勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 40

2010-01-29 09:13:21 | 平和
日々の生活の中で、必要とするものは限られますが、今までに出会ったことのない、
モノだったりご縁であったりすると、上には上がいるものだと思い、日本もマンザ
ラ捨てたものではないなって、うれしくなります。
上には上がの、私の中ではかなり上の人物のお話・・

経営の神様と言われます松下幸之助翁(松翁)は、私にとって多くの知識・知恵を
いただいたお方であります。今後も度々、松翁のお話をしたいと思います。

 PHP総合研究所研究本部の研究室には松下幸之助に関するさまざまな資料が集めら
れています。
録音テープが三千本以上、すべて松下幸之助が生前話をしたもので、テープの延べ
時間数は、1本平均1時間として三千時間となります。
実際には1時間以上のものが多いので、時間はもっと多いはずです。

仮に三千時間として、毎日一時間聞いたとしたならば、八年以上かかります。
しかも研究所にあるテープは松翁が57歳以降の、その折々に録音したものに限られ
るものです。

PHP総合研究所の江口氏は松翁の「考える作業」の考える座標軸には横軸と縦軸があ
ったそうです。

横軸は「周知」縦軸は「根源」と『松翁論語』のまえがきに書いています。
また、孔子と老子の思想に大変影響を受けたことにも触れています。

勝手に思うままに40 松翁論語1

407 松翁ある人に次のように言われた。
 一生懸命やると言うだけではいけない。つねに新しい工夫、
新しい道を求めてやまない心がなければならない。

とあります。

まさに今、その大切さが身にしみております。

勝手に思うままに 39

2010-01-27 09:53:46 | 平和
「いのちは地球より重い。子どもは国の宝である」といわれてきました。
一方で新聞、テレビでは、いじめ・虐待・犯罪・家庭崩壊・子どもの人権などが
連日報道されています。そして、いつしか私たちも、いのちが失われること、
ハンデを持つ子どもが普通に暮らせないことを、日常の出来事として受け流して
いるようにも感じます

いのちを大切にハンデを持つ子どもを支えることが心優しく明るい社会を築くのです。
 と唱えるのは、私の同志の鈴木中人さんです

鈴木さんは、愛知県の出身で1981年にデンソーに入社、92年に長女の小児
ガンを機に、小児ガンの支援活動やいのちの授業に取り組み、05年に早期退職し、
いのちをバトンタッチする会を設立

勝手に思うままに39 いのちのバトンタッチ

いのちをバトンタッチする会は、いのちの大切さを教育・啓発する。
また、病気や障害の子どもの支援活動を通じて、「いのちを大切にする家庭、地域、
社会を築く」ことを願う人々が集い、平成17年3月15日に設立されました。
 その活動の柱として、いのちのバトンタッチをテーマに、いのちの大切さを子ど
もたちに語り継ぐ、親子で語り合う、親が子育てを見つめ直す「いのちの授業」を、
会代表の鈴木中人氏が取り組んでいます。

授業は、いのちのクイズ・体験談・インタビューなどで構成され、小児ガンで死ん
でいく少女と家族の姿を通じて、生と死に向かい合います。そして、いのちとは何か、
何を大切にするのかを自問自答しいのちの輝き・家庭の絆をバトンタッチします。

学校に行きたいと、モルヒネを飲みながらベットで勉強する少女。
かぜをひかないようにと、死んでしまった子にタオルケットをかける母親。親より
絶対に先に死んではいけないと訴える父親。
そして、生き抜く・支えあう・ありがとうの意味の大切さ・・・・・・。

中、高生は、大粒の涙をボロボロ流し、話に聞き入ります。それほど心に響き、
いま何をしなければいけないか、自分に足りないものは何か・・・
きっと見つけることができると思います。
感性の強い子どもたちに、ぜひ聞いていただきたい。親たちに、大人に聞いてい
ただきたい。

