最近ではアンチエイジングということばかりが声高に叫ばれているけれども、それと合わせて「上手に老いていく」ということも考えなければならないと思う。そのためには「老化」とは何かということをちゃんと考えなければならない。
そのことで、おのころ心平さんのメルマガ「パーソナル健康学」に面白い記事が出ていたので、今回はそれを引用。添付したBGMは『歴史秘話ヒストリア』のOSTから「Dawn is falling」。
おのころ心平です。
…老衰というのは、
体のどこかの臓器や部位が
突出して悪くなるのではなく、
全身が、
脳や神経も含めて
バランスよく衰えていく
状態のことをいいます。
老衰の特徴は、
人生の最後まで
痛みを感じにくく、
苦しまずに旅立てることです。
※ ※ ※
バランスのよい老化…。
あらゆる生物にとって老化が
避け得ることができない事実ならば、
たしかに、「老衰」という最期が望ましい…。
もっとも自然なのは、
「調和した老化」
であるということですね。
逆にいうと、
さまざまな疾患や病気とは
「部分的に特化した老化」。
ということ。
つまり、部分的に、
ある人は、
肝臓に大きな負担がかかり、
ある人は、
腎臓に大きな疲弊が起こり、
ある人は、胃腸に特異的な
ストレスがかかり、
ある人は、いつも呼吸に
アンバランスが生じて、
偏りが行き過ぎて
全体のバランスを失う
ということですね。
※ ※ ※
でも・・・、
僕は、こう考えるのです。
最初から全体の帳尻を
合わせながら、
偏りなく毎日を送るなんて、
誰ができるでしょう。
だって、
偏りこそが個性というもの。
カラダの偏った使い方こそ、
その人の個性、才能とも
言えるからです。
そう生きてきたんだから
しょうがない。
だから、今まで生きてきた自分を
まずは肯定し、
そうしたこれまでの自分と
調和のとれる生き方を、
これからの未来の自分へと
投射する。
※ ※ ※
ふふー、
もしかしたら、それが
老衰へ確かなるの道と
いえるのかもしれません。
この記事で私が個人的に好きなのは
さまざまな疾患や病気とは「部分的に特化した老化」ということ。
とした上で、
最初から全体の帳尻を合わせながら、偏りなく毎日を送るなんて、誰ができるでしょう。
だって、偏りこそが個性というもの。カラダの偏った使い方こそ、その人の個性、才能とも言えるからです。
と言っちゃってるところ。そう、要するに病気も老化も「その人の生きてきた歴史そのもの」なワケだ。ならば、その自分が歩んできた道のりを肯定できる自分でありたい、と思う。
それに、老いるというのはそんなに悪いことばかりじゃない。能楽師にしてロルファーである安田登の『日本人の身体』の中に、「老い」とは「生(お)い」であり、老いて失っていくことでしか得られないもの/到達できない場所というものがある、という記述があって深く考えさせられた。こうなるとアンチエイジングなんかしてる場合じゃないですよ、奥さん(笑)。
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