勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 81

2011-10-20 06:05:42 | 平和
 東日本大震災で、釜石では市全体で約千三百人が亡くなったが、学校の管理下になかった五人を除いては全員が生き残ってくれた。さらにその三千人の小・中学生の親を調べてみると、亡くなったのは四十人程度で、全体から見ても少ない数となった。
これは子供を通じて行った親や地域への防災教育の取り組みや “津波てんでんこ”の話がうまく伝わった結果ではないかといわれている。

 東北地方には“津波てんでんこ”という言い伝えがある。 津波がきたら、てんでんばらばらに逃げないと 家族や地域が全滅してしまうという教訓です。
 しかし、これを本当に実行できるだろうか。例えば地震がきて子供が瓦礫の下敷きになっていたとしたら、たとえ津波がくることが分かっていたとしても、たぶん私は逃げないと思う。どう考えても逃げることなどできない。にもかかわらず、先人はなぜこんな言葉を残してくれたのだろう。
 
勝手に思うままに 81 てんでんばらばら

 おそらくこの言葉には、津波襲来のたびに、家族の絆がかえって一家の滅亡を導くという不幸な結果が繰り返されてきたことが背景にある。と、語るのは群馬大学大学院教授 片田敏孝氏
その苦渋に満ちた思いとともに我々の先人が残してくれたのが、“津波てんでんこ”という言葉ではないか。
 その意味するところは、老いも若きも、一人ひとりが自分の命に責任を持てということ。
 そしていま一つの意味は、家族同士がお互いに信じ合っていることが大事だということではないだろうか。
 子供は、お母さんは必ず後からちゃんと迎えに来てくれると、お母さんを信頼して逃げる。
 一方、お母さんは、子供を迎えに行きたいが、我が子は絶対逃げてくれているという信頼のもと、勇気を持って逃げる。
 これは家族がお互いに信用し合っていなければできない。
 “津波てんでんこ”とは、自分の命に責任を持つということだけではなく、それを家族が信じ合っている。そんな家庭を築いておけ、という意味ではないだろうか 以上

いざというとき、家族お互いに危険なところから逃げるから、必ず逃げてね という話し合いを 確信がもてるようになるまで十分にすることが、防災には大切なのですね。

勝手に思うままに 80

2011-10-19 06:01:40 | 
ふりつもるみ雪にたへていろかえぬ松ぞををしき人もかくあれ
この歌は、昭和天皇が終戦時にお詠みになられた、お歌です。
敗戦後、占領という日本にとって未曾有の過酷な試練に耐えて、寒い雪にも緑の色を変えぬ、あの松のように変わらぬ節操を貫くようにと、国民をお励ましになられたお歌です。

人生は未知との出会いです。「未曾有」と形容される大震災、不況のまっただ中、かつてないほど、大変な状況になってきました。
希望は決してなくならない、と言われるのは、聖路加国際病院理事長 日野原重明氏のインタビューから

勝手に思うままに 79 角砂糖二つの幸せ

 不況なら、不況の中で暮らしていくことを覚悟し、その中で楽しみを見つけるのがいいんじゃないかと。
収入が減って、ご馳走があまり食べられなくなるけれど、お芋一個でも、ありがたくいただこうと発想を変えればいいじゃないかと。

 戦時中、アメリカ大使館に往診をしていたことがありました。あるとき、病気に罹られていた大使の公邸に行ってみると、奥さんがぼくにコーヒーを入れてくれました。
 お皿には角砂糖が三つ。当時の日本では、砂糖はめったに手に入らない貴重なものです。
だからぼくは、一つだけコーヒーの中に入れて飲んで、奥さんがキッチンに言っている隙に、ほかの二つをサッとポケットに入れたのです。それで電車に乗って、大事に大事に家に持ち帰って、家族で分けて食べた。それは、なんとも幸せなひとときでした。
 たった二つの角砂糖で、人はこんなにも幸せな気持ちになれると、あのとき、僕は知りました。
どんな時代、どんな状況にあっても、幸せや喜びを見出すことはできるはず。
そのためにも、現状をあきらめずに、その中でできることをがんばることが大切なんだと思うんです。 以上

心に希望を持ち、現状をあきらめないことで、未知の世界は明るく開けていくことを教えてくれています。 拝

勝手に思うままに 79

2011-10-18 06:08:59 | 
 3月11日(金) 東日本大震災が起こりました。
12.13日報道を通じて刻一刻と、大変な状況に身が震えました。

翌週、すぐに半田市長へ直接電話をいたしました。

「何か半田市として支援物資を送りましょう」と伝えました。
震災後 すぐに半田市から救援隊が被災地へ駆けつけていて、半田市長は現地の情報をいち早く収集していました。
「物資を持っていっても被災地で受け取る体制ができていないのでもう少し待ってください」とのことでした。
その週の金曜日 市役所防災課の課長から 被災地で受け取れる用意ができましたとの連絡を受け、市から市民へ支援物資を集めました。

