紫苑の部屋      

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6月大歌舞伎ー昼の部

2007-06-30 16:41:07 | 観劇
妹背山婦女庭訓の前半部分「吉野川の場」です。
浮世絵があります。
幕末明治のころは、
定高は貞香、大判事は大判次、久我之助は古賀之助だった!?
雛鳥がしな鳥には、苦笑してしまいます。なんなのでしょうね、江戸っ子の通称?

時代は天智天皇の御代、蘇我入鹿が帝の地位を奪い取って君臨している…、
エエッ、入鹿は暗殺されているはず…、
これはパロディであって歴史ではない、のでした。
入鹿は、歴史としても悪の権化として扱われる、記紀にそう書かれているからです。
しかし、大化の改新への歴史的評価は近年すこぶる科学的になっていて、
渡来系の蘇我氏の権勢を嫌って、王権を確立しようとした、との解釈がポピュラーに。
でもまあ、お芝居ですので、入鹿は尋常な人間ではない、
あの青い隈取りが示すように、特異な霊力をもつ超人なのですね。
白い牝鹿の生血を母親に飲ませて生まれたのが入鹿、というお話になっている。
余談がながくなりましたが、ともかく入鹿は、
不仲である両家の息子・娘に難題を課して、物語の筋道をつけます。

久我之助(梅玉)と雛鳥(魁春、このコンビは長い)が出会う「小松原の場」
つづいて「花渡しの場」上演されるのは珍しいらしいが、
定高と大判事が桜の枝をもって現れる次の場面が納得できるわけですね。
「吉野川の場」
日本版ロミオとジュリエット、といわれます。
仮死状態の恋人をよく確かめることもしなくて悲観して死したロミオ
目覚めて、絶望するジュリエット、
この二人の悲恋は美しいけれど、とくにジュリエットの悲嘆は悲劇そのもの。
日本版の雛鳥は選びとる死です。
死して相手を生かす、むしろそこに歓びを感じている、笑みを残した死に顔です。
遅かったのか久我之助、そうではないでしょうね。
男は真実を知って、恋人の心根をしっかり受けとめて、武士らしく死ねてやっぱりよかったのですね。

吉野川の見せ場は、2人の親なんですね。
親心に普遍性があるのです。背山と妹山、吉野の山です。
谷崎潤一郎の「吉野葛」に出てきますね。小さな山、らしい、
でも舞台ではその存在感は大きい、
谷間に流れる吉野川の流れ、左岸と右岸の館、背後の2つの山
ホントにこの演出効果、すごいです、これで236年生き続けたようなものです。
藤十郎の定高、なんていいんでしょう。
歌右衛門とは明らかにちがうらしい。
文楽に基づく上方の演出ということのようです。
長年の上方歌舞伎を追求してきたその真価が、ここにきて発揮されてきた、というべきでしょうね。
ところで、定高の着る上衣、打掛、決まっているのですね。↑の浮世絵と同じです。
萌葱色になるのですね。
藤十郎は何年か前、隅田川を見てから、いいなーと思って、
葛の葉で、あの抑えた演技でしかも情の深さをしみじみと伝える、すごいなーと感心して、
定高で、女と侮られまいとする、また死を選ぶ娘にあっぱれと首をとる、気丈な女丈夫と、
そして「あとの祭り」と絶望、しかし雛で輿入れをし、首に死化粧をする母親の心とを
演じ分ける、秘めた思いがあったのだろう、あるいはお人柄だと、思います。
あーあ、今月もいいもの観せてもらいました。
(2007/6/25 歌舞伎座)






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