深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

衝動について

2024-07-17 18:04:55 | 一治療家の視点
(特にスピリチュアル系の)自己啓発書やビジネス書などに、しばしば「あなたにとっての夢/本当にやりたいこと/ワクワクするものを探しましょう」といったことが書かれていて、私も結構それに感化されてきた。しかし、谷川嘉浩はこの『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』の中で、そうした考え方を真っ向から否定する。
つまるところ、「将来の夢」は、世間や周囲の人が「正解」だと信じていて、あなたに言ってほしいことの総体です。(中略)
私が見るところでは、「本当にやりたいこと」として語られるのは、①世間的に華々しいスポットライトを浴びているものか、②今の自分が「正解」だと思っているもののどちらかです。
その上で谷川が「見つけるべきもの」として挙げるのが、タイトルにもある「衝動」である。谷川は「衝動」を
自分でもコントロールできないほどの情熱。非合理で、説明もつかない、自分でもなぜそれに駆り立てられるように没頭しているのかよくわからない、そいう熱量が湧き出してしまう状態。
と表現し、マンガ『チ。』に登場するラファウを例に引いて説明する。
『チ。』は中世ヨーロッパを舞台に、キリスト教会から異端とされた地動説の研究を命を懸けて押し進めた人々の物語。谷川が挙げたラファウは、世間や周囲の「空気」を読んで要領よく立ち回ってきた世渡りに長けた少年だったが、異端とされた地動説に感化され、ついには教会を敵に回してまで地動説の研究に身を捧げることになる。彼を突き動かしたものは地位でも名誉でも富でもなく、ただ地動説は正しいという「直感」である。彼はその「直感」を信じた、というより、その「直感」から逃れることができなくなってしまったのだ。

このラファウの例からも(谷川が言うところの)「衝動」とは、「夢」、「(本当に)やりたいこと」、「ワクワク」などとは似て非なるものであることが分かる。そして本書は、そんな「衝動」をどのようにして見つけ出し、生活に実装し、計画的に運用するか、といったことが述べられている。

ただ本書を読んでいて、「衝動」についての谷川の考え方が私とは違うせいか、私にはどうも腑に落ちない感じが最後まで拭えなかった。その1つは「衝動」は進んで見つけに行くべきものなのか?という点である。

私なりに「衝動」と「夢」、「やりたいこと」、「ワクワク」といったものの違いを言い表すとすれば、「夢」、「やりたいこと」、「ワクワク」といったものが「魅せられるもの」であるのに対して、「衝動」とは「魅入られるもの」である。「魅せられる」体験というのが、例えばサッカーで神業のようなプレーを目にして「スゲー、自分もあんなプレーができるようになりたーい」と思うような、キラキラした心躍るものであるとしたら、「魅入られる」体験は、例えば絶対に会いたくない人に不意に出くわしてしまった時のような、ショックと失望と後悔と諦めが入り混じったようなイヤな感覚だ。(私が思うところの)「衝動」は、見つかった時「やっと出合えた。うれしいなー」というようなものではないのだ。何しろ「衝動」は、それ以降の自身の生き方、あり方を(本人の意思に関係なく)完全に規定してしまうものだから(そういう意味では、「衝動」を「(決して逃れられない)運命」と言い換えてもいいだろう)。口先ではともかく本心として、あなたはそういうものを見つけたいと思うだろうか?

谷川は「衝動」を「夢」、「やりたいこと」、「ワクワク」といったもののとは違うと述べながら、彼の中ではその違いがそこまで明確でないのではないかと思われる。少なくとも、彼にとって「衝動」は、積極的に見つけ出して生活に取り入れるべきだ、と思うくらい無害で穏当なもののようだ。そんなマイルドな「衝動」が本当にあるのかどうか私には疑問だ(「衝動もどき」なら、あると思う)が、スピ系の「夢」、「やりたいこと」、「ワクワク」といった言説に疑問や限界を感じている人は、本書を読むと気づきになることがあるのではないだろうか。
 
※「本が好き」に投稿したレビューを採録したもの。
 

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