3月1日(月)に半田市 アイプラザ半田 18時より 
骨髄バンクチャリティーコンサート(入場無料)
ダウン症の天才ピアニスト越智さんのすばらしい演奏と骨髄移植をされ元気に
活動してみえる 大谷さんのトークショー 時間に都合がつくようでしたら
是非みにきてください。

勝手に思うままに 38

2010-01-26 09:27:59 | 平和
月刊「致知」21年2月号に北 康利氏(作家)のお話が載っていました。
内容は、福沢諭吉の目指した道はなにかを、丁寧に紐解いたものです。
わが国の文明開化における最大の功労者であり、近代日本人に精神的支柱を与え
たとされ、今、現代人が最も注目すべき人物の一人として福沢諭吉の評伝をお書
きになっている北さんは、諭吉が生涯を懸けて訴えようとしたことの本質を、
「国を支えて、国を頼らず」の一言で表現されました。

勝手に思うままに38 学問のすゝめ

福沢諭吉といえば、「天は人の上に人を造らず」で始まる『学問のすゝめ』が有
名ですが、そこに書かれている内容について知る人は、現代には少なくなってい
ます。

書名を見ると、学問奨励をやさしく説いた本のようにも思えますが、諭吉は本書
で、国民は自分の勉強不足を棚に上げ、政府に対する不満ばかりを口にしてい
る、と批判し、「この程度の国民だから、国家もこの程度なのだ。学問をしろ、
馬鹿者どもめ!」と頭から冷水を浴びせたのだと、北さんは言われます。

諭吉の中には、「物事を変える時には、アジテート(扇動)しなければいけな
い」という考えがあり、激しい講演活動も行っていた彼は、命を狙われたことさ
えありました。
しかし、これで命を取られるなら本望だ、と涙ながらに語り、国民を啓蒙し続け
たといいます。
立国は私なり、公に非ざるなり――。
「国を支えていくのは、志を持った一人ひとりの国民である」私たちはいまこ
そ、福沢諭吉の志の原点に立ち返り、徳のある国づくりに向けて、新たな一歩を
踏み出さなければいけない。 という言葉で締めくくられていました。

私は、自民党、民主党が与党となり、取った政策等はやはり国を良くしていこう
というものであったと思います。
しかし、もう今となっては今まで通りではダメな時代になったのではないのでし
ょうか。敗戦後と今とでは何もかもが全く違うように、国づくりももっと国民が
支えていくという気概を持たなければいけない時期になってきた。
そんなことを強く感じます。
                  





勝手に思うままに 37

2010-01-25 08:59:52 | 平和
私が師事します掃除の先生、鍵山秀三郎氏に以前お言葉をいただいたことがあり、
それを自分の本の裏表紙に書いていただいた言葉が、「心あるところに宝あり」です。

たかが掃除と思って取り掛かるのか、今日も何か新しい発見をするぞ(宝を見つ
ける)と取り掛かるのか、心のあり方ひとつで大きく違ってきます。
今日はすばらしい若者のお話です。

勝手に思うままに37 荒川祐二さんの勇気

まだ夜が明けきらない二月の朝六時、新宿駅東口前広場の掃除をしてくれている
若者たちの姿が目に入ります。その中の一人の背中には、「お手伝いをしてくれ
る人募集中」と書かれたダンボールの看板がくくりつけられています。
その呼びかけに応じて集まってきた人たちは、皆さんが大学生ですので、その日
によって人数は異なります。
しかし、常連ともいえる人たちによって、東口一帯がきれいに掃き清められています。

今冬は暖かかったとはいえ、夜明前の街頭は冷え込んで、濡れたゴミを分別する
手先は凍えてしまいます。
そうした中で、黙々と掃除に取り組む若い人たちの姿には頭が下がります。
この人たちはとても格好がいいと思います。
そして身なりだけを飾った上流気取りの人たちより素敵な姿であるとも思います。
また、このような人たちが現れてきたことに、日本の将来への光明を見出すこと
ができます。

