深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

自分を受け入れるということ

2006-02-17 13:04:29 | 症例から考える

人の体とは不思議なものだ。治療家なんて商売をやっていると、そんな言葉はいつの間にか陳腐化して、ただの決まり文句になってしまうものだが、時々、決まり文句としてではなく、本当にそう思う瞬間がある。

今来ている患者の一人は、左肩から肩甲骨にかけての眠れないほどひどい痛みを訴えていた。毎回、治療すると症状は軽減するのだが、しばらくすると元に戻ってしまう。この人は鬱、パニック障害、過少覚醒などの既応もあった。これらの症状は現在、かなり落ち着いているが、ストレスのレベルは高く、副腎がかなり弱っていた。そのために、さまざまな感情の処理がうまくいかず、それが左肩から肩甲骨まわりの痛みの原因の一つになっているようだった。

症状の程度からして、できれば週2回くらいのペースで治療したかったが、来られるのは月2,3回ということだったので、少ない回数を補完してもらう目的で、作ってあった資料を渡して、フォーカシングをしてみることを勧めた。そして、その次の治療の時…

開口一番、「肩の症状、かなり改善しました」と。それを聞いて、私はてっきり「前回の治療が効いたんだな」と思っていたら、そうではなかった。「この前もらった資料を見て、(まぁ、まだ全部はちゃんと読んでないンですけど)、肩を受け入れることにしたら、痛みが(完全にじゃないけど)消えました」

その人は、眠れないくらい痛む肩が嫌いで、これまでずっと拒否していたらしい。しかし、フォーカシングの資料を見て、拒否してきた肩を受け入れることを決めたら、それまであった痛みがスッと楽になったのだと言う。「今も押したりすると痛みはあるけれど、仮にまた前のような痛みが出ても、大丈夫だと思えるようになった」そうである。治療家としての私の渾身の治療(笑)は、自分の体と対話し、それを受け入れると決めた患者自身に、あっさりと敗れ去ってしまったのである。

これとおなじような例が、『精神生物学(サイコバオロジー)』(アーネスト・L・ロッシ著 日本教文社刊)の中にも出てくる。ユング派の精神分析家、クラインヘーダーは慢性関節リウマチに苦しみ、内科的治療、カイロプラクティック、栄養療法、マッサージからタロット占いまで、考えつくあらゆる方法を試みたが、どれも効果はなかった。他に手がなくなった彼は、自分の痛みに話しかけ、「何よりもまず私(=痛み)を愛せ」という「痛み」の声に従って、それを受け入れることを決めた。その時からクラインヘーダーのリウマチの痛みは消え、再発もしていないらしい。

それを今回、私は目の当たりにすることになったのだ。それは貴重な体験だったが、同時に「では、治療家ができることとは何なのだろう」という問いに悩まされ続けている。


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2 コメント

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お聞きしたいです。 (yuki)
2006-03-20 19:46:21
初めまして、今日 初めてブログを読ませて

頂きました。

自分の嫌なことを受け入れることについて

今までよく考えていました。

私は10年前美容歯科で犬歯をおかしな位置にずらされてしまい、顔や頭部 頚椎

体全体が歪んでいます。オステオパシーの

検査を今年 受けました、犬歯の位置を元に戻すか、抜いてしまったほうがよいと言われ、私もずっと同じように考えていました。

今まで、それが出来なかったのは、理解してくれる歯科医がいなかったのです。

顔などが歪み始めてから体調も悪くなり、

変わってしまった、自分の顔も受け入れるのに悩みました、でも 心を軽くするためには

受け入れなければ、と 自分を受け入れることに妥協することに努めてきました、

それでも症状は悪化してしまいました。

10年ももったことは それでも自分が今まで受け入れようと努めてきたからなのかもしれないけれど、

自分でも驚くほど悪化してしまって、

骨の歪みも 受け入れることで症状緩和は

するでしょうか。
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コメントありがとうございます。 (sokyudo)
2006-03-23 16:03:49
単純に「受け入れさえすれば、それでよくなる」ということは、ありません。少なくとも私はそう思います。

物理的に壊れた/歪んだものは、まずその状態を物理的に治す必要があるでしょう。それをしない方便として、「受け入れます」といかに思い続けたところで、それは単なる「自分の体への裏切り行為」であり、そうである以上、悪化することはあっても、改善は望めないのではないでしょうか。



「受け入れる」とは、今まで見ることを拒否してきた「自分自身のダークサイド」に目を向けることであり、その勇気が「治す力」を呼ぶのだと、私は思います。
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