gooブロガー「日々の移ろい」さんの介護記事で
という記載を読んで
そうなんだよなぁと至極納得した。
この世は順送りだから仕方のないことなのだけど、そうはいっても思うようにはならないね。
災害も戦争も病ですらも遠ざけられている現代日本では長生きの方がリスクになってしまう。
現日本では
自己決定権という概念は薄く、オランダやスイスのような自らの意思で生を終える手段(やむを得ない場合にかぎるが)はない。
もしも心から本当にそうしたい場合は限られた不確実な手段を取って自殺するしかなく、はっきり言って認知や身体の言うことが効かなくなった頃にはもう自殺する気力も体力もない。
そして多くはひょっとしたら心から本当にそうしたいわけではないのかもしれない。
橋田壽賀子さんがスイスで尊厳死するという思いを胸にそのまま日本で急性リンパ腫で95歳で亡くなったのは有名な話。
○歳までとして皆人生設計をするが、今は「それ以上に生きてしまう長生き破綻リスク」の方が大きく、短命でポックリ逝く方が最早難しい。
65歳を迎えた人が90歳まで生存する確率はかなり高い。現在ですらこうなのだから2-30年後はもっとかもしれない。
65歳における特定年齢までの生存確率
男性:80歳が8割ほど、90歳が4割強
女性:90歳が7割ほどらしい。
web記事では長生きリスクを加味するならできる限り年金は繰り下げておけという感じであった。
そりゃあ不健康であるときのほうがサービスを受けるのによっぽどお金がいるものね。将来キャッシュが貰える確率を上げておくことも大事なんだな。
ということで、女性の大半は現在においては100歳近くまで生きる(自意識では「生きてしまう」)のはほぼ確実らしい。
そういう意味では
夫は肺がんでポックリ逝きたいのだと思えばタバコに寛容にもなれるわね🤭
年金生活になったらとてもその余裕はないけれど。
彼には現世で拾ってくれた御恩があるので早くお別れするのは寂しいけれど、私が不幸になる姿を見せるのはもっと可哀想だから、ポックリ先に逝ってほしいなと願っている。
私のブログを取り上げてくださって 凝縮です。そうなんですよね、若い頃は その時がきたら自殺でも と、考えていても 98になる姑を見ていると そんな気力さえ残っていない、自分ではどうすることも出来なく それでも生きている。
せいぜい 不摂生をして みようか?とも考えてしまいます。
仕方ないとは思いつつも、半分くらいわけが分からなくなりながらただ生きているだけの状態を想像すると怖くて仕方ありません。それが生き物の有様なのでしょうかね…