聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

水紋、波紋、投石し続けること

2024-11-20 14:51:31 | 日記

 京都の日本庭園を訪ねたことがあります。いわゆる枯山水と呼ばれ、水を使わず、砂や石で、水紋等を表現している情景の美しさに、その場にいて心が落ち着くようでした。一方、先月福島県の五色沼を訪れましたが、その各沼ごとに水の色が違い、その周りの山々との情景の美しさに驚かされました。やはり自然そのものの美や力が放つ効果は、枯山水もかなわないでしょう。

 水紋は水に小さな石を投げ込むと生じ、その波紋、波の和が徐々に幾十にも外側へ広がっていき、波は岸に着くまで、一方が他方を駆り立てながら延々と押し寄せます。小さな石の効果は大きいものです。ただ、しばらくすると水紋はなくなります。また次の石を投じない限り。

 キリスト教の宗教改革を起こしたルターは、「(キリストの)福音宣教は、水に投げ込まれた石のようなものである」*1と例えたそうです。当時、復活された主イエス様が、上記のみことば「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と弟子たちに言われました。そして使徒と呼ばれる弟子たち、また彼らから聞いて信じた信徒たちによって宣教が初められ、当時のローマ帝国内に急激にキリストの福音が宣べ伝えられ、クリスチャンが増えました。その過程で、迫害や、キリスト教国教化、形骸化そして宗教改革など様々な波乱万丈の出来事がありましたが、キリストの福音は説教者たちによって遠く世界のあちらこちらへと駆り立てられように広められ、福音を聞いたことのない人々へ知らされて、現代に至っています。

 しかし、重要なことはこの宣教活動は人だけの働きでは到底成し遂げられるものではなく、神様ご自身が宣教の業を共に成してくださるから、絶えず聖霊が働かれているから起こっていることです。神様は、私たちに宣教の業に参与するよう呼ばれ、そして私たちは各々の場所へ派遣され(海外とは限らず、国内の、つまり自分の周りの人間関係のあるところへ)、そして良い知らせ(福音)を伝えていくのに、主キリストが共にいて働いて下さっていることは大きな励ましです。マタイの福音書でのイエス様の宣教命令には「いつもあなたがたと共にいる。」とあり、伝道、宣教の働きは世の終わりまで続き、どの時代にも主イエスが私たちと共にいるという約束があります*2。

 この御言葉より、わたしたちが何かしていなくても、していても、うまくいかなくとも、神様は働き続けて下さることを改めて感謝する機会となりました。すぐに結果がでなくとも、私は小さな石を水に投げ続けるよう励ましを受け、さらなる神様の業がなされることを祈り求めていきたいと思います。

「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」マルコによる福音書16章15節

*1 参照  Luther, Martin, and John Sander. Devotional Readings from Luther’s Works for Every Day of the Year. Augustana Book Concern, 1915, pp. 149–150(PDF).

*2「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイによる福音書28章19-20節


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