勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 74

2010-10-22 06:06:29 | ボーイスカウト
 私は、ボーイスカウト活動を通して青少年の育成のお手伝いをさせていただいています。スカウト運動は、1907年にロバート・ベーデン-パウエルによって創始されました。今では世界中に多くの仲間が活動しています。
今日は、そのベーデンパウエルのお話です。


1941年1月8日にベーデンパウエルがなくなった後、彼の書きものの中から発見された文章です。

勝手に思うままに74 スカウト諸君

「ピーターパン」の劇を見たことのある人なら、海賊の首領が死ぬときには、最後の演説をするひまはないにちがいないと思って、あらかじめその演説をするのを、覚えているであろう。私もそれと同じで、今すぐ死ぬわけではないが、その日は近いと思うので、君たちに別れの言葉を贈りたい。
 これは、君たちへの私の最後のことばになるのだから、よくかみしめて、読んでくれたまえ。

 私は、非常に幸せな生涯を送った。それだから、君たち一人一人にも、同じように幸福な人生を、歩んでもらいたいと願っている。

 神は、私たちを、幸福に暮らし楽しむようにと、このすばらしい世界に送ってくださったのだと、私は信じている。金持ちになっても、社会的に成功しても、わがままができても、それによって幸福にはなれない。幸福への第一歩は、少年のうちに、健康で強い体をつくっておくことである。そうしておけば大人になった時、世の中の役に立つ人になって、人生を楽しむことができる。
 
 自然研究をすると、神が君たちのために、この世界を、美しいものやすばらしいものに満ち満ちた、楽しいところにおつくりになったことが、よくわかる。現在与えられているものに満足し、それをできだけ生かしたまえ。ものごとを悲観的に見ないで、なにごとにも希望を持ってあたりたまえ。
 しかし、幸福を得るほんとうの道は、ほかの人に幸福を分け与えることにある。この世の中を、君が受け継いだときより、少しでもよくするように努力し、あとの人に残すことができたなら、死ぬときがきても、とにかく自分は一生を無駄に過さず、最善をつくしたのだという満足感をもって、幸福に死ぬことができる。幸福に生き幸福に死ぬために、この考えにしたがって「そなえよつねに」を忘れずに、大人になっても、いつもスカウトのちかいとおきてを、堅く守りたまえ。神よ、それをしようとする君たちを、お守りください。     以上

 今でも世界中のスカウトの心の中には、ベーデンパウエルの思いが宿り、脈々と生きているのです。

勝手に思うままに 73

2010-10-12 07:11:39 | 平和
先日 ビキニ環礁が世界遺産になりました。
核廃絶を世界のどこよりも日本は強く唱えている国として、正確に、根気強く伝えていかなくてはいけません。
いまだに、北朝鮮の核問題は恐怖であり、遺憾に思います。
私は、広島に家族と行ったときに、敗戦後60年たった広島で、自分の人生に大きな変化となる貴重で意義ある時間を過ごしました。

勝手に思うままに73 平和の意味

平和公園の真ん中くらいに位置するのが平和の灯です台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和
への願いをこめています。
この火は、1964年(昭和39)年8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっており、完全になくなったその日に手を合わせ(合掌)るそうです。

私たち家族は、広島へ折り鶴を折って持っていきました。
佐々木禎子さんは2さいで被爆し、10年もたってから、白血病で 短い一生を終えた少女です。
世界中の人たちは、佐々木禎子さんを通して戦争が子どもたちをどんなに苦しめるか、原爆がどんなに子どもたちに不幸をもたらすかを知りました。
そして、最期まで生きる希望を持って白血病とたたかったその姿に勇気づけられました。
サダコさんは、鶴を千羽折ったら病気が治ると信じ、毎日鶴を薬紙で(パラフィン紙)折りました。その鶴の展示もありました。
日が経つにつれお母さんが鶴を間引きしたそうです。

サダコさんは、「いたい」とか「つらい」と口にすることはありませんでした。ただ、いのりをこめて、ツルを折りつづけ12年のいのちをとじたのです。サダコさんの命の火は消えましたが、、「原爆の子の像」の前の石の碑には、「ふたたび、原爆によって子どもたちが犠牲になることのないように」というきもちは、脈々と生きていました。



