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笑える哲学書

2015-08-21 11:11:20 | 趣味人的レビュー

これは「ブクレコ」に『哲学入門』のレビューとして書いたものに加筆修正したものである。

実は以前から哲学には興味があって、本格的に勉強してみたいとも思っているのだが、数学に膨大な時間を取られているため、なかなかそっちには手が回らない。

そんなわけで、ちくま新書から戸田山和久という人の『哲学入門』という本が出た時には、絶対読もうと狙っていた。新書で400ページ超というボリュームになかなか手を出せずにいたのだが、小説を読むのも一段落ついた、ということで読み始めた。

では、ここからはアニメ『へうげもの』のOPをお供に。



で、『哲学入門』を読んで、初めて哲学するということがわかった(ような気がする)。

これまでも哲学関係の入門書を読んだことがあるが、今考えるとそれは「ニーチェはこんなことを言った」とか「ハイデガーの言っていることをわかりやすく説明すると…」みたいなもので、それはあくまで「ニーチェ哲学の入門書」「ハイデガー哲学の入門書」であって「哲学の入門書」ではなかったし、そういう「人様の哲学」を知ることが哲学を知ることではなかったのだ!


もちろん、この『哲学入門』でも他人の哲学説を元に話を展開していく部分が少なからずあるが、ここで戸田山がやろうとしていることの1つは、唯物論の分野で今どのように哲学が作られているかを見せることである。

なぜ唯物論か? もちろん今更マルクスを蒸し返そうというのではない。科学では物質の様態の変化は素粒子のダンスに、さまざまな思考や感情は脳内に分泌される化学物質の種類や濃度に還元されてしまう──つまりは唯物論だ。今は科学が最も力を持つ時代であり、戸田山たちが狙っているのは、こんな時代の「科学的世界観のただなかで人間とは何かを考える哲学」の構築、言い換えれば、意味とか機能とか情報とか目的とか自由とか「ありそでなさそでやっぱりある」という「存在もどきたちをモノだけの世界観に描き込」もうというのである。

──というと非常に難しそうで、実際、中身はかなり難しい(私には)のだが、戸田山の軽妙洒脱な書きっぷりで結構笑えるのだ。いや?『哲学入門』なんて本を笑いながら読む日が来ようとは!

で、そういう「ありそでなさそでやっぱりあるもの」を唯物論的世界観の中に書き込んだ先にあるのが、

「どんな人生も一様に生きるに値するって、やっぱりウソだと思う」

という言葉なのだ。しかも、その次の節のタイトルが

「俺たちただの進化の産物だし、その生に究極目的なんてあるわけないもんね」

だ。これを見た瞬間、「そうか、そこに来たか!」と思った。


「私たちは1億匹の精子のたった1匹が受精してできた奇跡のような存在。だから、こうして生きていることには、ただそれだけで価値がある」
なんて語ってる自己啓発本に感動しちゃってる人がいたら、ゼヒこの『哲学入門』を読んで頭をガツンと一発ぶん殴られてほしい。しかも、上の言葉は単に戸田山のその場の思いつきから出てきたたものじゃなく、ちゃんと哲学的な考察を踏んだ上で導かれた結論だ(だから、結論だけ手っ取り早く知りたいからと前の部分をすっ飛ばして、その言葉だけ探して読んでも意味ないので、ご注意)。


あとがきも、なかなかシャレてるぜ。

生来、私はとても恥ずかしがり屋なのだ。幼稚園のおゆうぎなどでは、いつもニヤニヤ笑いを浮かべて、イヤ拙者、こんなカッコして踊りおるのは本意でござらぬ、というメッセージを発することに心を砕いていた。そんな私をいつも母は「恥ずかしくって見てられない」と言って叱った。恥ずかしがることの自意識過剰ぶりが最も恥ずかしいという、ダブルバインド状態に置かれた、その後の人生でも、ときどき発作的にきわめて恥知らずな振る舞いに及ぶようになってしまった。本書もその産物に他ならない。というわけで、本書成立の遠位原因は母である。その母も執筆中に死んでしまった。だから、本書を母の霊前に捧げ、たりはしない。唯物論者だから。

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