看板を背負った大学生の名は荒川祐二さん。
昨年十一月、ただ一人で掃除を始めた荒川さんの勇気に敬服します。
ダンボールで作った看板を背にして公衆の面前に立つ勇気を、皆さんはお持ちで
しょうか。

外の掃除といえば、自分の住まいや職場の周囲を掃くだけでも人の目が気になり、
ちょっと躊躇(ちゅうちょ)するものです。ましてや、まったくかかわりのない
場所で、好奇の目にさらされる中での行いは、よほど志と真の勇気を備えた人で
なければできないことです。
掃除に限らず何事でも、大勢の中の一人としての行いは、比較的気が楽なものです。
衆を頼むという心理が働くのと、周囲の目が自分だけに集中しないという気安さ
もあります。

それに対しても、普通人がやらないことを一人で実行すると、衆目を一身に浴び
ることになってしまいます。
体験者なら誰でも知っている通り、これは耐え難いほど辛いことであり、とても
緊張を強いられることであります。
その場に立ってみなくても、想像するだけで大変なことであるとわかっていただ
けるでありましょうその大変なことに取り組んだ、荒川さんの志と善行を踏みに
じるように、遠くから冷笑したり嘲笑する人が少なくありません。

時には、せっかく集めたゴミを蹴散らすような輩(やから)さえ現れます。
自分が良いことをする勇気を持たず、実践できない人間は、善行をなす人の妨害
をすることに情熱を燃やすしか能がないのでありましょう。

せっかくの善意を打ち砕こうとする悪意に対して、いつも笑顔を絶やさずやり続
けることは並大抵のことではありません。

荒川さんの不屈の精神に賛同して協力を申し出てくれた仲間が現れたことは、荒
川さんにとってはもちろんのこと、社会にとっても一大朗報となりました。
(3年前の話ですから 今では全国各地から集まってきます。)

“いまどきの若者は”と決め付けている人もいますが、各地で若者によるこうし
た活動が行われています。そうした現実もよく見てほしいと思います。

勝手に思うままに 36

2010-01-23 08:26:12 | 平和
人々に感動と生きる勇気を与え続けている国民的詩人・坂村真民先生
森 信三先生によって、詩作の真価と魅力を世に紹介された。
「鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ」20年12月11日98歳のいのちを生ききった真民先生は、私たちを見守るため、紺碧の大空を羽ばたいておられるのでしょうか。

混沌とした世の中ながら、次代に託す人々のためにも、自分らしく、今を生きてほしい・・
という師のメッセージを強く感じます。

勝手に思うままに36 念ずれば花ひらく

念ずれば花ひらく  坂村真民

念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうして
そのたび
わたしの花が
ふしぎと
ひとつ
ひとつ
ひらいていった

   以 上

大切なことは、念ずること
念じなければ、事は始まらず、事はうまくいかず
成功しない。 あきらめず念ずること とても大切
なことです。

勝手に思うままに 35

2010-01-02 11:01:54 | 平和
守るもの
池間哲郎さんが書いた本「あなたの夢はなんですか?私の夢は大人になるまでいきることです」の紹介です。
池間さんは、ボランティアで発展途上国に井戸を作ったり学校を作ったりしています。
ボランティアで大切なことが3つあります。
1.理解すること       わかる、知ること
2.少しだけ分けてください  100%はいりません0.1%だけでいいんです
3.一番大事なボランティアとは、誰かのためとか、人のためとか、世の中のためとか、社会のために何かをするということではない。一番大事なボランティアは、自分自身がまず、一生懸命に生きること。
エピローグにて書かれていました。

