春の強風が吹くある日、古河市にある桃園に行きました。日本でも最大の桃園とありましたが、実際に行ってみてその桃の木の数は圧巻でした。ピンク色の美しい桃が満開で、鶯が時折花の蜜をせわしく吸っていましたが、ピンクの中に際立つ赤い桃の木に目が留まりました。数は少ないですが、赤という色はとても目立ちます。一般に何かの注意を引くサインは、大概赤色なのはそのためでしょう。
聖書のストーリーの中に、「赤い紐」によって救われた女性の話がヨシュア記に記されています。紀元前16世紀頃(諸説あり)、イスラエル民族がカナンの地(現代のパレスチナ地域)にあるエリコという町を攻略する際、先にスパイが送られました。そのスパイ潜入の情報は漏れ、追手がスパイ達に迫った時、町の城壁に住むラハブという娼婦の女性が彼らをかくまいました。そして、スパイたちは彼女とその家族を救い出す印として、赤い紐を彼女の家の窓に結び付けるように指示しました。その後、イスラエル軍がこのエリコの町を攻めた時、彼女と彼女の家族はこの赤いしるしにより助けられました。彼女は異民族であり、異教の神を信じる環境で、娼婦という職業をしていたにもかかわらず、イスラエル人の信じている偉大な神のうわさを聞き、真の神であり、信じれば救われると信じて勇気ある行動を起こしたのです。彼女は「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。」*とその信仰を告白しました。
この赤い紐は、エジプトで奴隷状態でイスラエルの民がエジプトを脱出する時に、家の門柱の鴨居に塗った過越の小羊の血と、イエス様の十字架の血潮を象徴すると解釈されています。キリストが流された血潮を自分の為だと受け入れ信じる人には、神様は私たちの罪を赦し、その怒りを下すことはなさいません。神様は、私たちがどのような者であるか、過去に何をしたか、どんな生まれかを問われず、ただ信仰によって救われ、赦されるという型がラハブのストーリーにも示されていることは、現代に生きる私たちに希望を与えます。
赤い色の花を見る時、イエス様の十字架で流された血潮が思い起こされます。神の子であるのに人としてお生まれになり、人と同じ体を持って地上で神の国の到来を宣べ伝え、およそ人が体験しうる究極の苦しみ、悲しみ、痛み、恥を十字架の受難において経験してくださったのは、私の罪が赦されるためでした。そのイエス・キリストの大きな犠牲に示される神様の愛を深く感謝し、イエス様の復活を祝うイースターを迎えたいと思います。
また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。 そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 マルコによる福音書14章23-24節
*ヨシュア記 2:11