乾酪庵 Cottage de fromage

スピブログとして発足しましたが、ただの日記になりつつあります。
最近は芸人さんの話題が多いです。

Ⅵ.家族論としての『TIGER&BUNNY』.息子ふたり

2024-05-09 18:00:00 | TIGER & BUNNY

TIGER&BUNNY、ルナティックの話、つづきです。引き続きネタバレあります。

 

 

ユーリは元々は父に対して敬慕の念を持っていたと思います。それが憎悪と軽蔑の対象に堕ち、そこに葛藤が生じる。

一方で虎徹ですけど、こちらも詳細は分からないまでも、人伝にレジェンドに裏の顔があったらしいことを知らされる。ひたすら憧憬の対象だったレジェンドも無謬な存在ではなかったことを知ってしまう。

まぁ、虎徹は大人なんで、ショックではあってもどこかで折り合いはつけられるだろうと思うんです。ただユーリは少年の心で、その葛藤を抱えたままルナティック――狂気のヒーローとしての途を歩み始める。

 

レジェンドの方で一度会っただけの虎徹を覚えているかは分かりませんが、物語の中では虎徹とユーリはレジェンドをはさんで対称性が高い。息子が二人いるように見える。

見方を変えれば、虎徹とユーリはひとりの人間の別の面をふたりで分担してるとも考えられるのだ。

親からの暴力に耐え兼ねた少年がかつてのように純粋な気持ちに戻りたいと願った時、そこに現れたのがタイガーだったのかもしれないぞ。

 

で、この辺が私がこれベルばらぽい、と思った所以なんですけど。

タイバニでは子ども(息子)だったが、ベルばらでは逆に親(母親)がふたりのキャラに分けられている。すなわち母親の善性がオーストリアの実母、マリア・テレジアで、魔の面が義祖母にあたるデュ・バリー夫人である。

娘であるマリー・アントワネットはデュ・バリーを攻撃することで、自分を政争の具にした実母に対しての怒りと寂しさを癒してるんですよね。

これあくまでキャラクターとしてのマリー・アントワネットの話しで、歴史上の彼女がどうだったかって話しじゃないですよ、当たり前ですけど。

あとベルばらに関しては、私の考えではなく昔読んだある本に書いてあったものです。手許に無いのが悔やまれますわ。あの本で今の考え方の基礎ができた。

 

タイガーの方でもルナティックを意識してるシーンは多い気がする。

このふたり状況的にもっと対立していいと思うんだが、ルナティックは決して必要以上にタイガーを攻撃しようとしない。場合によっては守ろうとさえする。

(これを書いた頃、私はまだ『Rising』鑑賞前でした。)

一人の男の正義の体面を保ち、脆弱な素顔を否定するためにユーリは虎徹を必要とした。

虎徹は父親に憧れた幼い日の自分自身だから。

ユーリが虎徹を守ることで真に守りたいのは今や自分の心の中にしかいない正義のヒーローなのだと思う。

 

 イラストAC

 

これを書くので色々ネサフして知ったのですが、ユーリは当初タイガーの元相棒として設定されてたらしい。それ知ってなんかすごいすっきりしました

一方のバーナビーは、当初ルナティックがウロボロスの関係者と目してた頃以外はその他の犯罪者のひとりって感じ。あまり執着してる様子が見られない。

てかぶっちゃけ、バーナビーって両親と虎徹さん以外の人間に関心ないよね。2では幼なじみとか出てくるけどね。

まぁバーナビーの話は次回以降。 

つづく


Ⅴ.家族論としての『TIGER&BUNNY』.偶像の父

2024-05-08 18:00:00 | TIGER & BUNNY

TIGER&BUNNY(無印)の感想、5話目です。重要なネタバレあります。

 

それで Mr.レジェンドの話をしたいんですけど、その前に虎徹の家族の話をします。

 

虎徹はシュテルンビルトで一人暮らしですが、田舎に家族を残している。老母、娘の楓、独立した兄。妻は数年前に他界している。

父親については一言も言及がなかったと思うんだが(私が覚えてないだけかもしれないが)、お墓参りのシーンがあったのでおそらくあの中なのだろう。

虎徹が何歳の時に亡くなったのかにもよるが、おそらく父親の不在と自らの能力の出現で精神状態が不安定になってたところで事件に巻き込まれ、そこを救ってくれたのが Mr.レジェンドだった、と。

 

レジェンドは事件そのものからだけでなく、虎徹少年に将来ヒーローになって誰かを守る、という夢を持たせてくれた、いろんな意味で救いだった。

ある意味父親的な存在と言える。一度しか会っていないこと、現在の消息が分からないことも『レジェンド(伝説)』感をだしており、虎徹の中でより理想化されていると言えるだろう。

