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源氏物語の主人公たちー六条御息所・秋好中宮、母と娘

2008-04-30 21:46:52 | 源氏物語
六条御息所、
夕顔の巻の冒頭に初登場して以降、
鈴虫の巻まで、
ーー娘の秋好中宮の出家願望の折に
  おぞましきその死霊の鎮魂が語られる(↓リンク)のを最後に
光源氏の一生を通して、双方の意志に反して、常に寄り添っていた人物こそ、
このお方でありました。

<リンク>鈴虫の巻

いわば、
御息所は正編の影の女主人公、
生きながらにして魂が抜け出る生霊となり、
死してもなお死霊として源氏にまとわりつく、
ただ一人の、もっとも残酷な宿命を負わされた、女君なのです。
どうして紫式部は、物語の当初からこの孤独な女君をえがかなければならなかったのでしょう?

古来、御息所は嫉妬の怨霊、の代表格となり、
今日まで生き続けている、といっても過言ではないでしょう。
でも、この御息所のファンは意外に多いのです。
女流作家たちは必ず御息所について語っています。
それはたぶん、当代きっての知性派で、もっとも高貴な女性が、
源氏の手中に落ちてしまったばっかりに…、
というところが、たまらないのでしょう。
若い公達たちのあこがれの、宮中サロンの女主人として君臨していたお方、
そしてなによりも莫大な財産がある、
地位は御息所でしかありませんが、
後見がなくて落ちぶれていく貴族の姫君とは別格なのです。

このような六条御息所を、能の「葵の上」は般若面で表現したことが、
イメージを固定化してしまった元凶、とは円地文子の嘆くところ、
しかし、同じ能の「野宮」では、妄執をあらわす後シテも美しい若女の面のままなのです…。

おぞましい怨霊の権化、との御息所への必要以上のレッテルを払拭できるかどうか、わかりませんが、
これは本文を丹念に追っていく作業をとおして、
こんな読み方があっていいかなー、
ぐらいの気楽さで、
先の疑問、なぜこの女性をこのような宿命で登場させる必要があったのか、
追及していきたいと思います。


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