勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 4

2008-08-25 09:16:16 | 平和
少し朝夕が涼しくなってきました。異常気象は、深刻な警告なのでしょう。
異常気象も、未来の子供たちへのツケとなってしまうのでしょうか。

勝手に思うままに 4 美しい心

阪神大震災のあと、一番先にポーランドの救助隊が駆けつけた。
初代ワレサ大統領の外国訪問の第一は日本だった。

ポーランドは、ロシア、プロシア、オーストリアに歴史的に攻められていた。
ロシアにやられると、多くの人がシベリアに送られた。
ロシア革命の混乱期ポーランドに戻ろうとしたがロシア兵に妨げられ殺されそうになった。
子供だけでも助けようと、そのとき「日本は子供を花のように大切にする」と聞いたことのあるポーランド人が日本を頼った。
ウラジオストックから東京、大阪へ750人送られた。
死にそうなくらいひどい栄養失調だったが、献身的な看護婦たちが面倒見て誰一人死ぬことなく元気になり帰国した。
帰国の船に乗るとき、親を亡くした子供たちは看護婦さんにすがりつき、君が代を歌った。
彼らはポーランドがある限り、日本に何かあれば恩返しをしたいと誓った。
だから阪神大震災のとき真っ先に駆けつけた。
天皇がポーランド訪問したとき、ワレサ大統領が会う前に、シベリアから生き残って帰国した3人が謁見した。
感謝の言葉を述べて美智子さんの手を握り離さなかったという。

「日本人ほど正直と誠を大切にする民族はいません。私はそのことに感動します。」という、中国社会科学学院日本研究所の教授である崔 世広氏の話に、通じるものがでてきます。

君が代を歌わない先生たちもいるとか、国に誇りのない指導者が増えてきているような気がします。

自分の国に 誇りを持つことは とても大切なことであります。

勝手に思うままに 3

2008-08-22 22:24:23 | 平和
私が師事いたします、志ネットワーク代表 上甲晃さんに聞いたお話です。

明治時代に公務を終えたトルコの軍艦が、帰国するときに嵐に遭って潮岬の辺りで座礁してしまいました。血だらけになったトルコ人達は必死で海岸にたどり着いたところをその村の人たちは嵐の中、必死に救助しました。その当時、外人なんて滅多に見たことがなく、ましてや血だらけの状態は恐怖でもあったにもかかわらず救助を続けた。その後も助けた人たちの介護を続けましたが、村は貧しく自分たちの食料もままならない状況のなかで介護を続けました。 しばらくして、事故に気づいた明治政府が、援助の手を差しのべ、助かった人たちを無事にトルコに送ることができました。 

1985年のイラン・イラク戦争のときイラクのフセイン元大統領が、「今から48時間後にイラクの上空を飛ぶ飛行機は民間機であっても撃墜する」という声明を発表しました。戦争が始まるということで、現地の日本人はイランから脱出しようとしたのですが、日本政府は対応が遅れ、飛行場にある飛行機も各航空会社は自分の国民を乗せるだけで精一杯で、日本人が乗れる飛行機はありませんでした。
そのとき、時間ぎりぎりにトルコの民間機が到着して、日本人を救出してくれました。外務省がその事態を問い合わせるとトルコ政府は、「私達はエルトゥール号の高邁な日本人を忘れていない。だから日本人が困っているのを知って助けにた」と。和歌山県の潮岬にトルコ記念館があり、いまでもその物語を展示説明しています。また、トルコでは教科書にもエルトゥール号の話が載っているそうです。 現在では少し希薄になった高邁な精神を持った日本人。 自分の身を犠牲にしてまで人のために尽くす。 見返りを求めない心 大切にしたいです。     拝