考えてみると、虎徹もバニーも実の父親が不在なので、それで父親的な人物が実際以上に大きくなってしまったのはあるだろうな、心の中で。

 

物語が進むにつれて、そのレジェンドには実の息子がいることが明かされる。

 

 写真AC

 

息子のユーリが幼いころは父であるレジェンドのヒーロー業もうまくいっていたようで、息子にとっても良き父親であったようだ。

それがある事情からヒーローとして行き詰まるようになり、家庭でも酒に溺れ妻に手をあげるなど日に日に生活が荒んでいく。思い詰めたユーリ少年はついに…。

 

ある意味で、虎徹は幸運だったと言えるでしょう、真実を知らぬまま大人になれたことは。

しかしどこかで道を誤れば、ふたりの運命は全く違っていてもおかしくなかったと私は思うのです。

つづく


Ⅳ.ヒーロー論としての『TIGER&BUNNY』.力を持つ者

2024-05-07 18:00:00 | TIGER & BUNNY

気安く始めたはいいけど、これ書くの結構大変だぞと気づき出しました。おそいよ。

一応言っておくとアニメ以外にも書きたい話題はあります。けどどうしても暗くなるからさぁ

TIGER&BUNNY、4話目です。

 

 

ヒーロー物語の世界でパワー、異能を手に入れることは大人の力を借りて一時的に大人になることの暗喩だ、という説について掘り下げてみる。

 デザインAC

 

昭和のヒーローアニメにおいて、主人公が得たパワーは基本的に善なるものとして描かれている。それを得たがための苦悩などもあるのだが、エピソードの一つとして扱われ、物語の前面に出てくる事は少ない(当然例外はある)。

タイバニにおいては、むしろ苦悩が前提になっている。能力者である “NEXT” は、物語世界では周囲にとって招かれざる者であることが多いようだ。

そもそも他のヒーローアニメでは、パワーを得た者とヒーローが無条件でイコールなのだが、タイバニ世界では能力がある者が必ずしもヒーローになれるわけではないという点が大きく異なっている。

 

また、旧来のアニメでは主人公に能力を授ける存在が登場する。敵(ショッカー)だったり味方(バードマン)だったりするが、どちらにしろこれは大人の代表、親の暗喩だと見ていいと思う。

しかしタイバニの世界では、そういった存在は登場しない。能力はある日突然勝手に発現して、当人や周囲を困惑させる。

 

これ要するに、視聴者として想定されている年齢層の違いによるものだと思う。視てるのが子どもだったら大人の力を借りて一時的にでも大人になったらそりゃ無敵でしょ。

けど大人だったら、自分程度の人周囲にいっぱいいるし、そのスキルを活かせるかってその人によるよねって話しになる。

 

書いてて気づいたが私がタイバニを視始めた当初これはパーマン、と思った理由が『敵が固定されていないこと』と『Mr.レジェンド』にあるのだなぁと。

パーマンには、特に定まった敵と言うのはおらず、事件は毎回単発的に起こる。タイバニでも最初の数話はそう。

そしてパーマンにとって導いてくれる存在としてバードマンがいるのと同様に、タイガーにも心の師、先達としての Mr.レジェンドがいる。

これがだんだん、ウロボロスという謎組織が登場したり、レジェンドの過去が明らかになったりしてどんどん “藤子不二雄み” が薄れていく。そうかといって “石ノ森章太郎み” はあんまり感じないけど。

 

それでその Mr.レジェンド(と、)の話しをしたいんですけど、その前に虎徹の家族の話しをします。

 つづく


Ⅲ.ヒーロー論としての『TIGER&BUNNY』.ふたつの制限

2024-05-06 10:00:00 | TIGER & BUNNY

※ ネタバレあります。

TIGER&BUNNY の話し。第3話です。

その1 その2

 

もう一個、タイバニの特徴を挙げると、時間制限と期間制限というのがあります。

タイガーもバニーちゃんも、ハンドレッドパワーには『5分』というタイムリミットがあります。これが時間制限。

そしてネタバレになりますが、タイガーの能力は徐々に5分保たなくなってゆき、最終的に消失する未来が予想される。これが期間制限です。

 

 写真AC

 

