(益子教会 毎週木曜10時半「聖書に親しむ会」で、旧約聖書を創世記から順に学んでいます。その概要を掲載しています)
〇11月28日(木) 創世記7章1-24節 洪水とノアの信仰の試練
ノアは500歳の時に、3人の息子セム・ハム・ヤフェトを産み(5章32節)、その後神様に箱舟を造るように命じられました。神様の設計図によると箱舟のサイズは巨大で(6章16節、1アンマという表記の単位はおよそ45cm)、現代の潜水艦と同じような比率と大きさだそうです。そしていよいよ箱舟が完成し、神様はノアとその家族とつがいの動物たちに箱舟に入るように言われたのが、ノアが600歳の時ですから(7章6節)、約100年近くかけて箱舟を造っていたことになります。この100年間について聖書は何も記していませんが、ノアとその家族は周りの「悪いことばかり心に思い計っている」人々(6章5節)の中にあって、「何のためにこんな巨大な船を造るのか?」と何かしら馬鹿にされたり、妨害もあったのではないかと想像します。それでも、ノアはひたすら100年間、家族4人で、現代のような重機や材料もない時代に箱舟を建設していたのかと思うと気が遠くなるような忍耐の時だったと察します。ノアは神様への信仰を持って、この試練に耐えたのではないかと思います。また箱舟に入ってからも、40日40夜、地上の高い山はすべておおわれるまで雨が降り続き、その後も150日間、水で地上がおおわれていたことが記されています。つまりその間、ノアたちは箱舟の中で動物たちの世話をしながら、狭い空間の光もささないところで、じっと生き延びていたことを思うと精神的にもよく耐え抜いたと、この箇所から読み取れます。
現代に生きる私たちは、ノアの信仰の試練と忍耐を模範とし、神様に委ねて信仰生活を歩んでいきたいと励まされます。特に、日本にように神道・仏教が多数派である国において、聖書の神様のことを伝えることは容易ではありません。実際、統計的にみても、キリスト教信徒の数は戦後から現代にいたるまで人口の1%を超えたことはなく、近年は宗教全般に対するアレルギーのようなものが日本には出来上がっているようです。特定の宗教を真剣に信じることが危ないかのような風潮。世界の宗教観とその歴史的見地からすると日本のこの風潮は理解しがたい話ですが、結局、日本人だけでなく人は皆自分が中心で、自分以外の大きな存在、自分を支配する存在は受け入れたくないのです。「神」呼ばわりされて高慢になり、自分の好き勝手に生き、いいところだけ宗教を利用し、今のことしか考えないように生きることを、メディアも加担していると言えます。そこに、ノアのように神に従うという発想はないのです。
神様は洪水で世界を一度滅ぼされ、再び「水」では滅ぼすことはないとノアと約束をしました。しかし、現代の様子はノアの洪水前の時代と同じか、もっと悪が増していると思います。地球規模の自然破壊が進み、ネットを通しての犯罪がグローバル化し、人がAIによってさまざまなことを始め、そのうちにAIが愚かな人間を支配するようになる時代が来ると危惧される程に至ります。AIは神を信じる信仰は持てませんから、物事が神なしの人間の知恵で考えられることをデータ化され、分析され、実行に移されます。
ノアの洪水の物語とノアの信仰は、神を信じて忍耐し命を得ることと、自分が神のようになり続け滅びることのどちらかの選択を、私たちに問うているように思わされます。神様は人が滅びることを望んでおられないし、同時に悪がはびこってほしくないため、御子イエス・キリストを私たちの罪からの救い主として、この世に送って下さりました。全ての人がキリストによって救われるように「あなたは命を選び」*なさいと神様は招いています。そのためにキリストの命という大きな代償が十字架上で払われていること、その大きな神様の恵みを感謝して、神様を信じて従っていきたいと願います。
*申命記30章19-20節参照