なにげな言葉

なにげない言葉を あなたに伝えたい
迷宮・緑柱玉の世界の独り言

引く波・・Gaiaの伝説より・・新年

2002-01-04 | なにげな言葉
明けましておめでとうございます。
今年はじめてのテーマは、3ですね。
3には関係ないのですが、少々心に残ったので、
文章にしておきたいと思いました。
掲示板を使うこと許してください。

今年のお正月に、おじい様の88歳のお祝いをしました。
そこで、おじい様が言われたことです。
人一倍危険な仕事をし、危険な戦地に向かい、何時死んでもいいと思いながらいた自分が、88歳の祝いをしてもらえて、嬉しいと言っていました。
そして、自分は未だに生きている。
神はまだお迎えをよこさないと・・・

息子が戦争の話しを聞きたいと言い出したんです。
それは興味本位の事ではなく、学校の勉強として聞きたかったんです。
でもおじい様は硬く口を閉ざしてしまいました。
話さないおじい様の意地、聞きたかった息子の聞けない悔しさ。
お互いの心に違う何かがあったんですよね。
私はおじい様に興味本位ではない事を伝え、話せる部分だけで良いので、話して欲しいといったんです。
お母様に聞いた話では、戦争の生き証人として、インタビューされた事で、改めて考えてしまったそうなんです。
してはいけない事をした記憶。
忘れなきゃいけない。
語ってはいけないと口止めされた話。
明らかに分かる貧困と、裕福を目の当たりにした事。
それらがおじい様の口を硬くしているという事。
私はそれを聞き、息子に言いました。
「おじい様が話せないわけを彼方は考えて聞かなきゃいけないんです。
 話すという事は、嫌な記憶も思い出すんだから、言葉を選んで聞きなさい。」
息子は緊張して、おじい様の話しを聞きにいきました。
その内容は、私は聞いていません。
おじい様が息子に話した事、本当なら誰にも話さないだろう話をしてくれたのですから、息子にとって宝の話しになればいいのです。
その後おじい様は私の所に来て、息子に話した事を掻い摘んで話してくれました。
正しいと思ってした事が正しくなかった。
人として正常な判断を失った時期。
外部にもらしてはいけないと言われた内容は、墓まで持っていくと言ったんです。
想像のできない厳しい現実を見てきたのでしょう。
聞く以外できないのですが、最後におじい様は、私に謝ったんです。
信隆さんとの事を許さなかったこと。
その息子が、戦争の話しを聞きに来た事。
自分で罪を深くしてしまった。許してくれと・・・
私は、許すも許さないと言えません。
おじい様がドイツを嫌ったように、おばあ様はアメリカを嫌いました。
そう言った部分は人がどうこう言えません。
そのおばあ様の死も、信隆さんの死もおじい様は受け入れてくれたんです。
私たちの知らない時代、歴史を眼にしてそれを残せという声もあります。
でも今回私は、残すことも大切ではあるけれど、
その人はその人なりに気持ちを整理させてるんだから
そっとしておくべきかなってね。
だって、戦争だけじゃない、物価にしてもとんでもない上昇の時を経験してるんですよね。
今の人なんか、ちょっとの景気の変動でも大騒ぎでしょ。
それを受け入れ、今の時代に生きてるだけでも大変じゃないかしら。
歴史の事実は事実として正確に残す。
でもそこに感情の混ざった物を残すという事は、聞くほうも心して聞かないといけないと言うこと。
戦争の話しの裏には、苦しんだ人、死んだ人がいる。
聞き出したという事は、再び戦争を思い起こさせたという責任を持たなきゃいけないよね。
はたして息子はそこまで考えたかどうか分かんないけど
大切な話だって事だけは分かってくれたみたいですよ。

長生きしてくれたおじい様がいるから、今の私たちがいるんだって事も、話し合いお祝いできたお正月でした。


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