粗碾き蕎麦の美味しさを求めて

地元箕輪町上古田産石臼碾き「信濃1号」が主体の蕎麦屋です。

歩く速度がちょうどイイ

2013-03-01 10:26:40 | 雑感
ここ2日ばかり一燈へ来るのに歩いてみた。20分位で一燈に到着するがその間いろんな風景が目に入ってくる。綺麗な山並み、田畑のあぜ道の雑草の芽生え、小鳥たちの餌を探して飛び回る姿など。それら全てが新鮮に映る。

目に映るばかりでなく、耳にもいろんな音が聞こえてくる。小鳥のさえずり、春を感じさせてくれる優しい風の音。いただけないのは、すごいスピードで横を駆け抜ける車の音。歩いてみるとその異様さに気が付くものだ。

昨晩、テレビでアルペンの社長が登場していた。如何に安く、如何に早くを追究しているとのこと。ヘリコプター、プロペラ飛行機、ジェット機の操縦をして全国を駆けめぐるとのこと。ご苦労なことである。億万長者であることはいうまでもないが、俺には決して羨ましくは思えなかった。これはヒ・ガ・ミである。でも、俺には歩く速度がちょうどイイ。充分幸せと安心を感じる速度であり、幸せを感じる生まれ故郷、伊那谷の景色なのだ。


こんなに違うの

2013-02-22 11:28:43 | 雑感
2日前、20日朝、外回りで車を運転、オシッコしたいのを我慢して10時半頃一燈へ着きトイレへ駆け込む。用を済ませても下腹が痛い上何か違和感がある。そのうちだんだん酷くなりトイレに行っても又行きたくなる。

下腹の違和感は増すばかり。これは何処か異常だ。夕方医者に行き尿検査をした。血尿があり多分結石か、膀胱炎とのこと。鎮痛剤、と結石を溶かす薬剤、それに抗生物質を処方してくれた。

なるべく薬は飲まない主義なので自分の判断で結石を溶かす薬のみを飲んでいたが、一向に改善されない。我慢できずに鎮痛剤、それに抗生物質を飲み始めた。それまでは気が弱くなってしまい、自分でも情けない精神状態になった。俺ってこんなに弱かったのか。トホホ。

抗生物質を服用して5時間ほどすると不快感や痛みも薄らぎ夜8時頃になるとほとんどいつもの状態となった。それにしても、こんなに違うの。

そして本日22日。今までの2日間が嘘のように元気になった。絶好調?。健康の有り難さが身に染みる。「感謝しなさい日々の健康に。そして、出来ることは健康のうちにやっておきなさい」と自分にシッカリ云い聞かす。


眠れない時は

2013-02-13 10:54:49 | 雑感
お酒を戴くことが多いためか、寝付きは比較的よい方だ。しかし、2時半とか3寺頃目が覚めてしまいそれからが大変である。この歳でもまだまだやることがいっぱいあるからもう少し休まなければと思えば思うほど益々冴えてしまう。

悩みや心配事が次々と浮かんでは消え、浮かんでは消えめまぐるしく変化する。「一念三千」命・心の変化は捕らえ所等無い。意識しないでおこうと思うのにポカンと浮かんでくるから始末が悪い。

先日は良いことを思いついた。自分は如何に恵まれているか思い当たることを幾つも上げ「有り難うございます」を云ってみた。有るは有るはいっぱい出てくる。この歳で薬を何にも飲んでいないこと、メガネを外すと新聞も本もよく見えること、お酒や食事が美味しくいただけること、家族や自分の周りによい人が多いこと、ソバ打ちが楽しいこと、周りの山々が綺麗なこと、野良猫までが集まってくること・・・・・

そんなことを思っている内によい眠りに入っていった。これだ。

みんな大変だ

2013-02-10 12:02:04 | 語る会
先日、歯科技工業の先輩「O」さんとスナック「T」へ行った。O先輩の奥さんが2年ほど前から鬱状態で妄想も出てしまうとのこと。従って奥さんを一人にしてなかなか外へ出ることが出来なくなっている。そのような状態で刺激が少ないから最近特に物忘れが酷いということである。たまには歌でも唄って脳を活性化させようということであった。

先輩は唄いたい歌をメモしてポケットに忍ばせてありそれをチラッと見ながら何曲も唄っていた。私も唄いたい気持ちはあるのだが、歌手名や、曲名がなかなか出てこない。物忘れが酷くなっているのは10歳年上の先輩とあまり変わらないと思った。

ママさんもここの処お客さんが少なくお店をやっていくことが大変だとぼやくことしきりだ。「ママさん、俺だって同じだよ。客商売は大変だよ。」と返したかったが、折角楽しもうと思ってきたのに愚痴ばっかりではいけないと、先輩と共に大いに唄って店を後にした。

なんだかよく解らないが、お酒を飲み歌も唄ってきたが、落ち込んでしまい見た夢も訳の解らない暗い夢であった。何か明るいことないかなァ。ロト6でも当たってパーッとみんなに振る舞ってみたいものだ。頼むよほんとに。

ミーちゃん

2013-02-08 12:36:37 | 雑感
自宅南によその農作業小屋があり、今はほとんど使われていない。その小屋の中で猫が子を産んだみたいだ。2匹ほどが自宅の近くに来るようになった。まだ小さいが、ノラのため警戒心が強く餌をやろうとしてもすぐに逃げてしまう。

それでも可哀相だから、魚などの残り物を置いておくといつの間にか無くなっている。この寒いのに餌にありつくことなど野良猫にとっては必死だろうと思う。良いか悪いかは知らないがツイ餌を与えている。

猫を見ると自分はほとんど「ミーちゃん」「ミーちゃん」と呼ぶ。孫が「爺ジはみんなミーちゃんだね」と不思議がるのも無理はない。

若かりし頃大切に飼っていた猫の名前が「みー」であった。

その後の飼い猫は「タップ」と「クロちゃん」だ。でも「タップ」は隣の家(娘夫婦)の飼い猫であったが癌で死んでしまった。利口なイイ猫であった。クロちゃんも昨年の暮れ亡くなった。猫は思うようにならないところが可愛い。また、縁があったら飼いたいなァ。