公立相馬総合病院の研修医のブログ

被災地医療を支える公立相馬総合病院
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May the force be with you !!

2019年03月31日 | 日記
気が付いたら2年間の研修があと数時間で終わりそうです、2年目研修医、阿部です。

前回投稿っていつだっけ・・・?とたどってみたら2017年の11月でした・・・。やっちまったぜ。
どうにもさぼり症でして、やろうやろうと思いつつこのザマです。・・・鈴木君ごめんね。
さぼりといえば、3月頭にレポートの提出期限(初期研修医は症例のレポート提出義務があります)がありました。
自分のレポート提出が終わったのは、提出締め切り最終日でした!!いやー終わってよかった。
  ・・・関係の皆様、本当に申し訳ございませんでした。(土下座)
でも何とか初期研修は修了することができました。
思えばあっという間の2年間で、気が付いたら名取先生、濱近先生を見送り、中川君を迎えていました。

鈴木君が書いてくれていますが、平成31年度研修医は3人全員が合格。誠におめでとうございます。やったぜ。
いよいよ明日から勤務が始まりますが、きっと相馬のために尽力してくれることと思います。
皆は、レポートは定期的に提出するようにしようね!


平成23年の震災の時、自分はたまたま入院しており当院の3-3病棟におりました。
あれからすでに8年が経過したと思うと、感慨深いやら、時間が過ぎるのはあっという間ですね。
トシちゃん25歳!いえ26歳になりました。四捨五入でアラサーでございます。

自分は福島医大の消化器内科へ入局することとなりました。
ご期待に沿えなかった科の皆様には本当に申し訳ありません。消化器内科医として全力で仕事をさせていただくことでお詫びとしてかえさせていただきたく思います。

なお、4月から消化器内科の常勤医として、当院に引き続き勤務させていただくこととなりました。
なので研修医のみなさん、当院へ実習・見学へいらっしゃる学生さん、ぜひ楽しくやりましょう!!
支払いは任せろ~(バリバリバリ)

鈴木君とはかれこれ11年間一緒だったわけですが、これで一旦お別れとなります。いろいろありましたが、11年間ありがとう。
またいずれ一緒に仕事をすることになる気がするので、今後ともよろしく!!

最後に、2年間お世話になりました公立相馬総合病院の皆様、相馬地区の医療関係者の皆様、研修をさせていただいた福島医大 救急科、精神科、産婦人科、麻酔科の皆様、宮下病院の皆様、そして診療をさせて頂いた患者様方、自分にこれ以上ない経験をさせていただき、本当に感謝しております。
ありがとうございました。
今後も地域医療のため尽力していきます所存です、以後もご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします。

さて、締めはタイトルにもある私の愛するスターウォーズの名言で。
みなさまの今後のご健勝とご発展をお祈りいたします。

フォースとともにあらんことを!
                                              阿部



初期研修終了と再出発

2019年03月29日 | 日記
研修医の鈴木です。
本日をもって2年間の初期研修が終了しました。私は地元相馬の出身として当院で初期研修をさせて頂くことができて全ての関係者の皆様に心から感謝しています。そして2年間、ブログを見て応援して下さった皆様にも感謝しています。どうもありがとうございました。

私が医師になりたいと考えたのは幼少期に肺炎で当院に入院した時に自分の辛い症状を治してくれた医師の姿に憧れを抱き、自分もいつか人の痛みや辛さを理解して一つでも多くの命を守れる人間になりたいと思ったことが最初のきっかけでした。それから小学、中学時代に必死に勉学に励み、地元の進学校である相馬高校に進みました。高校時代に相馬地区の医療事情を見つめた時に全体的に医療従事者が少なく、高齢化しており医療資源が非常に乏しく厳しい環境であることを学びました。自分が医師となって少しでも地元の医療に貢献したいと改めて考えるようになり、福島県立医科大学への進学を決意しました。
私はそれほど裕福な家庭というわけではなく、ごく普通の一般家庭で生まれ育ちましたが、医学部は学費が高くなる(ご存知の通り私大医学部はかなり高いです)ので、あまり費用のことで家族にあまり負担もかけずに医学部に進学したいと考えていました。福島県は、福島医大に入学する学生に福島県内の公的医療機関に数年間従事することを条件に借りられる奨学金制度(福島県緊急医師確保修学資金)があります。それを利用して6年間大学で過ごして医師となり福島県に残って頑張りたいと考えていたので、福島県立医科大学入学に向けて受験勉強を行いました。滑り止めの大学受験は一切受けず、福島県立医科大学だけに絞り、費用がかさむ予備校や塾も利用せずに勉強をコツコツ続けて震災の年に何とか推薦入試で合格しました。その後ほどなくして津波で家を失うことになりましたが…

