花菖蒲

日常やら何やらかんやら気儘に綴ります。気儘に。

昨日のやつがれ。

2016-08-20 16:43:02 | 日記
…矢張り、光は痛い。ってか刺さるな…。
晴間が覗くので、少しだけベランダに出てみる。暑さがじわじわと迫って来る。
けれどそれよりもやつがれが気になったのは矢張り光。と云うか日光。
燦々と降り注ぐ陽射し…
きっと普通なら気持ちがいいのだろう。
でも、やつがれには忌々しいものでしかない。
身体の彼方此方に刺さり痛む。
苦痛を与えるものでしかない。
蝉の鳴き声も憎々しい…。
夏は嫌いだ…。
陽射しはこれでもかと云うぐらいに強く、蝉と云う名の害虫が大量発生し、終いにはガキの声がキンキンと響き渡る。
何かにつけてストレスが溜まる。
怒りに染まる訳ではないが、淡々と落ち着き払った状態で只、ストレスを感じるだけ。
ガキに関してはある意味、八当たりに近い感覚だ。
蝉を捕まえようと燥ぐ声が癇に障り、忌々しく感じるのだ。
あんなものの何処が良いのだ?
その独特の興味関心、価値観をやつがれが理解出来ないだけなのだ。
故に八当たり。
阿保らしくなり、ベランダから戻る。
不意に血を求める衝動に静かに駆られ、切る。
適当にザックリと。
眺め乍ら独り考える…。
ジェイゾロフトも折返し…。
今までの中で1番、マシではあるが…
今ひとつ何かが足りない…。
それはやつがれから根本的に抜け落ちてるもののせいなのか、薬の効力が弱いからなのか…
分からない。
分からないけれど、足りないから衝動は強く熱く静かに猛る…そして、駆られ行動を起こすことで足りないものを補う。
そう、捉えればこの不審な状態にも無理矢理ではあるが説明がつくだろう。
もしかしたら、やつがれが気付いてないだけで理由は瑣末なものかも知れないし、些細な事かも知れない。


足りないものは果たして何であるのか…
そう、それが分からないからこそ一喜一憂しながら日々を過ごすしかない。
杞憂に終わるときもある。
何かが分かり喜々とすることもある。
今の段階で云えるのは鬱の影響ではなく、完全に本質の問題であり、それが鬱に影響してる。
と、云う事である…。
病気と本質と向き合うのは骨が折れる…。
なまじ、独りだからこそ余計に向き合う際に重々しく首を垂れながら考えざるを得ない。
それでも見えてこず、やつがれは悶々と頭を抱え…
煮詰めるも、決め手に欠けて予測でしかなくなる…。
自分で自分がまるてま分からないやつがれ。
自分と云うものがないから…なのだろうか…?
それとも押し固めた先にあるのだろか…?
分からないまま…夏も終わり行く時期である。