募集した支援物資は7品目。 まず先発隊が物資を被災地へ届けにいきました。
ところが、被災地ではすぐに必要な物資が19品目あるという。 いまから市民にお願いすることもできず 困り果てました。

勝手に思うままに 79 いざというとき

私は半田ロータリークラブの会員であります。
半田ロータリークラブは創立60周年を向かえ記念事業を計画していました。
私も60周年実行委員会の一員として活動していました。
そのとき、東日本大震災は起こり、計画は縮小、中止といった状況を取り、そのお金を義捐金にあてるという計画変更を打ち出しました。
そこで、私はその一部のお金を支援物資に当ててもらえないかとお願いしました。

その予算 100万円を出してくれるというのです。 その日にお願いして100万円を支援物資の予算に当てていただき、また、仕入れる業者(メンバーもいる)の方々も安価に提供していただいたおかげで(実質150万円分の物資が集まった)、集めることが困難であった19品目の支援物資を調達することができました。 普段、ロータリークラブって本当に奉仕団体なのかなーとか疑問に思うところも多々ありましたが、「いざというとき」の力が真の力だとこのとき感じました。
普段は、謙虚な活動をしているが、いざというとき力を発揮する とてもスマートな団体でありました。
被災地では、ロータリークラブの支援物資に歓声まで上がりました。
本当に困っていたんです。 その時期まで被災から下着すら替えていない人もいるのです。 物資を仕分けする人たちは被災地のボランティア 全員被災者なのです。
黙々と作業する姿に心が痛みます。 つづく

勝手に思うままに 78

2011-10-17 06:10:27 | 掃除
 久しぶりに西三河掃除に学ぶ会に参加をしてきました。
10月15日、社員さんと一緒に 碧南市立南中学校のトイレを磨いてきました。

 トイレ掃除をしている時間というのは実に清々しく、本当に心が洗われる、磨かれるといった気持ちでした。

 また、中学生と一緒にトイレ掃除をすることで、中学生からパワーもいただき、感想発表での感動もいただき、いいことばかりであります。

勝手に思うままに 78 掃除に学ぶ会

掃除に学ぶ会は、岐阜県の日本大正村が発祥の地であります。
今年で、第20回年次大会が10月22.23日にあります。
イエローハット創業者の鍵山秀三郎様の心願、「世の中から心の荒みをなくしたい」から誕生しました。
この活動に参加された人は、「気づき」が広範囲に、深くなります。
その気づきが実践(ここがすごい)され、習慣化されれば、さらに世の中が明るくなっていく。

2007年には台湾で、世界大会が行われ(写真)、日本から500人以上の人が台湾へトイレ掃除をするためだけにいきました。(私たち夫婦も参加)

今では、ブラジル、中国、ニューヨークと全世界にこのすばらしい活動が広がりつつあります。

掃除に学ぶ会で、一番心に残る場面は、掃除が終わってからの感想発表会です。
生徒、先生、保護者の感想を話す姿(涙ぐみ話す姿)や、話に もう大感動。

有意義な一日を社員さんと過ごすことができました。 拝

勝手に思うままに 77

2011-10-14 06:40:11 | 
 私たちは決して自然の摂理に逆らうことはできません。
自然の中に生かされその自然に感謝し、自然を大切にしていかなければなりません。

当たり前の生活が、とても幸せなことであることを 自然の摂理の中で証明され、自然の中に生かされている感謝の心は、思いから、形に変えていく そんな時期にきたのではないかと感じています。

 心に響くお話を、東日本大震災で被災されました方々から聞きます。
耳から伝わる感動は、心を温かくし、心に染み渡ります。

言葉によって 心に変化をもたらす その意味をヘレン・ケラー女史が教えてくれました。

勝手に思うままに 77 心の光

 目が見えない、耳が聞こえない、口がきけないという苦しみをもつヘレン・ケラー女史が八十歳になった時にインタビューをうけられたそうです。「もし神様がどれか一つを叶えてくれるならば、あなたは見えるようになりたいか、聞こえるようになりたいか、喋れるようになりたいか」と聞かれたそうです。その時、ヘレン・ケラーは「私は耳がほしい」と、こう答えたというのです。聞いた人はびっくりしたそうです。「目が欲しい」と言うに違いない。一目瞭然という言葉があるから。山というのはこんな形なのか、緑というのはこんな色なのか、なによりもすでに亡くなった父母の写真をみることができる。だから「目が欲しい」というと思ったら、「耳が欲しい」と言うのです。それで「その理由はなんですか」と聞いたら、「心に光が入るのは耳からだからです」と答えたそうです。

