治療院開院から丸10年経ったのを記念して(注1)治療室に掛けるため、サイモン・マースデン(Simon Marsden)の写真作品のオリジナル・プリントを1点購入した。
実は今年の2月頃、ポンドが円に対して大幅に下落した時期があって、その時に購入しようとしたが、ちょっとしたアクシデントがあってモタモタしているうちにみるみるポンドが高くなり、買う機会を逸してしまった。しかし、その後も円/ポンド・レートを睨みながら買う時期を探っていたのだが、ここに来てまたポンドが少し下がったのを見て、今が機会と注文を出したのである(注2)。
(注1)そんなことは、もちろんただの名目にすぎないワケだが。振り返ってみたら2007年9月にもマースデン作品を購入していて、その時の理由は『スティルネス』の出版を記念して、だった。進歩がないね。
(注2)が、注文を出した後もポンドは下がり続け、もう少し待っていればよかった、と大いに悔やんだ。FXなんてやってると、毎日がこうなんだろうか。私には無理だなー。
今回買ったのは、MA-SS-093という作品である。著作権の関係で、その作品をここに出すことはできないので、興味のある方はThe Marsden Archiveで見ていただきたい。表紙のTHE MARSDEN ARCHIVEをクリックして入り、左側のメニューからthe picture libraryを選んでクリックすると、categoryとlocationの2種類から作品を見ることができる。
今回購入したMA-SS-093は、categoryでは"Eerie Lakes & Cruel Seas"、locationでは"USA"の中に見つけられる。ちなみに前回購入したのは、categoryでは"Bizarre Interiors"、locationでは"Ireland"の中のMA-C-179、またそれを違う角度から撮ったMA-I-088を、更にその前の会社員時代に購入している(注3)。
(注3)この時はネットではなく、新宿伊勢丹の近くにあったギャラリー(今はもうない)の『サイモン・マースデン展』で購入した。その展覧会のことは『ぴあ』の記事で知ったのだが、そこに添えられていた作品の写真を見て、「行ったら買うことになるだろうな」ということを覚悟しつつ、行くことを決めた。マースデンの名前を知ったのは、その時が初めて。当日はギャラリーの人に「この作品を買いたいんですが、どの程度、勉強していただけるんですか?」と聞いたら、「ウチもギリギリのお値段でお出ししているので…」と渋々ながら5%(だったか?)引いてもらった。やはり言ってみるもんだ。
数年の空白期間を経て、ここ4年くらいは1年に1点のペースで絵や写真を買っているが、どんな場合でも私はその作品から「呼ばれ」ない限り1点の作品も買うことができない。だがまた、一度「呼ばれ」てしまったら、それを断ることはできない。「呼ばれる」とは、作品の持つ何かと私自身の何かとが呼応した、ということなのかもしれない。ともかく、私はずっとそうやって作品と出合ってきた。
そして思うのは、マースデンの作品はある種の「魔」である。それは彼が狙う被写体によるのかもしれないし、彼自身が内に持つそうしたものの現れなのかもしれない。だから、マースデンの写真を治療室に掛けるのは、決して「来てくれる患者がホッとくつろげるような癒しの空間を演出するため」などではなく、「魔をもって魔を封じるため」に他ならない。
もちろん、そうした「魔」はマースデンの作品に限られるものではなく、ある水準以上の作家の作品なら総じてそうしたものを帯びているものだが、特にマースデンの作品は明確に「魔」と呼び得るため、こうした用途に使うには最適なのだ。
そして実はマースデンにはもう1点、「呼ばれ」ている作品がある。マースデンの作品は私のお気に入りで、できるなら手に入れたい作品はまだ何点もあるが、多分その1点が私の買う最後のマースデン作品になるだろう。それを買う時期は、まだ未定である。
最新の画像[もっと見る]
- レビューが「図書新聞」に載る 2ヶ月前
- レビューが「図書新聞」に載る 2ヶ月前
- カバラと「生命の木」 36 7ヶ月前
- 水道料金の督促が来た 1年前
- 1年前の食べかけのシュトレンが見つかる(´エ`;) 1年前
- 1年前の食べかけのシュトレンが見つかる(´エ`;) 1年前
- カバラと「生命の木」 35 1年前
- カバラと「生命の木」 34 2年前
- 楽天カードから身に覚えのないカード利用が! 2年前
- カバラと「生命の木」 33 2年前
なんとなく5部ぐらい続きそうな気が致しまして
楽しみに待っております!
自称(弟子)さんは、難し過ぎると嘆いておりましたが、
解った様な解らない様な世界が陰陽の世界の様な気が致しますし、sokyudo先生の会見をもっと拝見させて頂きたい所存であります。
私にとっては、日本刀が主を選んでやって来る様です。
5年ほど前まで、備前長船祐定 作
バブル期 600万円と元年のクラウンが祖父の遺産で、
それを、毎週振っていました。
やはり名刀、バランスが良く全く疲れませんでした。
5年ほど前、母の従姉の旦那が事業も安定して来たので、日本刀が欲しいと言うので譲りましたが、
その時、なんだか刀が自分で身売りして行く様な感じを受けました。
調度お金も無かったですが、伯母の所じゃなければ
売る事は無かったです。
今は、先生のをお借りしている形ですが
(鬼瓦の様な顔なのに、刀は振ってやらんと可哀そうだ!
長船で斬るのも可哀そうだ!と言います。)
次は先生が亡くなる時に、先生が打って貰った刀を
譲り受けるんだろうな?と感じます。
現在、な~んちゃって柳生新陰流なので
その時からは、ちゃんと圓心流据物斬剣法と
双真道合気柔術 の練習を再開しなければいけないんでしょうね。
美術品と呼ばれるモノは大きな意志を持っているのでしょうね。
改めて、実感いたしました!
ついでに、このブログを御覧で九州圏内の方へ!
11月17日に福岡でsokyudo先生によるセミナーを
行って頂ける様に成りました!
まだ数名は参加出来ますので御興味ある方は
nanahoshi89@gmail.comまで御連絡下さい!
師思いの弟子(自称)から宣伝の要求がありました。笑
心身・時空・曼荼羅図の話は、私の単なる思い付きを書いてみたたものなので、読み手がわかるかわからないかは、あまり気にしてません。
また気が向いたら続きを書きたいと思います。
>私にとっては、日本刀が主を選んでやって来る様です。
だとすると、それを受け入れることが先生の使命なのでしょう。
ただ、絵でも写真でも、そして多分、刀でも、それを持つこいうのは、実は一時的に借り受けているのに過ぎません。手放すべき時に手放すことも、また重要な使命です。そういう意味では、
>その時、なんだか刀が自分で身売りして行く様な感じを受けました。
と感じるnanahoshi先生は、「さすが」の一言です。
全ては流れであり、きれいな流れを作り出すことこそ、最も重要なのですね。