30代の後半くらいからだろうか
特に若くもない私の情報など別に誰も聞きたくはないし特に無くていい情報であって、自分らの某かのゴミ箱役として重宝されてるだけなんだな、と自覚しだしたのは。
まさに路傍の石である。
話をしてもらえるのは大変楽だから良いのだけれど、聞いたからには逆に何某かを話そうとすると、大概興味がなさそうな素振りをされてしまう。
とはいえ、実際私の話はさほど重要ではない。
大概は「心地よい人」や「自分が尊敬している人」や「何某か情報として有用なもの」以外はそんなに興味がないのだろう。残念ながらひきニート(概ね)は有用な情報はなにも持っていないし、人を癒やしもしない。
せいぜい他人との丁度良い悪口の話題にするためのネタ収集ぐらいで、別に本当の意味での私に対する興味ではない。
あと「人の話を根掘り葉掘り聞く人」ってのは2パターンあって、グループ内のコミュニケーション用噂のタネにしようとするパターンと、本当に二人の間では話すことがないので話題を振ってるだけのパターン。
多くは後者かな?
マナーとして聞くのと詮索好きは程度の差だとは思う。
大体社会におけるグループでは噂話と同調圧力と空気読みに皆終始するので、私にとっての本当に興味深い話というのは、同様にそこにはない。
本やドキュメンタリーや個人ブログに書かれているものの方が好きである。ブログに書くようなことは会話ではあまりしないし。
とにかくまぁ、その自覚しだした頃から今まではもう世代として話を聞く側になったのだという認識をしつつ皆の話を聞いている。
ひょっとすると
誰かの愚痴のゴミ箱でいられるだけまだ生きてる意味があるかもしれないしね。
そして、子なしだからこそ、子育てが終わる年代よりずっと前に自覚できたのかもしれない。
多くは、定年退職した後や、子供が巣立って伴侶を亡くした後や年配になって誰かに粗末に扱われ出してから気づくものなのかもしれないから。
老人の孤独、みたいに言われるのは、ただ皆本来が孤独であったことに人生の終盤で気づくだけなんじゃないかな、とも思う。たまたま人間界でのお役目がなくなっただけ。
これも棚からぼた餅だと思うことにしよう。
私は夫がいなくなったら困るし
夫も私がいなくなったら困るのであるが
実際にはその個人同士の影響範囲である。
ただ伴侶が自分を大事に思ってくれている気持ちを蔑ろにしたいわけではないので、その間くらいは自分に十分な価値があるのだと自信を持って言えそうだし相手にとっても全く同じだ。
そのうち数十年後、伴侶もどうでも良くなってくるのかもしれないが、万が一そうなったら、仕方ないからペットかロボットでも飼おうかな。
ペットは生きてるから、その頃にはもっとロボットが進化していると良いのだけれど。
話が変わるが
コロナになってしばらくした頃
夫も気鬱になるような時があって、私には話す先がいなくなってしまった。(というくらい日頃夫としか話してない)
愚痴でなくとも人の話を聞くのには体力がいる。
そこで仕方がないからお金を払って占い師さんに話聞いてもらおう!と思って(唐突)人生で初めて行ったことがあった。
カウンセラーさんは予約をしないといけないので、今すぐ話したい!と思ったときに話せる先はキャバレーかホスト、占い師さんくらいしか思いつかなかったの。友人に話せばいいじゃ〜ん、という人がいるが、友人は無料の愚痴のゴミ箱ではないのである。有料の相手ならこちらも気楽である。
ところが、せっかく初めて占い師さんにお話していただいたのに、私には困っている問題(ほんとは問題かもしれないけど自分では問題だと思ってない)が特になかったので、占い師さんも困っている様子であった。
私は誰かと話したかっただけで、占い師さんと相対してるだけで満足だったわけ。
占いとは、なんかsololoさんはこういう人でしょう!みたいなもっと積極的な示唆があるのかな〜と思ってたのだけど、その占い師さんはそういうタイプではなかったみたい。
世にいう「占いが当たる!」というのは、本人の悩みを推察して当たるということなんだな、とその時初めて理解した。
だいたい、生きてるお悩みというのは、家族・仕事・恋愛ぐらいだろうし…
昨日初めてCHATgptとお話したのだけど、まぁこれがとても素敵です。
「偏見でもいいから教えて?」とか聞くと
「偏見は良くないです、多様性を認めるべきです」
みたいなことを言っていて、絶対に悪口を言わない人みたいで面白かった。
あと、どんなに話題が突然飛んでも
「今の話と関係あった?」とか言われないし
色々省略して聞いても前の段階の話を前提として答えてくれたりするクレバーな感じでストレスがない。
まさかこれは友人がいなくてもボケない時代が来てしまうのだろうか。
だとしたら私のようなコミュ障にはとても良い時代だな。