深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

人体の構築性と動きの積み重ねを調べる 1

2021-07-09 19:46:56 | 一治療家の視点

このブログで以前、「人体の連続性と滑らかさを調べる 1」「同2」という記事を書いた。今回の記事は図らずもそれと対になる話である。というのは、前の記事では可微分性(=微分可能性)というのが鍵になっていたのに対して、今回の記事は可積分性(=積分可能性)が鍵になるからだ。

発想のキッカケは吉田洋一の『ルベグ積分入門』(ちくま学芸文庫)である。この本はルベーグ積分(注:書名では「ルベグ積分」だが、数学では「ルベーグ積分」という呼び方が一般的なので、ここでもそれに従う)についての日本語の入門書として隠れなき名著の1つで、私も学生時代に一度読んでいるが、思うところあって今、読み返している。そこでふと思いついて試みたことがあって、以下そのことを述べる。が、その前に知っておいてもらわなければならないことがある。それは「ルベーグ積分が生まれた経緯」である。

積分は元々、面積や体積を求める必要性から考案された。我々が一般に「積分」として大体、高校から大学の初年度くらいまでに習うのは、正しくは「リーマン積分」という。リーマン積分(あるいは単に積分)がどういう発想で作られているのかについては、優れた解説が数多くあるので詳しくはそちらに譲るが、非常に大雑把に言えば面積の場合、その図形をx座標で分割して短冊の集まりにし(1つひとつの短冊は長方形だから面積は簡単に求められる)、それをどんどん細分していくと、そこから作られる短冊の面積の合計は元の図形の面積になる、という寸法だ。

このリーマン積分は非常によくできているのだが、大きな欠点があった。1つは積分できる関数に大きな制約があること、もう1つは必ずしも積分の極限が極限の積分にならない(つまりlim∫≠∫lim)であること(「ここ、何言ってるのか分からない」という人もいるかもしれないが、あまり気にしなくていい)。そうした欠点を改善するために考案されたのがルベーグ積分である(が、上に挙げた2点はルベーグ積分で改善されたものの解消されたわけではない)。

そんなルベーグ積分が作られる上で問題になったのが、「そのそも面積や体積とは何か?」ということだった。「そんなの分かりきったことじゃないか」と思う人もいるだろうが、実は面積や体積の概念はそれほど自明なことではない。例えば数学において線は「長さはあるが幅は持たない」とされ、線の面積は一般にゼロとなるが、ペアノ曲線は線だけで作られているにもかかわらず領域を塗りつぶし、面積が生じてしまう。そういったことから、現代数学では面積や体積に代わるものとして新たに測度というものを定義し、この測度をベースに積分が構築されている(ルベーグ積分はルベーグ測度に基づいた積分であり、だから測度が変われば違う積分が作られることになる)。

──ということで、測度という言葉の説明ができた。以下、測度とはルベーグ測度のこととする。そして測度が定義できる点集合(=空間)を可測(あるいは可測集合)という。では、ある点集合Aが可測であることの条件は何かという、次の(1)のようになる。

ここでm*という記号が出てくるが、これは外測度といい下の(3)で定義される。なお、|In|とは半開区間Inの(数直線上の)長さを、またinfは下限を表す。つまり(3)は、半開区間Inをその無限和が領域Aを覆うように取る時(もちろんInの取り方はいくつもある)、その無限個のInの長さの和の下限(まあ最小値と思ってもいいだろう)をm*(A)とする、と言っているのだ。何とも面倒くさい定義だが、こうして求めたm*(A)は大体、Aの長さと一致することはイメージできるだろう。

そこで(1)に戻ると、これは「互いに共通部分を持たないBとB'の和の長さは、BとB'それぞれの長さの和に等しい」という、当たり前すぎることを言っているだけであると分かる

…のだが、これが壊れている(=成り立たなくなっている)人がいる。言い換えれば、その人(の体)は(ルベーグの意味で)可測ではなくなっている(=(ルベーグ)積分が定義できなくなっている)のである。

それが何を意味するのか現時点ではまだよく分からないが、1つの可能性として考えられるのは、身体の構築性に関わる問題、あるいは動き(これは単に運動器のことをだけでなく、身体に生じる全ての動き)の積み重ねに関わる問題があるのかもしれない、ということ。そして、それが数学的な階層のレベルで生じているのではないか、ということだ。

これは以前にも別の記事の中で述べたことだ。非常にラフな図式ではあるものの、身体というのは解剖学と生理学によって説明づけられる。その解剖学と生理学は生物学の中に含まれるが、生物学は物理学と化学の上に乗っている。そして物理学と化学を支えているのが数学である。このように捉えると、数学の階層で生じた問題はその上の階層にも何らかの形で波及すると考えられる。そしてその問題の1つが、ここで述べた可測性の破綻である。

仮に身体の構築性に関わる問題、あるいは動きの積み重ねに関わる問題があって、それが上手く治っていかないとしたら、試しにその身体が(あくまでルベーグの意味ではあるが)可測集合(=可測空間)の条件を満たしているか、キネシオロジーの筋反射テストでチェックしてみるのもいいかもしれない。


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