深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

本読みの流儀

2011-12-13 00:09:05 | Weblog

以前、市立図書館でミンデルの本を借りて、いざ読もうと開いたら全ページに渡って鉛筆で傍線と書き込みがなされていて驚いたことがある。気を取り直して読み始めたものの、その傍線と書き込みに我慢ならなくなり、結局全てのページに消しゴムをかけることになった。もう本を読むどころじゃなくなって、書き込みを消すためだけに、その本を借りたような格好になってしまった。

本を読む時は、人それぞれの流儀があるらしい。そのミンデルの本に書き込みした人は、傍線を引いたり書き込みしながらでないと1ページも読むことができないのかもしれない。たとえそれが図書館の本でも。

ちなみに私の場合、基本的には本への書き込みはしない。ページの端を折る(ドッグ・イヤー(dog ear)と言うらしい)など論外である。例外は教科書と数学書くらい。数学書は学生の頃から書き込みをしているが、それも最低限の量だけで、必要なくなったら消せるように鉛筆以外での書き込みはしないし、それ以外の本はできるだけ真っさらな状態のままにいしている。

一時、「本は綺麗なままで読んではならない。本は汚してこそ価値がある」といった論に傾倒して「今までの自分の読み方は間違ってたんじゃないのか?」と思って、赤で傍線を引くなどしていたこともあるが、どうしても馴染めなくて、しばらくしてやめた。

そういうことが馴染めない理由がわかったのは、ずっと前に受けたフォトリーディングのセミナーでだった。

そのセミナーを受講していた一人が講師に質問したのだ。「本を読むときには大事なところを色鉛筆やマーカなどで目立たせておいた方がいいですか?」。それに対して講師は、やや記憶が曖昧だが、こんなふうに答えたと思う。「本にそうやって線なんかを引いてしまうと、次に読む時に新しい視点で読めないでしょう。だから書き込みなどはしない方がいいと思います」。


「いい本」とは何か、と問われたら、私は即座に「読み返すたびに新しい発見がある本」だと答える。私の場合、住まいの一部を職場(治療院)として使っている(あるいは、職場の一部を住まいにしている)ので自分のために使えるスペースが非常に少ないこともあるが、同じ本を何回も──場合によっては何十回も──繰り返し読む。

繰り返し読むことによって、最初は重要だと思った事柄は当たり前のことになり、むしろ以前は流して読んでいたところに思わぬ気づきがあったりする。そういう時、傍線や書き込み、ドッグ・イヤーなどがあるのは邪魔以外の何物でもない。そもそも、最初に読んだ時に重要だったところが何回読んでも同じように重要だというなら、それは読み手が全く成長していないか、その本がそれだけのものでしかないか、のいずれかだということになる。


それと、世は速読ブームだということだが、私がフォトリーを学んで改めて感じたのは「速読は必要ない」ということ。だって、その人にとって本当の意味で読む価値のある本なんて、実はそれほど多くないから。セミナー修了後、講師から「これからの1カ月で30冊(だったかな?)をフォトリーして下さい」と言われたのだが、読む本がなくて愕然としてしまったもんね。

そんなことがあったのと、フォトリーは本を読むのに当たって「その本を読む意味を考えましょう」とか「著者への質問を考えましょう」とか事前、事後の作業が多く、面倒なのでそういう作業をどんどん省略してしまったら、私の場合、セミナーを受けたもののフォトリーは全然上達せず。

それどころか、前に受けたルンル(これも一応、速読)と混じり合って、何だか得体の知れないものになってしまっている。例えばフォトリーでは「本を逆さまにしてやっても、できます」というのが特徴の一つだが、私の場合、真っ暗な中や目さえ開けないでやっていることもある。これに関しては時々、こんなことをやってて何の意味があるんだろう、と思うこともあるが、どうも何らかの意味はあるようだ。

なんも見えない わかんない それでも行くよ
光が差す 君が待つ場所へ
──School Food Punishment『How to go』より

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 震災の影が消えていく | トップ | 音が聞こえる »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ひろ)
2011-12-13 11:51:26
私は線は引くし、付箋は貼るし、書き込みもたくさんするタイプです
自分の物だからこそ気兼ねなくできるわけで借りものにするとは言語道断
後から寄付したか売りに出したかもしれませんが人様に読んでもらうのにそれはないと思います

それはそうと本を読むとき対決姿勢で読むので反論やツッコミを書きこんでしまうんですよね

飽き性なので集中して読める時間は短いです
よって読み終えるまでの時間は相当長い方だと思います
読むために読みたくはありません
返信する
これも面白い流儀です (sokyudo)
2011-12-13 20:12:07
>ひろさん
>自分の物だからこそ気兼ねなくできるわけで借りものにするとは言語道断

然(しか)り、然り! でも図書館を利用してると、ここまでひどくないにしても時々そういう本に遭遇するんですよね。「こんだけ書き込みするなら、借りずに自分で買えよ」と言ってやりたい。

>本を読むとき対決姿勢で読むので反論やツッコミを書きこんでしまうんですよね

これはこれで面白い流儀です。一度、ひろさんの書き込みした本ってのを見てみたいです。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事