勝手に思うままに 72

2010-10-08 07:01:43 | 掃除
 毎朝、6時ころ家を出て会社に向かいます。
すると、家を出てすぐの交差点付近から400mくらいにかけて毎日、掃除をしているご婦人がみえます。毎日です。時には、垣根の奥に手を突っ込んでいたり。 また、その先には、スーパーの袋を3つくらいもって金バサミをもって道路を掃除している人もいます。
半田市は、本当にきれいな町です。
半田クリーンボランティアという掃除をする活動に8000余名の方が参加していたり非常に美化活動に積極的ないい町だと思います。

勝手に思うままに72 掃除に学ぶ

南日本新聞に掲載された感想文を紹介します。

宇部中2年 小原 夏季

学校で、「掃除に学ぶ会」があった。「日本を美しくする会」の会員の方々の協力で、素手、素足でトイレの掃除をするのだ。最初は汚い、きつい、臭いと、嫌々参加した。私は本当に嫌で、「こんなのきれいになるわけがない」と思った。
けれどみんなの様子を見ているとすごく楽しそうで、自分が磨いているトイレがピカピカになっているのを「すごい、すごい」と喜んでいる。
それを見て私も本気になった。水あかなどこびりついた汚れをサンドメッシュで根気よく磨いた。頑固な汚れが取れ始めると、うれしくなりいつの間にか便器に顔を近づけている自分がいた。
とれないだろうと思っていた黄ばみもあきらめずに磨いた。
すると少しだけれど輝きが出てきた。 二時間後、トイレがすごくいい場所に感じた。
私はこの体験のおかげで自分の心も磨けた感じがする。
汚れた便器もあきらめずに磨けばピカピカになる。勉強や部活動なども同じこと、あきらめずに努力すればいつかは光り輝く自分になれると実感した。

14歳の少女の素直な気持ちが文章に表れています。
彼女だけではないんです。私が行く先々の学校でも全く同じことが起こっているのです。
この気持ちを維持していくことは大変難しいことではありますが、こうした動機付けからスタートすることの大切さ。大事にしたいです。
本日は少年、少女に学ぶ でした。

勝手に思うままに 71

2010-10-07 06:46:35 | 
前日に引き続きのリッツ・カールトン・ホテルの第2弾です。
サービス日本一になるには、わけがある。
決して自然に、偶然に、運良く選ばれたのではない。

どんなサービスしてくれるんでしょう。 と、私はリッツ・カールトン・ホテル大阪へそのサービスを体験しに、泊まってみました。

勝手に思うままに71 リッツ・カールトン・ホテル②

13年前、大阪駅のそばにリッツ・カールトン・ホテルが開業した時、「ヨーロッパスタイルのいいホテルが出来たな」といった程度にしか受け止めていなかった。
知人の中には、「迷路のようなホテルだ」と言う人もいた。
確かに、フロントの位置やエレベーターの位置がなかなかわからない。廊下もまっすぐになっていないので、部屋を出てから、しばしば面食らうこともある。
そんな変なホテル?に関心を持ったのは、日経ビジネス誌で、「サービス日本一」として取り上げられた時からである。

リッツ・カールトン・ホテルの社員は、数あるホテルの中でも、社員がボランティア活動をしている割合は、圧倒的に高いと聞きました。
仕事以外の時間に、社会のために何か役に立つボランティア活動を熱心に行うことができる心(感性)を持った社員は、仕事の面でもやはり、お客様を思いやる行動を取ることができるのです。

私は、1階のロビーあたりで かみさんを探していました。
すると、女性のスタッフが寄り添ってきて、「なにかお困りですか?」と尋ねてきました。たしかに、困った素振りに見えたのかもしれません。そのタイミングといい、やさしいもてなしといい、とてもよい気分にさせていただきました。

また、ベットメイクも2度行われ食事後部屋に戻ったときには、また、新たな部屋に来たのかと、心地よい気分になりました。食事もレストランでは、超一流のサービスを受け大変満足なひと時を味わいました。

リッツ・カールトン・ホテル社長の高野さんは、「特別な才能を持った人がいなくても、知恵とチームワークがあれば、たいていのことは出来る」と言います。私もまったく同じ思いです。


勝手に思うままに 70

2010-10-06 06:46:03 | 
ようやく秋らしくなってまいりました。
スポーツに行楽にと、とても良い季節です。

サービスの本質というものを加賀屋の商売における取り組みによって学ばせていただきました。
今回は、リッツ・カールトン・ホテルのお話。リッツ・カールトン・ホテルは、日本で一番サービスの良いホテルとして、注目を集めています。

