研修医の名取です。
最近、録画していた福島県広野町にある高野病院のドキュメンタリー番組を見ました。高野病院は原発から22kmのところにある原発に最も近い病院です。昨年末にたった一人の医師である院長が急死したため残された入院患者を診る医師がいないことが話題となっています。テレビで取り上げられたこともあり、私が相馬の研修医だと知ると話題を振られることもあります。
院長が亡くなる前からこの地域唯一の病院である高野病院の存続が危ぶまれていましたが、県からの支援はなく、院長が亡くなり再三の要請でやっと支援を決めたようです。しかし人的支援があるわけではなく、現在は全国からのボランティアの院長がなんとか交代で支えているようです。
現在のボランティアの院長は東京から来た私と同世代の36歳の先生とのことです。私も原発事故で医師不足となった相馬市の力になりたい気持ちでここに来ているため、勝手に親近感を持ってしまいました。震災のとき、原発事故が起こったことにより様々な社会問題が長期化することを確信しました。ですので数年後も支援が必要な状況であるかもしれないとは思っていました。
結局この相双地区は震災から6年もの年月が経とうとしていますが、医師不足が解決されていません。今はもともと地域を支えてきた当院の先生方のような医師と、私達のような自分達の意思で来る医師に支えられています。原発事故後の地域医療を医師個人の良心にのみ委ねるのは地域のインフラとしては不確実であると思います。このような大きな問題に対して6年もの間に抜本的で即効性のある地域医療の体制を構築できなかったのだろうかと思います。
とは言え私は私のできる事をやるだけです。原発に近い研修病院は、原発から23kmの南相馬市立総合病院と、40kmの当院である公立相馬総合病院の2つです。この2つの病院に自分の意思で全国から来た研修医達が研修をしています。私達は私達なりに得るものがあるだろうと研修病院を選びましたが、私達がいることで相双地区の医療が少しでも支えられたら嬉しい限りです。
最近、録画していた福島県広野町にある高野病院のドキュメンタリー番組を見ました。高野病院は原発から22kmのところにある原発に最も近い病院です。昨年末にたった一人の医師である院長が急死したため残された入院患者を診る医師がいないことが話題となっています。テレビで取り上げられたこともあり、私が相馬の研修医だと知ると話題を振られることもあります。
院長が亡くなる前からこの地域唯一の病院である高野病院の存続が危ぶまれていましたが、県からの支援はなく、院長が亡くなり再三の要請でやっと支援を決めたようです。しかし人的支援があるわけではなく、現在は全国からのボランティアの院長がなんとか交代で支えているようです。
現在のボランティアの院長は東京から来た私と同世代の36歳の先生とのことです。私も原発事故で医師不足となった相馬市の力になりたい気持ちでここに来ているため、勝手に親近感を持ってしまいました。震災のとき、原発事故が起こったことにより様々な社会問題が長期化することを確信しました。ですので数年後も支援が必要な状況であるかもしれないとは思っていました。
結局この相双地区は震災から6年もの年月が経とうとしていますが、医師不足が解決されていません。今はもともと地域を支えてきた当院の先生方のような医師と、私達のような自分達の意思で来る医師に支えられています。原発事故後の地域医療を医師個人の良心にのみ委ねるのは地域のインフラとしては不確実であると思います。このような大きな問題に対して6年もの間に抜本的で即効性のある地域医療の体制を構築できなかったのだろうかと思います。
とは言え私は私のできる事をやるだけです。原発に近い研修病院は、原発から23kmの南相馬市立総合病院と、40kmの当院である公立相馬総合病院の2つです。この2つの病院に自分の意思で全国から来た研修医達が研修をしています。私達は私達なりに得るものがあるだろうと研修病院を選びましたが、私達がいることで相双地区の医療が少しでも支えられたら嬉しい限りです。