薫はなぜ浮舟のことを、人形(ひとがた)としか見れないのか。
大君の形代(かたしろ)、とは全然知らずにいる浮舟ですが、
身の拠り所には、薫君がいちばんなのに、どうして匂君に惹かれてしまうのか、
それと知らなくても、感覚的にわかってしまうのですね。
形代を身代わりと解する向きもあるでしょうが、そうではない。
韓国ドラマのように、初恋の人の面影をもとめて、
(もっとも、最近冬ソナを形代の観点でみるという、源氏の研究者がいるとか)
といった生易しいものではない。
人間扱いにしない、ということですから。
撫でもの、人形、という感覚、現代人には理解しにくい。
身分の差は平安貴族にとって致命的ともいえる。
帝の血筋の高貴な方にとって、落ちぶれた宮の認知されない田舎の出の姫君、
身分的にも教養面でも人間扱いにはできない、のです。
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こう書くと、薫が悪者になってしまいますが、そうではない。
薫は求道者として、宇治に八の宮を慕って通っていたのです。
その姫君の大君に惹かれていくのですね。
この大君は、よくジッドの「狭き門」のアリサになぞられます。(←記憶違い直しました)
愛する故に拒む、プラトニックラブとはキリスト教的な愛のかたち、
源氏の世界に似つかわしくありませんが、
大君はそういう愛のあり方を貫いた唯一(朝顔の君の拒み方とは違いますよね)の姫君です。
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大君の論理はこうです。
老いた女房を見て、おおーイヤだ、と思うんです。これがそもそもきっかけなのです。
「私も26歳、年下の彼氏にいくら慕われても、いずれ醜く老いて捨てられてしまうのだ、
結婚なんて、身分の差が自分を惨めにするだけ、
父八の宮の遺言のように、宇治を離れて都に住むなんてできない、
それより、親代わりに後見をして女のしあわせは妹中君に譲るのだ、薫君ならそれをかなえてくれる…」
女の浅はかさ、
言い寄る男君にあなたの論理は理解できないよー、
それに自分を犠牲に親代わり?
妹が負担にきまっているじゃない。
こんな下世話な非難はしないけど、お付きの女房たち、これと似たことを思っていたのね。
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でも、大君は頑固に自分の意志をとおします。
中君を薫に娶らせることができなく、浮気な匂君との結婚になって、
間遠になることに当の本人以上に神経をすり減らし、
食を断って死を選んでしまうのです。
こういう徹底した女性の相手をした薫は、十分同情に値する。
死して永遠の女性となった大君はいいけど、薫は逃れられない。
大君の「人形」の彫り物を宇治につくらせてほしいと願う、異様さ、
正常な感覚の中君は、生身の人形を与えようと思うのです。
大君の形代(かたしろ)、とは全然知らずにいる浮舟ですが、
身の拠り所には、薫君がいちばんなのに、どうして匂君に惹かれてしまうのか、
それと知らなくても、感覚的にわかってしまうのですね。
形代を身代わりと解する向きもあるでしょうが、そうではない。
韓国ドラマのように、初恋の人の面影をもとめて、
(もっとも、最近冬ソナを形代の観点でみるという、源氏の研究者がいるとか)
といった生易しいものではない。
人間扱いにしない、ということですから。
撫でもの、人形、という感覚、現代人には理解しにくい。
身分の差は平安貴族にとって致命的ともいえる。
帝の血筋の高貴な方にとって、落ちぶれた宮の認知されない田舎の出の姫君、
身分的にも教養面でも人間扱いにはできない、のです。
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こう書くと、薫が悪者になってしまいますが、そうではない。
薫は求道者として、宇治に八の宮を慕って通っていたのです。
その姫君の大君に惹かれていくのですね。
この大君は、よくジッドの「狭き門」のアリサになぞられます。(←記憶違い直しました)
愛する故に拒む、プラトニックラブとはキリスト教的な愛のかたち、
源氏の世界に似つかわしくありませんが、
大君はそういう愛のあり方を貫いた唯一(朝顔の君の拒み方とは違いますよね)の姫君です。
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大君の論理はこうです。
老いた女房を見て、おおーイヤだ、と思うんです。これがそもそもきっかけなのです。
「私も26歳、年下の彼氏にいくら慕われても、いずれ醜く老いて捨てられてしまうのだ、
結婚なんて、身分の差が自分を惨めにするだけ、
父八の宮の遺言のように、宇治を離れて都に住むなんてできない、
それより、親代わりに後見をして女のしあわせは妹中君に譲るのだ、薫君ならそれをかなえてくれる…」
女の浅はかさ、
言い寄る男君にあなたの論理は理解できないよー、
それに自分を犠牲に親代わり?
妹が負担にきまっているじゃない。
こんな下世話な非難はしないけど、お付きの女房たち、これと似たことを思っていたのね。
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でも、大君は頑固に自分の意志をとおします。
中君を薫に娶らせることができなく、浮気な匂君との結婚になって、
間遠になることに当の本人以上に神経をすり減らし、
食を断って死を選んでしまうのです。
こういう徹底した女性の相手をした薫は、十分同情に値する。
死して永遠の女性となった大君はいいけど、薫は逃れられない。
大君の「人形」の彫り物を宇治につくらせてほしいと願う、異様さ、
正常な感覚の中君は、生身の人形を与えようと思うのです。
女性の論理と男性の論理を合わせ入れていること。私が驚くのはその一方も確立されていなかった頃にこの物語が書かれているという事実です。sionさんの「形代そして人形」という切り口にも「おお」っと感動しているのです。
正直にもうしあげると少し前からこの記事は読ませていただいていて・・あわてて宇治十帖を読み返しているのです。このお話できれば続けて欲しいのです。
ということは、すごいことだと、ホントに思います。
救いの問題、なんでしょうね。
形代、人形、撫でもの、というのは、本文で式部が書いていることでして、
そこからの救い、をテーマにしている。
ものすごく、近代的でただただ驚くばかりです。