難しい。
恨みや妬みやそういうものを手放したいと思いながらも、もうこういう生き方で生きてきたんだから絶対に譲らないゾという意固地な自分もいて。
親子で違うように、
彼らの人生もまた違うのかもしれず、
正直パーソナリティをあまり良く知らないので距離感を測りかねる。
去年だか一昨年だかは送られてこなかったのに今年は送ってくるというのは
またよく分からない。
わすれちゃったのかな〜?
来るもの拒まず去るもの追わずで返しても良いかな、思っていたのだけど、体調不良と繁忙期とが重なって、気がついたら機を逸していた…。_| ̄|○ il||liスミマセン
結局送り返さなかった。
彼女も昨年はそういう感じだったのかもしれない。
ラインもメールも知らないしなぁ。
最近こうです、という近況はやっぱり皆知りたいのかしら。難しいものだ。
凄く古いお世話になった元職場の方1名には、私よりもアナログなしきたりを大事にする世代の方であることもあるので多分あちらが亡くなるまで、もしくは、あちらが仕舞いをなさるまで年賀状を送るかもしれない。かもしれないので自信はない。
一応頑張りたいとは思っている。
あと25回は多分送れない気はする。
よくて20回悪くて10回か。
ごく僅か年賀状が来てラインがわかる人には今年はラインで返した。
去年は一応ハガキ送り返したけど、もう正直1年に1回ハガキが来る付き合いはちょい負担。
何があれって「あなたとは年賀状でしかない社会的お付き合いですよ」と思い知らされるのが負担。
疎遠になっているのだから「あくまで!あなたとは社会的お付き合いですよ」なんて毎年毎年告知してこなくったっていいじゃない、どうせお互い会う気ないのだし、と思ったりする。
送られなければこちらも思い出すことはそんなにないのに、「あくまで!」と送ってくるから、「あくまで!の◯◯さん」と思い出すことになる。
なるほど、年賀状の良いところは、その人の名前を1年に1回思い出せることか。
送られなければ普通に忘れてたと思う。
恩知らずだけど忘れてしまうものはどうしようもない。
あと、当人が亡くなった後、他人である家族が付き合いを知って死を報告するのには便利だとは思う。
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