先の震災のことを、今も「東日本大震災」と呼ぶことができない。
私の住む埼玉県南東部は地震の揺れこそ長かった──そう、それまでの他の地震と比べても、ことさら「大きい」とは感じず、むしろ揺れが異様に長かったことだけよく覚えている──ものの、特別被害らしい被害もなく、震災で困ったことと言えば、しばらく米やパンが手に入りづらかったことと、計画停電で近所の24時間スーパーが24時間営業じゃなくなって戸惑ったことくらい。
商店街のところに「絆」と書かれた横断幕が掲げられていたり、店のウィンドウに「節電営業中です」と張り紙があるのを見かけたり、図書館に放射能測定結果が張り出されている、といったこと以外、この街で震災を感じられるものは、もうほとんどない。
そう、少しも「東日本」大震災じゃないのである。
しかし、たとえ自分のまわりから震災の影は消えても、震災の被害そのものがなくなってしまったわけではない。身の回りから消えていく震災の影と、残り続ける被災地の被害──そのギャップが日に日に大きくなっていくのを感じながら、このメルマガを読んだ。ひすいこたろうさんの「名言セラピー」からの引用。被災地に暮らす人たちの今が垣間見える(でもこれ、最後はポジティヴにまとめすぎじゃないかなー)。
今回選んだ曲は、吉田拓郎の『唇をかみしめて』。
「ひすいさん、岩手の山田町においしいものを食べに行きませんか?」
と誘われました。
山田町といえば今回の東北地方太平洋沖地震の津波で町ごと流されてしまった場所。
そこに、おいしいもの食べに行く?
「ひすいさん、山田町ってすごいんです。
今回の震災で町中の人たちが悟ったんじゃないかって
思えるくらい、町の人たちがすごい言葉を発するんです。
その山田町においしいものを食べに行きませんか?
ツアーを組みますので」
というわけで山田町に連れていっていただきました。
僕らを最初に出迎えてくれたのは漁師のおじちゃん。
いきなり、ごっそり、
新鮮な牡蠣とム─ル貝を出してくださいました。
え?いいの?
食べんしゃい食べんしゃいと漁師のおじちゃん。
「ここにいる仲間は、みんな家も流されて、仕事もないんだ。ははははは」
え?え?え?
はははって?
被災地の人たち
家流されてるのに
こんなに明るいの?
仕事もなくなったのに
こんなに明るいの?
笑いの絶えない山田町の方たち。
1時間が過ぎた頃、
僕はそのおじちゃんにこう切り出してみた。
「どうしてそんなに早く立ち直れたんですか?」
その質問で、おじちゃんの笑顔が一瞬だけ止まったように見えました。
そして逆に質問されました。
「立ち直ってると思う?」
あああああああ!!!
しまった!!!
そうだよなーーー。
僕はなんて無神経な質問をしてしまったんだろう……
「悲しんで下を向いてたってなにも始まらない。
いまは前を向くしかない。
ウソでも笑える人は前へ進める」
あとでわかったことですが、そのおじちゃんはお兄さんを震災で亡くされていました。
一夜にして
家を失い
仕事を失い
家族を亡くしながらも
ウソでもいいからと笑い
前へ進もうとしている人たちが山田町にはいました。
夜は
漁師さんの他、魚屋さん、スーパーの方、シェフの方など
若手の皆さんも飲み会に参加してくれました。
スーパーで働くある人はこう言いいました。
「絶対泣いちゃダメだ」
そういって、次の日から仕事を再開して
町の人たちにお弁当を配って回った。
ある人はこう言いました。
「山田町のみんなを見たら、
『がんばれ』って言えなくなると思う。
だってがんばってるから」
ある漁師はこう言いいました。
「食えないからってこの仕事をやめるつもりはない」
お店を流されて自宅で食品加工業を再開したある社長はこう言いいました。
「海に恨みはない。
逆にこれまでいかに海が私たちに恵みを与えてくれていたのかに気づいた」
「働くというのは相手が認めてくれなくては働けない。
こうして働けるようになって、いまは仕事が楽しくて感謝しかない」
ある人はこう言いました。
「つまらないものをもってるからつまらなかったんだとわかった。
つまらないことをしてるからつまらなかったんだとわかった」
「全てを失って何もいらないことがわかった」
「元気だからがんばるんじゃない。
がんばるから元気がでるんだ!」
こう言ってくれた人もいました。
「物的支援だけではなく、
僕らのことを気にかけてくれるだけで支援です。
こうして話を聞いてくれるだけでうれしい」
「絶対に泣かない」
そう誓いながらも、昔のお祭りの写真を見つけ、
かつての町なみを見て涙が止まらなくなったと語ってくれた人。
工場が流されて販売チャンネルを失い
インターネットを60歳を超えてから
始めたおばあちゃん。
子どもたちが大好きな山田町のために
来月、イタリアンレストランを開くんだと語ってくれた人。
よくよく話を聞いていたら、その方は、おくさんを震災で亡くされていました……
命をなめんなよ
そう言われてる気がしました。
家を失っても
仕事を失っても
家族を失っても
それでもなお立ち上がれる力が命にはあるんだ。
命の力をなめんなよ
そう言われてる気がしました。
1階が津波で壊滅。
2階もボロボロ。
ならばと3階で床屋さんを再開しているお店もありました。
http://yfrog.com/kglbblj
幕末、
レボリューションが起きたのは
薩摩と長州からです。
江戸時代の始まりには、超貧乏だった薩摩藩。
大幅に領地を没収されて隅においやられた長州藩。
明治維新は、
最も厳しい環境の二藩から立ち上がっていったのです。
革命はいつだってギリギリの環境のところから立ち上がっていく。
東北は
いま、ニッポンのレボリューションの最前線にいる。
東北に、多数のブッダ(目覚めた者)が、誕生してきています。
僕らは100年後、この地球にいません。
つまり、得たものは、すべて手放す日がきます。
昨日得たものも
明日得るものも
全て手放す日がきます。
そう考えると、何かを得ることが人生ではないことがわかります。
おもいきり生きること。
後悔なく、おもいきり生きること。
それが人生です。
この寒さのなか
すべてを失った人たちが
ウソでいいからと笑って
前へ進んでいる。
「笑っていると勢いがでるんだ」
そう言って笑いながら
前へ。
前へ。
前へ。
ひすいこたろうでした。
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