かず人の力を借りての経営が後の会社の発展に
大きく寄与した

と、熱く語る。

                              つづく







勝手に思うままに 98

2018-08-21 13:16:18 | 
最高気温40度ってインフルエンザの時の体温でしょ?
異常気象は、日本だけではなさそうで世界のいたるところで大きな変化が
表れているようです。

 さて、久しぶりの投稿は写真の内容の報告です。
私の師、上甲晃氏が主催します志ネットワークの同志(大先輩であります)が
 年配者が後世の日本の為、微力を尽くすのは責務だと思います。
子々孫々の為に豊かで平和な日本を残すには先ずは教育から。その礎を担
う先生方に学校経営や生徒指導に志を持ち元気に教育にあたって頂く先生
方を応援していきたいといった思いから『愛知県学校・教員応援団』と名
うってトヨタ元社長、相談役の張 富士夫氏を会長に発足をいたしました

勝手に思うままに 98 情熱 1

 先生方を応援したいと発案した方は、志ネットワーク同志の森さんです

今から2年半前からその思いが強くなり、今日に至るわけですが、もとも
と学校の先生をしてみえました。
先生の当時から、そうした思いが強く、何とか変える方法を考えるうちに
思い立ったのが、議員になることでした。

そんな大きな志を、今まさに実現しようとこの日まで一心不乱に活動して
きた結果が、この講演会に繋がってきました。

教員応援団 会長     張 富士夫氏
        代表理事  山本 尚氏
        代表発起人 武田 邦彦氏

錚々たる方々であります。

張氏は、トヨタの第一線で活躍された方、冒頭の会長挨拶では、実に謙虚
なお話の内容でした。
ご来場いただいた先生方はもちろんのこと、学校へのメッセージに、私
たちが共に教育の現場でお手伝いできることをこれから一緒に探し、また
出来ることをご提案いただきたい、応援したい。と、述べられました。

山本氏は、今年度のノーベル化学賞の最有力候補といわれている方で、日
本人で二人目のロジャーアダムス賞を受けられた方です。
主催者代表の挨拶の中に、過去の教育現場がアメリカと日本を行き来する
中で、アメリカの教育、日本の教育のそれぞれに長所・短所があり、それ
をうまく見つけ出し、今後のこどもたちのために何かをしたいと常々考え
ていた、そんな時期にこの話を頂き、先生たちを共に応援したい。と、述
べられました。

この日本でも超一流で活躍されているお二人のメッセージはやはり深く、
想い、重いものであったと感じました。

                           つづく