勝手に思うままに 2

2008-08-21 09:21:25 | 平和
 2008年8月13日から16日の4日間に渡って長期キャンプが実施されました。
場所は三重県四日市市 宮妻峡キャンプ場。
私は団員として参加し、野営長という大役を仰せつかった。
初日の夕方に1~2時間 雨が降ったが後は、晴れたり曇ったりの天気。
私達は、本部を8時出発。 スカウトたちは9時に名鉄住吉町駅を出発。
ベンチャー隊は、個々に公共交通機関を乗り継ぎ、全スカウトとリーダー
はキャンプ場麓のバス停から徒歩で(道が細いためバスが入れない)1時間
かけてキャンプ場に到着。
今回は、蛭が大量に発生しているとの下見情報もあったり、重要なリーダー
や団員さんが欠席ということもあって、全員が緊張しながらのスタートとなった。

おそらくこれまでの長期キャンプの中で団員さんは一番動いたのではないでし
ょうか。 大変お疲れ様でした。 私にとっても今回の長キャンは思い出深いも
のになりました。 また、この達成感が格別のものになりました。

長キャンの最中にリーダーや団員は、スカウトたちが寝静まったころからその
日を振り返り反省会を行います。 疲れた心、体を癒す時間でもあります。

前説でもあったように、やることが多いというか(多く感じる)そんな気持ちに、
不安、あせり?、いろいろ重なったのでしょう。 感動に涙ぐみ、自分の気持ち
を伝える姿に、こちらもうるうるとなってしまう、そんな一幕もありました。

私は思いました。 今回を一言で言うと「人間万事塞翁が馬」とみんなに伝え、
この大人たちの背中を見て子供達に育っていってほしい、そして、未来のリー
ダー達に、この頃の団員やリーダーは何をやっていたのだといわれないために
も、我々ができることを力をあわせてやっていきましょう という内容を話した。
重要なリーダーや団員さんがいない分、 デンリーさん カブ隊隊長が大変だ 
という事前から不安で一杯の中 スタートし やれば以外に簡単にできていく。
時間にぼわれることなく順調に進んでいくし、炊事場も和気藹々と快適な場所
になっている。 大変だと思っていたが、ふたを開ければ以外にできるじゃな
いかと。 とてもいい感じにことが進んでいき、その達成感に感動。
富や名誉や地位、お金で手にする感動とはほど遠い 心から感動できた とても
貴重な時間でした。
                               拝

勝手に思うままに 1

2008-08-20 17:46:51 | 平和
 日頃 感じたことや思い、学びから得たものや良書の紹介等々勝手に思うことを書いていきます。楽な道を歩んだり、不正のつけは夢や希望ある子供達にすべて振りかかっていきます。私達にできることをみんなで考えていきませんか?

初回は、月刊「致知」の2002年9月号で向野幾世さんが紹介した詩です。

勝手に思うままに 人生のテーマ

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細かいうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

作者は山田康文くん。生まれたときから全身が不自由、口も利けない。
通称やっちゃん。そのやっちゃんを養護学校の先生であった向野さんが抱きしめ、彼の言葉を全身で聞く。向野さんがいう言葉がやっちゃんのいいたい言葉だったら、やっちゃんがウインクでイエスのサイン。ノーの時は舌を出す。気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれた。
そしてその2ヵ月後、少年は亡くなった。
自分を生み育ててくれた母親に報いたい。その思いが少年の人生のテーマだったといえる。
短い生涯ながら自分は見事にそのテーマを生ききり、それを一遍の詩に結晶させて、逝った。
生前、ひと言の言葉も発し得なかった少年が、生涯をかけてうたいあげた命の絶唱。 この詩が私たちに突きつけてくるものは重い。
人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、といわれます。
その一個の天真を深く掘り下げ、高め、仕上げていくことこそ、各人が果たすべき人生のテーマといえるのではないでしょうか「我行精進、忍終不悔」-わが行は精進して忍んで終に悔いなし。
『大無量寿経』の言葉である。永遠の人生のテーマがここにある。
  
いやだから「や~めた」とか「後からやろっ」これは自分との約束を守らない、普通の自分なのでしょうが、いやなことに立ち向かう、いやなことを進んでやる。
やり遂げたあとの達成感や、清々しさの大きさが違うと思います。 
                                  拝