水野浩志さんのメルマガからの引用を中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』と共に。
メルマガ本文にもあるように、2011年版『このマンガがすごい』の男編第1位に選ばれたのが『ブラックジャック創作秘話』。「マンガの神様」手塚治虫の壮絶な仕事ぶりを、当時を知る人たちへのインタビューを元に描いた作品だ。
私が子供の頃は、どれかのマンガ雑誌には当たり前のように手塚治虫の新作が載っていて、それを当たり前のように本屋で立ち読みしていたものだ。もちろん、それを可能にしたのはその超人的な仕事量による。
ずっと以前、何の番組だったか忘れたが、やくみつるが「月産200だ300だなんて、人間のやることじゃありません」と言っていたのを思い出す。手塚治虫は死の3年前、毎日約20ページをノルマにしていた。それだけの量を描かなければ、抱えている連載をこなせなかったからだ。月産約600──とうに人の領域を越えていた。生涯に描いたマンガは15万ページに達した。
その描線は円を基本にしていた。晩年は円が描けなくなったと悩んでいた。ペン先がわずかに震えてしまうのだと。NHK BS『マンガ夜話』でそんな話が出た時、とりみき(だったと思う)が手塚治虫の線について「昔の手塚先生の線は本当にきれいで、俺、一度でもこんな線が描けたら、もう死んでもいいやと思う」と語ったことを、なぜかはっきりとに覚えている。
全てのマンガ家がライバルだった。これも手塚の死後、何かの対談記事で大友克洋が語っていた。「人のマンガなんか読むヒマがあったら自分のマンガを描け、と手塚先生は言ってたけど、誰よりも他の人のマンガを読んでたのは手塚先生だったんだよね」。
そう、確かにそんな人が、本当にすぐ近くにいたのだ。
2011年の「このマンガがすごい」男編第1位に
選ばれた、「ブラックジャック創作秘話」。
この漫画は、生前の手塚治虫先生の仕事ぶりを、当時一緒に
働いていた編集者やスタッフの方たちのインタビューによって
明らかにした、ドキュメンタリーです。
現在、単行本として1冊のみ発売されていますが、
今年に入り、さらに4話の新作が、少年チャンピオンで発表
されました。
ということで、さっそく手に入れて読んでみたんですが、
やはり手塚先生の漫画に書ける情熱はすごいですね。
その中のエピソードのひとつに、元アシスタントの鈴木信一さんの
エピソードが紹介されていました。
鈴木さんは、その時は大学の歯学部に籍を置く学生でした。
当時は、ブラックジャックが連載されていた時期で、
医療現場でも、多くの医師達がこの漫画を読んで
いたのだとか。
鈴木さんも当然ながら、手塚先生に影響を受けた世代。
そして、
「自分も将来、手塚先生のような漫画家になりたい」
と思い、手塚プロのアシスタント募集に応募、見事
合格し、歯学部を1年間休学して、手塚プロに入社
しました。
そして、スタッフとして1年間働いたのですが、
結局鈴木さんは、漫画家になることをあきらめ、
現在の仕事である、歯科医師の道に戻ることと
なったのです。
その理由とは……
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● 手塚治虫が漫画家志望者に見せた背中
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鈴木さんは、
「手塚先生から学んだことをお聞かせ下さい」
というインタビューの質問に対して、こう答えました。
「自分は手塚先生のようになれない、という事ですよ」
もちろん、傍目で見れば、当たり前だと思えるこの言葉。
しかし、この答えによって鈴木さんが語りたい意味は
なんだろうか。
続けて鈴木さんはこう語ります。
「まあ、しいていえば、手塚先生の線へのこだわり
じゃないでしょうか」
そして、当時のエピソードをいくつか語ってくれました。
ブラックジャックの顔を描くとき、微妙な線の違いに
徹底的にこだわり続けたこと。
ブラックジャックの苦しみの表情を描くときは、何度も
描き直し、切り貼りした修正部分が何層にもなっていたこと。
極めつけのエピソードは、ある深夜の出来事でした。
鈴木さんが働いているところに、手塚先生が厳しい顔をして
やってきて、トレース台に向かい、一心不乱に絵を描き始めました。
それは、ディズニーのバンビの絵。
手塚先生がディズニーアニメファンであることは有名で、
それが高じて、アニメ会社も作ったほど。
なかでも、バンビは一番多く観たアニメだそうで、トータル
130回以上は観たのだとか。
そのバンビの絵を、一心不乱に描いている姿は、鬼気迫るものが
あったそうです。
なぜその時、バンビの絵を描いたのか、本当の理由は分かり
ませんが、鈴木さんは
「大好きなバンビをトレースして、自分の線の調子を整えて
いたんじゃないかと僕は思うんですけどね」
と語ります。そして、さらにこう続けました。
「それにしてもこんな時間ですよ―――
自分はとても手塚治虫になれないと感じたのは」
その後鈴木さんは、大学に戻り、歯科医師として活躍することに
なるのですが、漫画家になるという夢をあきらめたにもかかわらず、
手塚先生になれないと語る顔は、曇りのない笑みが浮かんでいました。
手塚先生の元から多くの漫画家がデビューしましたが、その反面、
今回の鈴木さんの様に、手塚先生の元で働いたがゆえに、漫画家に
なることをあきらめた、という人も、たくさんいると思います。
では、これは夢敗れた人にとって悪いことであったかというと、
決してそんなことはないと、私は思うんですよね。
いや、逆に、漫画界にとっても、当人にとっても、結果的には
良いことにつながる、と私は思うんですよ。
超一流のプロフェッショナルが、自分の仕事に取り組む姿勢を、
見せることが出来たら、能力とやる気のある、その世界の
プロを目指す人たちは、
「プロならあそこまでやり切るべきなのか! よしやるぞ!」
と思い、質の高い仕事が出来るようになるでしょう。
逆に、これからプロを目指す人に、そこそこのレベルで仕事に
取り組む姿勢を見せてしまうと、
「ああ、この程度頑張ればプロになれるんだ」
と思わせてしまい、2流3流のプロを数多く産み出してしまう
事にもなりかねません。
そのためにも、前を走るプロ達は、最高の境地に向かう姿を
常に見せ続ける必要があると私は思うのです。
では、夢敗れた人にとっては、どんな良いことがあるでしょうか。
今回の鈴木さんにしても、たまたま漫画家の道はあきらめましたが、
歯科医師という仕事には就くようになりました。
で、ここから先は私の憶測ですが、歯科医師という仕事に対しては、
最高の境地に向かう努力はされていると思うんですよね。
そして、それが出来るのも、他分野ではあるものの、超一流の
プロである、手塚先生の、仕事に取り組む姿を見ていればこそ、
と思うんですよ。
こうした、
★ 突き抜けた境地に向かう姿を見せるプロフェッショナル
というのは、どの業界にも、そしていつの時代にも必要な
存在だと、私は思うんですよね。
自分のあり方、姿で、人の進路に影響を与え、その道で
一流を目指す仕事ぶりを発揮する意識を持たせる人。
しかし、最近はそういう人も少なくなってきたように
思います。
私自身も、年齢を重ね、いつしか後に続く人に姿を
見られる立場になってきています。
その時、手塚先生のような背中を見せられるかどうか。
そう考えると、さらなる精進が必要だなあ、と痛感
してしまうのでありました。
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