勝手に思うままに70 リッツ・カールトン・ホテル①

 1800年代の中ごろ、パリのパンドーム広場にホテル・リッツが開業しました。創業者のセザールリッツさんは、゛ホテルの非常識゛をいくつも試みました。当時のホテル業界では考えられないような非常識なことを次々に試みたのです。例えば、ホテルのロビーに、大きなお花を飾りました。各部屋にシャワーをつけました。お客様の好みに関する顧客情報を記録して管理するようにしました。また、レストランで、自分の好きなものが食べられるようなアラカルトを始めたのも、セザールリッツさんが初めてです。いずれも、今は゛ホテルの常識゛になっていることばかりです。しかし、当時は、ホテル業界の誰もが考えたことのない、゛非常識゛だったのです。
 リッツ・カールトン・ホテルは、セザールリッツさんの゛非常識への挑戦゛の遺伝子を受け継いでいる。「リッツとカールトンの二つのホテルが一つになり、1983年、ホテルをヨーロッパでなく、アメリカで展開し始めた。

 ホテルの建設が始まってから、本当に新しいホテルが必要なのか、我々が新しくホテルを作ることにどんな意味があるのか、そんな議論を徹底して行いました。
 結論は、ノー。
わざわざ我々がホテルを開く意味がないということになりました。そして、我々がやる限りは、ホテルをもう一つ作るのではなく、社会に゛ラグジュアリー(豪華な豊かさ)゛を創造するところに意味があるとの結論に到達しました。私達が、ホテルのサービスやホスピタリティに対する考え方を変えることが出来るかどうか、私達の真価は、そこで問われるのです」。企業としての゛遺伝子゛とは、その企業の存在に関する根本的な意義とも言える。リッツ・カールトン・ホテルは、名前はホテルではあるが、実際には、「ラグジュアリー(豪華な豊かさ)を新しく創造し、提供する」ところに存在理由を求めているのである。

自らの存在の根本理由が明確でないと、サービスの方向も従業員が力を発揮する方向も決まらない。この点は、加賀屋の考え方と同じところである。企業のDNAとは、『志』である。

企業に、『志』がなければ、力強い活動など出来るはずがない。 つづく


勝手に思うままに 69

2010-10-05 11:52:47 | 平和
半田市立雁宿小学校では毎年10月に「かりやど祭り」が開かれる。
学校、児童、地域、PTAが協力し合い、今年で39回目を迎える。
子どもたちは、この日をとても楽しみにしています。
土、日曜日の2日間、1日目は児童の開会の劇から始まります。それは、失くしたものを取り戻すという劇で、劇の最後は、児童全員の群読。これが感動モノです。
そして、なかよしラリーのスタートとなります。
2日目は、午前中はチャレンジ教室。今年は17教室 高学年から第一希望に割りあたられるため低学年は、中々自分の思ったところへいけないみたいです。
昼からは、20年前に寄付を頂いたり、PTAの有志で山車を作りました。それまでは、4台山車があったそうですが、老朽化で曳けなくなったため、丈夫なものを作っていただきました。それを児童が引っぱり町をねり歩きます。

勝手に思うままに69 心の通う人

そのチャレンジ教室17の内の1つが、私たちのボーイスカウト半田5団です。
今年で、3回目。
今年は、児童が28名の参加でした。
以前は、何日も前からいろいろと準備が大変だったのですが、今年は1週間前の団会議でほとんどが決まったようなものでした。
しかし、そこで考えた 野外ゲームが前日のなかよしラリーで2種類使われており、前日の設営時に急きょ変更;;。その急に決まった木積ゲームが結構盛り上がり、見ていても楽しかったゲームでした。

ホットケーキの素でくねくねパンと表し、割り箸にまき付け火で炙ったものをつくり、工作は事前に用意した、竹を切って煮沸消毒したコップにマジックで色つけをしたりしました。
また、終了後の反省会では、来年に向けての話し合いをする予定でありましたが、ただの飲み会;;。(そこが反省)

半田市名誉市民の森信三先生の言葉に
「心の通う人とのいのちの呼応こそ、この世における真の浄福であり、人間にとって真 の生きがいといってよかろう」
青少年育成、このことに休日にもかかわらず、半田5団のためにたくさんの指導者、スカウトがお手伝いをしてくれました。この高邁な精神に敬意を表します。
そして、子どもたちみんなが幸せになることを願う、こころが通い合うスカウト活動は肉体的には疲れますが、達成感や、こどもの笑顔が今後の活動の糧となるのでしょう。