両方ともアニメーション映画で、乙野四方字著のラノベ?を原作としている。
最近物の見方ひねくれてるのかな〜
自分の感じ方がおかしいのかしらん。
僕が愛したすべての君への方のあらすじは以下の通り。
人々が少しだけ違う並行世界間で日常的に揺れ動いていることが実証された時代――両親の離婚を経て母親と暮らす高崎暦(たかさき・こよみ)は、地元の進学校に入学した。勉強一色の雰囲気と元からの不器用さで友人をつくれない暦だが、突然クラスメイトの瀧川和音(たきがわ・かずね)に声をかけられる。彼女は85番目の世界から移動してきており、そこでの暦と和音は恋人同士だというのだが……並行世界の自分は自分なのか? 『君を愛したひとりの僕へ』と同時刊行
君を愛したひとりの僕への方のあらすじは以下の通り。
人々が少しだけ違う並行世界間で日常的に揺れ動いていることが実証された世界―― 両親の離婚を経て父親と暮らす日高暦(ひだか・こよみ)は、父の勤務する虚質科学研究所で佐藤栞(さとう・しおり)という少女に出会う。 たがいにほのかな恋心を抱くふたりだったが、親同士の再婚話がすべてを一変させた。 もう結ばれないと思い込んだ暦と栞は、兄妹にならない世界に跳ぼうとするが…… 彼女がいない世界に意味はなかった。『僕が愛したすべての君へ』と同時刊行
ざっくり感想は、コレでキュンでしょ!と用意された脚本に微塵もキュンも感動もできなかった…
言うなれば僕の考えた最強の並行世界転移型両手に花、もとい、ハーレム的な?
フォルダA「かずねとの思い出」
フォルダB「しおりとの思い出」
みたいな。
(辛辣ゥ_(┐「ε:)_)
もとの小説は大分市を御当地にした小説らしく、地元民としてはなかなかに面白かったという感想も見受けられた。
平衡世界という概念は面白いと思うが、既にアニメ「シュタインズゲート」で既出(女性の運命をなんとかするという意味ではまるっと一緒)であるし、人間のコピーやちょっと違った人間の同一性という概念についてはアニメ「AIの遺伝子」で既出である。
そういうわけで、設定の新規性に欠け、また「女性が待つ側」的な性概念が適用された謎の映画であった。
という感想を夫にしたら、「そういう見方もあるんだね…😳」という反応で「俺はかずねちゃんの方が好み」。シランガナw
最愛の人が、いつの間にかパラレルシフトして来たその人と入れ替わっていると知ったら、同じように愛せますか?という題材らしいが、大体一緒ならまだ救いがあるし、普通に好きだと思う。
たとえば0地点の夫が死んだとしても残りの∞地点で夫が生きている世界線が現実にあるということでしょ?
今私の前にいなくとも、一生会えなかったとしても、そういう世界線が同時並行的にあるなんて救いでしかないのでは。
という話を夫としていて、まさか、ハゲていないふさふさの夫の世界線もあるのでは…!?と言ったら、ハゲは母方の遺伝によると言われているので、もしハゲておらずふさふさだとしたら母(義母)が生まれていないということであるから、それは最早俺ではないと言われて、それはたしかに夫ではないね、という話でひとしきり笑った😂
痴呆になって何十年と暮らしても配偶者がだれかもわからなくなるのが現実世界の認知症なわけで、肉体としては同一人物なはずなのに好きだった人格どころか人間にも成さぬ何かになってしまった誰かと死ぬまで過ごさざるを得ない来たるべき確実な未来の方がよっぽど辛いし、どんなに心の準備をしても耐えられる気がしない🥹怖い。
あー悲しい。
何にも知らぬ赤子の頃なら、純粋にこの世には時限を超えても貫かれる愛みたいなものがあって、この世にはこのような善き感情もあるのだ、とまっすぐ信じられたのかもしれない。
今となってはこの世はまさしく朱に交われば赤くなるであって、善き心を維持するためには善き人と善き環境の中に身を置くことが大事なのであって、良くない環境や人の悪意やいけずや噂話から距離を置く以外の方法はないのだと知ってしまった。
汚れちまった悲しみに泣いてしまうぜ。
というわけで私としてはなんかイマイチな作品でした。ごめんなさいm(_ _)m
中年の今ですら作品にこんな感想を抱いてしまうのだから、もう残りの人生感情を揺さぶられるような作品に出会うことはないのじゃないかしらん、と思ってしまう。
哀しいなぁ。