大河ドラマ『どうする家康』は、前半の大きな山場である三方ヶ原の戦いに突入しているが、1月の放送開始当初からいろいろ厳しい批判にさらされて、視聴率ではかなり苦戦しているようだ。
その批判の1つに「史実と違う」というものがある。けれども、そもそも大河ドラマはあくまで「史実をベースにしたドラマ」だ。それに史実とはいわば「歴史上の出来事とされるもののうち、現時点で一定程度オーソライズされているもの」のことで、近現代史ですら新たな資料が出てきて、その出来事や人物の位置づけや評価が大きく変わることが、しばしばある。ましてや戦国時代など、本当のところどうだったのか分からない部分は多い。大体、「史実」「史実」というなら山田風太郎の「忍法帖」シリーズを読んでみればいい。山田風太郎は史実を丹念に調べ、史実とされている部分はそれに忠実に従いながら、その隙間で荒唐無稽な忍法による戦いを描いているのだから。
というわけで、以下に述べることもドラマ『どうする家康』によるもので、そうしたことが史実と合致しているかどうかは、ここでは問わない。
さて、『どうする家康』を見ていると、脚本家を含め制作陣が視聴者に対して一貫してあるメッセージを送っているのではないかと感じる。
第16話「信玄を怒らせるな」で信玄から家康に送られてきた書状には、「弱き主君は害悪なり。滅ぶが民のためなり」といったことが書かれていた。そして続く第17話「三方ヶ原合戦」では、徳川軍は浜松城に入るが、家臣たちは信長からの援軍は本当に来るのかで揉め、家康はその確約を得るため信長と直接会見する。すると信長は家康の顔を見て「死にそうな顔をした大将には誰もついて来んぞ」と戒める。そして信玄との合戦を前に家康は正室、瀬名に「この乱世……弱さは害悪じゃ」と語り、木片を削って作った兎を手渡して「これはわしの弱い心じゃ。ここへ置いてゆく」という言葉を残して浜松城へと戻っていく。
同じようなセリフはこの2話だけでなく、かなり最初の頃から繰り返し出てくる。そこから見えてくる『どうする家康』の基本骨子は「弱さの否定」だ。このドラマは最終的に天下人となる徳川家康の物語だから、それは当然と言えば当然だが、個人的にこの主張は非常に面白いと思った。なぜなら昨今、世の中では「弱くてもいいんだよ」あるいは「弱くていいんだよ」という「弱さの肯定」が語られる中にあって、『どうする家康』は「弱さは害悪」と言い切っているのだから。
優れたアーティストはまた優れた予言者である。優れたアーティストは、その作品を通じて世の中の半歩先を見せてくれるものだ。『どうする家康』の脚本家や制作陣が優れた作り手かどうかは分からないが、もしそうであるなら、この先、世の中の流れは、弱さを肯定するものから強さを求めるものへと、大きく変わる可能性がある。実際、ロシアによるウクライナ侵攻/侵略を契機に、世の中の空気は確実に変わってきている。
とはいえ、この『どうする家康』は無条件に弱さを否定し、ひたすら「強くあれ」と言ってるわけではない。三方ヶ原に向かう道すがら、信玄は息子、四郎勝頼に家康の人となりを次のように語る、「大将はひ弱で臆病。されど己の弱さを知る、賢い若造じゃ」。
結局、真の強さは自分の弱さを知り、それと向き合うことでしか得られない。だが、世の中はそうした賢人ばかりではない。恐らく自らの弱さを知ることも向き合うこともできない人たちによる、威勢のいい上っ面だけの強さを求める声ばかりが強くなっていくだろう。その先にあるのは──?
ドラマの中で信玄は言っている、「勝者はまず勝ちて、しかる後に戦いを求める。敗者はまず戦いて、しかる後に勝ちを求む」と。
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