キリストの使徒パウロが人々に最も伝えたかったことの中心的テーマは、十字架の言葉です。十字架につけられたイエス・キリストを宣べ伝えており、それは当時のギリシア人にとっては愚かな話であり、ユダヤ人にとってはつまづきとなる内容でした。しかし、この十字架の言葉は神の知恵、神の力であると使徒パウロは説明しています。人の知恵では理解しがたい内容であっても、神の知恵にかなった、神様の救いの業が十字架の言葉に示されているからです。神様は十字架で死なれたイエス様を3日目に復活させ、そのことが福音として全世界に宣べ伝えられ、それを聞いた人々が信じて救いがもたらされる、という手段を神様はお考えになりました。日本の場合は、フランシスコ・ザビエル宣教師が大変な思いをして日本に福音を伝えて以来、迫害の時代を経て、今自由にキリストを信じて教会に集える時代となっていることを考えると、本当に昔の宣教師の方々の信仰と勇気と、それを支えてくださった主イエス様に感謝の思いが湧いてきます。
イエス様の十字架の死は、私たちの罪のためであり、私たちが赦されて救いを得られるために、イエス様は復活されました(ローマ4:25)。洗礼が、古い自分のお葬式と新しい自分が生まれる誕生日を象徴するように、神様から与えられる霊(聖霊)によって神様の恵を知るようになり(コリント一2:12)、将来に救いが完成することを待望しつつ、この世の歩みを主イエス様とともに歩めることは幸いです。