 80年間彼女が求め続けてきたものは「光」であったはずです。
その「光」とは、電気や太陽の光ではなく、心に灯る光が本当の光である。 
80年間、闇の中に追い続けた真実の光は心に灯る光だったのです。

 

勝手に思うままに 76

2011-10-12 06:07:37 | 平和
8月29日 野田佳彦氏が総理大臣になりました。
野田氏は、松下政経塾の出身で、塾生時代のことをよくわが師 上甲さんにお聞きしました。
松下政経塾に入った動機は、「学生時代、政治部の記者になりたいと思っており、そんな折にロッキード事件があり、松下政経塾が創設されたので、政治の世界に入り、直接政治を正したいと思った」と、今もその志は変わることなく正義感を持って政治の現状を正していることと思います。

今 日本丸の船上では、今日の料理の献立とか、どんな服を着たらいいのかといった目先のことを 決め合い、その結果にけちを付け合う。 しかし。船底には大きな穴が開いており、浸水して、今にも沈没しそうな状況であることは、もちろん知っているのに・・・・

勝手に思うままに 76 モノの見方

中日新聞中日春秋より

しばらく前、複数の有名企業が導入すると発表して「英語の社内公用語化」が話題になった。日本にいる日本人同士までが英語で議論する、というのは少々滑稽なきもするけれど、ある調査でも、半数以上の人が、最近、ビジネス上で英語の重要性が増したと感じていると答えている。
やはり、経済のグローバル化ゆえだろう。換言すれば、言語も含めて世界標準に適合しなければ取り残される、という危機感。

『進化論』の島になぞらえて、技術が日本国内だけで独自進化することを指す「ガラパゴス化」なる言葉を昨今よく聞くのも、多分、同じことだ。

ところで、少し前の記事によれば、来年6月にイタリアで開かれるベネチア・ビエンナーレ美術展の日本館展示テーマは『超ガラパゴス・シンドローム』であるという。つまりは「超ガラパゴス化」。
出品作家に決まった長野県在住の現代美術家、束芋さんが、そのココロを語る。
「『井の中の蛙大海を知らず』という中国古典由来のことわざに『されど空の高さを知る』が日本で加わったとされる。この負け惜しみみたいな発想が面白い」。

井戸は海よりもうんと狭いと評するのは平面に広がる「標準」の視点。開き直って。空をじっと見上げるのは垂直に伸びる「独自性」の視点。確かに、単なるガラパゴス化を「超」えていく道は、むしろ後者にこそあるのかもしれない。   以上

少し視点を変えただけで、限りない可能性を感じました。

勝手に思うままに 75

2011-10-11 06:00:00 | ボーイスカウト
1年ぶりの投稿です。

東日本大震災で被災されました 皆様方に心よりお見舞い申し上げます。

以前にも書いたと思うのですが、私は私塾「半田塾」で勉強会を行っていました。
そこで吉田信彦塾長は、「集積の効果」「雨垂れの論理」という言葉をよく言われ、自分でもその言葉を実践に生かしてきました。
   
10月2日に雁宿小学校で雁宿まつりが行われました。チャレンジ教室に参加して4年目になり、今年で30回目ということで、私が20回目のときのPTA会長をさせていたただき あれから早いもので10年も経ってしまいました。

勝手に思うままに 75  成功とは

雁宿まつりのチャレンジ教室に参加した1~2年目は、参加する児童がいなくて寄せ集めて児童が参加していたということを聞きました。
1.2.3年生が対象で、内容も何をするのかよく分からないということで、参加者の少ないのは予定の範囲内ではありました。

 昨年の1年生が、口伝いにボートスカウトのチャレンジ教室の話をしてくれたのか、今年は2年生のクラスの半数以上の児童が第一志望の参加を希望し、ジャンケンで勝ち残った児童の参加となりました。

また、保護者の方からも自分の子供をスカウトに入れたいとの申し出もあり、大変 効果のあった内容でした。

もちろん中身も充実していたこともありましたが、続けてやってきた集積の効果がこんなに早い時期にやって来るとは思いもしませんでした。
今年も大成功に終わったその理由は、あきらめずに続けたこと、日頃の活動が有意義であったこと、5団が一丸となってことにあたったこと、たくさん思い当たるところはあります。

成功とは、あきらめないで続けること、途中でやめてしまえば成功はありえない。

今後も学校と協力し合いながら、来年も更なるすばらしい活動にチャレンジしたいと考えています。団の皆様 ご協力ありがとうございました。 拝