勝手に思うままに35 大人になるまで生きること

フィリピンの首都マニラのトンド地区にスモ―キーマウンテンがあります。管理者会議でも以前紹介したことがあるのですが3年も前のことであります。そこではゴミを漁って生活をする人々がいます。その子供たちにインタビューをしたのです「あなたの夢はなんですか」少女はニコニコしながら答えました「私の夢は大人になるまで生きることです」それを笑顔で答えられたので余計に胸に突き刺さりました。と、語るのは池間哲郎さんです。その子供の写真がうまく撮れたので、1年後持っていったのですが、子供の姿はありませんでした。
多くの子供は栄養失調で亡くなります。「生きたい」「生きたい」と願っても、大人になるまで生き延びるのが困難な子供たちがいるのです。

ある日、ゴミ捨て場の子供たちと池間さんはピクニックに出かけました。弁当を池間さんのおごりで、それは子供たちにとって今までに見たことも、食べたこともないほどのご馳走でした。
昼食の時間、弁当のフタを開け中身を見た子供たちは大喜びしかし、全員が弁当のフタを閉じて、食べようとしません。
6歳の女の子が今にも泣きそうな顔で「おじさんにお願いがあります」と「なんですか」と聞くと、「こんなごちそうを私だけで食べることはできません。お家に持って帰って、お父さん、お母さんと一緒に食べていいですか?」腹ぺこの状態なのに我慢してお父さんお母さんにもごちそうを食べさせたいというのです。
貧しくても、家族の絆、親子の愛の深さに感心します。

私たちは、ものすごく豊かな社会で生活しています。
物がありあまり、毎日の食事に困ることもありません。
しかし、人を愛する心、家族の絆、生きる力など、人間として大切にしなければいけないことを忘れがちになっているのではないでしょうか。豊かさを否定するものではなく、失ってしまったものの大きさも考えてみる必要があるのではないでしょうか。
守るもの・・・人を愛する心、キズナ、生きる力 まずは自分自身 大切なことです。 

勝手に思うままに 34

2010-01-01 10:52:23 | 平和
明けまして おめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。
私の今年のテーマ「守るもの」
それは、家族であり、社員であり、お客様であり、地域の人であり、困っている人等々守らなければいけないことはたくさんあります。安心・安全のない生活はしあわせとはいえません。私の人生のテーマ「みんながしあわせになること」その実現に向けて、当たり前のように生活をしていましたが、少し掘り下げて今年1年考えて生きたいと思っています。

勝手に思うままに34 人は人によりて人となる

1920年、インドのミドナプール付近で、狼と共に暮らしている2人の少女が保護されました。発見当時の年齢は不明ですが、この二人の少女を人間社会に融和させるために、多くの人々が愛情を傾け、様々なことを試みました。しかし結局、「人間」には戻れなかったといます。

人が人らしくなる。それには人としてこの世に生を享けただけでは不可能です。数多くの人の手をわずらわせ、育てられ、初めて人間らしくなれるのです。両親を通してこの世に生を享けたのち、気の遠くなるような時間と溢れんばかりの愛情を注がれて、ようやく「人」に近づくことができるのです。

時おり、心違いをしている方に出会うことがあります。「今日の自分があるのは、すべて自分自身によって築き上げてきたものである」と。おそらく「俺は凄まじい生き方をしてきた」という自負があり、それは周囲も認めるところなのでしょう。
しかし では、その命は誰から頂いたのか、誰に食べさせてもらったのか、誰にここまで導いてもらったのか。自分でつくり上げたものなど、何もなし。すべては頂きものです。

考えるまでもなく、私たちは多くの人によって生かされているのは必定。様々な人と出会い、その出会いを通して日々磨かれているのです。「あの人のあの一言のおかげで助かった。あのときの導きによって今の自分がある」という感謝の出会いが大半であります

その時、その場の自分にとって、最も大切な人と出会うのです。
しかし、その出会いを良い出会い、悪い出会いにするには、自分の心のあり方、心の持ち様であります。

家族のキズナ、親子の愛 今ではこのことについて各家庭で会話しなくなったのでしょうか? 日本人のあまりにも豊かな生活の中では、気づかずに忘れ去られていってしまうのでしょうか