知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において陸軍特別攻撃隊
(特攻)という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当
たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時
日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が
本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、
439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧
基地から出撃しています。
知覧特攻平和会館のロビー展示場入口正面に大きな陶板壁画(高さ3m
幅4.4m)があります。
「知覧鎮魂の賦」 紅蓮の炎をあげて燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄を
6人の飛天(天女)が救い出し昇天させる姿を表したもの。
この絵を見ただけで目頭が熱くなってきます。
勝手に思うままに 110 夢ちがい観音
知覧町では、特攻勇士が身を以って示された崇高至純の殉国精神を顕彰し、
世界の恒久平和を祈念するため、旧知覧飛行場跡に特攻平和観音堂を昭和30年
9月28日に建立し観音像を安置しています。
この観音像は、大和法隆寺の夢殿に奉安してある秘仏「夢ちがい観音像」
(悪い夢を良い夢に変えてくれる)を特別のお許しを受けて謹鋳した一尺八寸
(54センチ)の金銅像で、この観音像の体内には千三十六名の特攻勇士の芳名
を謹記した巻物(9m以上)が奉蔵されており、毎年5月3日には知覧特攻基地
戦没者慰霊祭が厳粛に挙行されています。
ここにも、伊勢神宮に行ったとき持ち帰った五十鈴川の水を持っていき、観音
様の御前にお供えさせていただきました。
平和の大切さ忘れない。
今回の慰霊の旅は、太刀洗でも知覧でもたくさん涙しましたが、このブログ書
いているときのほうが泣いている。
いろんなこと思い出しながら、何だか涙もろくなったのかな~。
(特攻)という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当
たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時
日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が
本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、
439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧
基地から出撃しています。
知覧特攻平和会館のロビー展示場入口正面に大きな陶板壁画(高さ3m
幅4.4m)があります。
「知覧鎮魂の賦」 紅蓮の炎をあげて燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄を
6人の飛天(天女)が救い出し昇天させる姿を表したもの。
この絵を見ただけで目頭が熱くなってきます。
勝手に思うままに 110 夢ちがい観音
知覧町では、特攻勇士が身を以って示された崇高至純の殉国精神を顕彰し、
世界の恒久平和を祈念するため、旧知覧飛行場跡に特攻平和観音堂を昭和30年
9月28日に建立し観音像を安置しています。
この観音像は、大和法隆寺の夢殿に奉安してある秘仏「夢ちがい観音像」
(悪い夢を良い夢に変えてくれる)を特別のお許しを受けて謹鋳した一尺八寸
(54センチ)の金銅像で、この観音像の体内には千三十六名の特攻勇士の芳名
を謹記した巻物(9m以上)が奉蔵されており、毎年5月3日には知覧特攻基地
戦没者慰霊祭が厳粛に挙行されています。
ここにも、伊勢神宮に行ったとき持ち帰った五十鈴川の水を持っていき、観音
様の御前にお供えさせていただきました。
平和の大切さ忘れない。
今回の慰霊の旅は、太刀洗でも知覧でもたくさん涙しましたが、このブログ書
いているときのほうが泣いている。
いろんなこと思い出しながら、何だか涙もろくなったのかな~。
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