粗碾き蕎麦の美味しさを求めて

地元箕輪町上古田産石臼碾き「信濃1号」が主体の蕎麦屋です。

桜吹雪

2012-04-24 15:06:29 | 釣り
穏やかな陽気で綺麗な青空。今日は高遠も花見客で賑わっていることだろう。
やはり花見は青空がよい。日曜日は行き付けのスナックの花見にお呼ばれされていたので行ってきたが、あいにくの空模様であった。でも気を利かせていただき屋内での花見となった。寒かったのでストーブまで付けてあった。花見というのに何とも桜の花はそっちのけ、お酒とご馳走、それに酔いが廻っての芸達者の出し物に私などは度肝を抜かれてしまった。

今日は一燈の定休日ではあるが、たまたま御予約のお客様が二組もあって営業させていただいた。どちらのお客様も高遠のお花見の帰りということで充分堪能されて帰ってこられたご様子であった。

帰り際、玄関の戸を開けお客さんをお見送りに行くとなんと、桜吹雪であった。先日まで蕾であったのにもう花を散らせている。なんだかもったいないようでもあり、つい、無常観に浸ってしまった。でも花はまだ良い。来年もまた咲くからね。

籾まき始まる

2012-04-21 11:22:21 | 釣り
桜の開花と共に、にわかに田や畑仕事に精を出す人たちが増えてきた。
ソバ打ちが終わり、ほんの一時、近くに散歩にでるとMさん宅の農業用ビニールハウスに大勢の人が見えたので挨拶をすると、ただいまもみ播き中とのこと。

非農家の私は初めてみる光景に驚いた。まず、もみ蒔きの機械そのものに「よく考えられたものだ」とびっくりした。それと毎年のことで慣れている作業とはいえ、家族や親戚の方々の作業役割分担の手際よさに感心した。

田植えから以降の光景は毎年見ていてある程度は理解できてはいても、もみ蒔きの仕事をじっくり見せてもらったということは67年生きてきて初めてだ。

普段は腰が曲がっていて痛そうに見える人や、足が痛いといっているご婦人も、なにか生き生きと分担された仕事をこなしていた。

農家の方々も目に見えない作業を坦々とこなし秋の収穫を迎えるのだなァと改めて感心した。たまには「ゆとり」を持ってゆっくりと散歩などをしてみるのもいいことだ。それが新たな発見と感動をもたらしてくれるものだと思った。

春だなァ

2012-04-20 11:54:41 | 釣り
車を走らせているとあちらこちらの桜が咲いているのが目に入る。「あれッこんな所に桜があったんだ。」と思うくらいいつもは余り目立たない存在であるが、この季節はしっかりと存在を示している。

桜の名所、高遠の江戸小彼岸桜も今週末には満開で花見客で賑わうことだろう。高遠のような沢山の桜の木がある桜の名所もそれはそれで素晴らしい感動を味わうことができるが、箕輪に咲く(権現桜)はたとえそれが一本の桜でも風雪や年輪を感じその木の下でのお花見もいいものである。

一燈の中庭に咲く山桜の一種(大山桜)も色こそ白目で控えめではあるが、この季節にはその桜を愛でての一杯もまた粋なものである。

今年はその大山桜が余りにも大きくなり隣の敷地にまで枝を張ってきたものだから、ど素人の自分が枝打ちをした。桜は切ってはいけないと知ってはいたが危険な目に遭いながら何とかやることができた。あれほど枝を傷めたのによくしたものだ、満開に花を咲かせてくれた。嬉しい。


BGM

2012-03-23 10:56:42 | 釣り
一燈の客室には開店当初からBGMが流れている。開店当初は、カッコつけて自分の好きなジャズを流していたが、あるお客さんから「蕎麦屋でジャズは如何なものかなァ」と言われてあっさり止めた。

次は、ヒーリングミュウジックを流していた。お客さんからも結構評判は好かったのだが、お店が暇な時には何とも元気が出ない。情量に流され影響受けやすい自分にとってはたまに聞くのなら良いが、どうも暗い。

次に出会ったのが、今は亡き、山本丈晴さんのギター演奏である。これは気に入っていてお客さんからの反応も結構好いのである。

しかし、ここ一週間、ミニコンポの具合がよくなくて途中で止まってしまう。なんとかしようと試みたが、どうにもならずに買ったところへ今日電話した。

それにしても、BGMの流れていない店内がこれほど寂しく、味気ないものかは、聞こえなくなって初めて知った。まだ、機械だから直せばいいが、人間だったらと思うと、ゾッとする。大事にしなくては。

「一人で勝手にやれば」語る会 29 最終回

2011-07-16 11:23:00 | 釣り
 私自身も、先ほどお話ししたような愚かな人間ではありますが、そのような一隅を照らす生き方ができたらいいなと常々思っています。そして、自分なりに実践していることがあります。それは信仰の実践です。こんな私でも、よくぞ信ずるに足る信仰にめぐり逢うことができたものかと喜びで一杯なんです。多少なりともいろんな分野の本を読んで勉強したり、立派な方々の講演もよく聴きに行ったりしますが、決して信仰への確信が揺らぐことはありませんでした。そして、それらを通して益々信仰への確信は深まってきたと思います。一時期、ある組織に所属したこともありましたが、子供の頃からズーッと持続している信仰で、日蓮正宗という末法の御本仏、日蓮大聖人の教えを正しく伝えていこういう小さな宗派です。その末寺である信盛寺の一信徒として、御本尊様の御前へ端座し朝晩の勤行唱題をしています。自分では純粋な仏教徒だと思っています。

★ギター演奏 人生劇場 

□でも、いくら信仰を保っていても世間の波風は容赦なくやってくるものです。わたしの灯している小さな燈火も大風が吹いたり、雨が降ったりして消えそうになることもあります。元気が失せてしまい、もう駄目か、というような時もありました。
 前世からの「宿業」というものでしょうか、私の命に巣くう怒りや、愚か、貪りの命などが、これでもかというくらい出てきたりします。でも、そんな時にも負けないようにしなければなりません。

□私の好きな言葉、「一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を嘆く事なかれ、ただ一燈をたのめ」その言葉の如く、私にとっての大事な、大事な、一つのともしび。その、ゆるぎない信仰の燈火を高々と掲げて一生懸命、自分らしく「一隅を照らす生き方」ができるようにと励んでいきたいと思っています。


□本日は長時間にわたり、私のつたないお話をお聞き下さいまして、本当にありがとうございました。以上。