時間の制限があるヒーロー、っていにしえから特撮にありました。『ウルトラマン』っていうんですけど。

ウルトラマンに3分間の時間制限がある制作上の理由は Wikipedia に載ってますんで各自ご参照ください。

私が二十数年前に読んだある本によりますと、ウルトラマンの怪獣が暴れてるのは視聴者である子どもたちの中の幼児性の発露を暗喩してるのだと。

暴れることでカタルシスも得てるけど(くんちゃんと一緒)、他方でそのうち怒られるんじゃないかと怯える気持ちも惹起される、そこで幼児性を制御するためにウルトラマンが現れるのだと。

ウルトラマンのおかげで怒られる危機は回避できたけど、そうかといって制御される状態がずっと続いてるのも苦しい…、ので3分間という時間制限があるのだ、という内容でしたね、あえかな記憶によると。

 

そう言われてみると、バーナビーの両親の仇と目されたジェイク、と言うのはやたら幼児性の強いキャラですよね。

ただ、あんまりジェイクが暴れてるとこを見ても気持ちよくない気がする。

どっちかというと、暴れてるとこを見て気持ちいいのはタイガーだよな。壊し屋タイガーが幼児性の発露でありその能力にタイムリミットが定められてるんだと解釈した方がしっくりくる。

じゃぁバニーは、というところですが、これは単なる付き合いでしょ。深い意味は無いと思う。知らんけど。知らんとか言い出したら全部そうだよ。

まぁ、幼児性の強い敵、といえばダイヤモンドの人もそうだし、part2 に登場する敵もだし、そっちに対しても影響はしてると思いますけれど。

 

さて、もう一つの期間制限の方ですが。

タイガーの能力が徐々に発動時間が短くなってく問題。これは前回指摘した点に帰結すると思うんですが。

つまり最終回にヒーローパワーを失くすのは大人の力を借りずに大人になることの暗喩だと。

要は旧来のアニメの構造に立ち返ろうとしてる、ように見える。バーナビーからすれば、先祖返りとか言われそうですけど。

 

大人になる、というのは TIGER&BUNNY の場合自立するということで、では自立とは、というと父親からの巣立ちを表している、と思います。とにかくしつこく父子なんですよこのアニメ。

 

そんなわけで次回はその辺の話しを。

つづく  


Ⅱ.ヒーロー論としての『TIGER&BUNNY』.ヒーローと時代

2024-05-05 10:00:00 | TIGER & BUNNY

このタイバニ感想シリーズ、一応全10話で確定しそうです、今のとこ。
そして4日の晩に観た劇場版 Rising が面白かったので、+1話感想を書くと思います。
1日1話、休日は午前中、平日は夕方に公開します。14日終了予定。

 

TIGER&BUNNY、2話目です。

前回 TIGER&BUNNY その1

 

まぁ、そんなわけであれなんですが、昭和と一口に言っても長いですけど、便宜上昭和と呼びます。

昭和のヒーローものでは、ヒーローは正体を隠してるのが絶対条件であり、最終回では世間や家族に正体がバレてヒーローの資格がなくなる、までがセットだった(パーマンはちょっとイレギュラーですが)。

平成初期になってくると最後まで正体はバレないし、ヒーロー活動も続けるらしい、という作品が出てくる。セーラームーンみたいな話ですね。

これどういうことかというと、ヒーローパワーを手にするということは、大人の力を借りて一時的に大人になることの暗喩なんですね。

最終回でその力を失くす、というのは、大人の手を借りずに自力で大人にならなければいけないことを暗喩しています。

時代が下るにつれてその線引きがあいまいになってる、つまりモラトリアム期間が長くなってきていることを示唆しているのではないか、と言うのが私のパーマン論の論旨でした。

 

で、タイバニは 平成後期(H23年)の作品ですが、とうとう最初から素顔と本名を世間に晒して活動するヒーローが登場したと。

 

 写真AC

 

この辺について第一話にて初対面のタイガーとバーナビーが端的に会話してる。

 

「大体お前な、ヒーローが人前で仮面外したりなんかすんな。有り得ないぞ」

「は?」

「ヒーローってのはな、正体を明かさないのがヒーローなのであって」

「古いな」

「ふぇ?」

「あなたはもう時代遅れなんですよ、オジサン」

 

TIGER & BUNNY - シーズン1 - 1話 (アニメ) | 無料動画・見逃し配信を見るなら | ABEMA

 

こうなってくると「もう一生モラトリアムでいいじゃんなにがいけないの」という開き直りを感じる。それがいいとか悪いとかの話しじゃなくてですよ。

開き直りというか、平成生まれはもうそれが当たり前なんだろうな。

そう言う虎徹にしても、娘の楓ちゃんにはヒーロー活動のことを隠しているけど、母親や兄は知っており、これは昭和では有り得ない、ルールがだいぶゆるくなっていることを感じます。

つづく