あれから6年、大学で様々な人と出会い、切磋琢磨しながら充実した大学生活を送り医師国家試験に合格しました。そして初期臨床研修病院として歴史は浅く、知名度も低い当院ではありますが、地元の相馬で地域医療を肌で感じつつ、自分に何かできることがあればやらせて頂きたいと思い、2年前の春に初期臨床研修医として着任致しました。当初は右も左も分からず、採血もろくにできない(要するに何の役にも立たない)状態で自分の無力さを痛感する毎日でしたが、その中で日々成長できるように自分なりに努力してきたつもりです。世間には診療ガイドラインなどというものもありますが、地域性を考慮しながら医療を展開していかなければならないので画一的な医療ではなく、個人に合わせた医療を提供していかなければならない面もあるため、悩むことは多かったです。たくさん悩んだ分だけ医師として少しは成長できたのかもしれません。
4月からは福島医大の小児科で後期研修として再出発します。相馬を離れることになりますが、私の原点は相馬にありいつの日かこの地に戻って小児科医療の一翼を担えるようになれる医師になるために福島で全身全霊で精進します。

ちなみに相馬高校出身で福島医大卒の中では私と阿部先生(4月からも消化器内科で当院にいます)の2人が最も若い世代になります。現在福島医大生で相馬高校出身は1名います。なかなか地元相馬高校出身で医学部に進学するのは厳しい状況が続いています。先日、4月から相馬高校出身で福島医大進学を考えている学生さんにお話する機会があったのでエールを送ってきました。参考になるかはわかりませんが来年まで1年間頑張って欲しいです。

長々と書きましたが今回でブログを書くのは最後とさせて頂きます。2年間ありがとうございました。
最後に私の故郷の磯部の風景を載せて終わらせて頂きます。


寄木神社

祝 国試合格

2019年03月20日 | 日記
研修医の鈴木です。3月18日、医師国試が合格発表されました。
当院に4月から来る予定になっている3人の新研修医の結果は…

全員合格

でした。おめでとうございます。
これまで当院の研修医は毎年1名あるいは2名でしたが、3名は初めてになります。新研修医の先生方は4月から上手く仕事がこなせるのか不安もあるかと思いますが、医療資源の少ない地域医療の現状を肌で感じつつ、医学的な知識や技術だけでなく患者やその家族、周りのスタッフと関わり方など様々なことを学んで頂けたらなと思います。当院の指導医の先生方も看護師さん、薬剤師さん、技師さん、栄養士さんなど全てのスタッフが研修医のサポートをしてくれますので、その期待に少しでもこたえられるように頑張ってほしいです。
それと若い時の長期休暇は今回の春休みで最後になるかと思いますので4月までの間に旅行とかやりたいことを今のうちにやっておきましょう!
ちなみに私は卒業旅行でハワイに行きました。本当は勉強会のみんなでヨーロッパに行きたいねーと言っていたのですが、イスラム国によるテロ事件が多発していた時期だったので結局ハワイに決めました。ココナッツウォーターを飲んだり、ロコモコ食べたり楽しい良い思い出をたくさん作れました。

同期の友人と楽しく旅行に行くことができるのは今だけなので研修医になる前に思いっきり楽しんでほしいです。

あの日から8年

2019年03月11日 | 日記
研修医の鈴木です。今日は3月11日ですね。私はコードブルーの対応で黙祷とかしている場合ではありませんでした。

東日本大震災から早いもので8年が経過しました。

私は相馬市磯部地区の出身で産まれてから2011年3月11日まで家族とともに生活していました。自宅のすぐ近くが海で波風の音を聞きながら日々を過ごしていました。子供の時は夏になると海水浴によく行ったのを覚えています。
8年前の3月11日、私は相馬高校を卒業して福島医大入学を控えていた時でした。相馬高校からの帰り道、近くのドラッグストアに寄ったときに地震が発生致しました。今までにない大きな地震であり、津波警報も発令された為、その日は自宅に帰らず、親戚の家に避難しました。もしあの時ドラッグストアに寄らずにまっすぐ帰っていたらもはやこの世にいなかったかもしれません。所持品はほとんどありませんでしたが幸いにも命は助かりました。数日後、磯部地区に行きましたが、そこはもはや私の知る故郷ではなくなっていました。自宅があった場所は地面がえぐられて海になっていて、思い出となるものも何一つ残っていませんでした。故郷が失われたことをその時初めて理解しました。頭の中に浮かぶ磯部の風景はもう二度とこの目で見ることはできないのです。

安否情報を確認すると近所の人や知人の名前がありましたが、あまりに突然の出来事で何も実感がなく、ただ唖然とするばかりでした。ついこの間まで私が医大に合格して喜んでくれた人達が一瞬にして亡くなってしまったことに対して理解が追いついてないようなそんな感覚でした。


あれから6年が過ぎて初期研修医となり相馬の地に戻り、働かせて頂きました。初めの頃は何もわからず、全く役に立たない自分に対して思い悩む日々でしたが、多くのことを学ばせて頂きました。何か少しでも自分にできることはないかと自分なりに考えながら勤務しました。私がこの公立相馬病院で初期研修医として何か足跡を一つでも残せたら良かったのですが、自分の力不足ばかりが目立つ研修だったかもしれません。

ただ、この相馬の地で自分がなりたいと思える医師像を見い出すことができたので指導医の先生方に対して心から感謝しています。震災で犠牲となってしまった方々の分まで日々精進していきます。

学会入会

2019年03月06日 | 日記
仙台から相馬に戻ってきた研修医の鈴木です。いよいよ初期研修も最後になってきました。このブログを書けるのも残りわずかとなってきました。

今日、当直明けから自宅に帰ってくると少し分厚い封筒が送られてきました。中をあけてみると日本小児科学会の入会を認める文書と日本小児科学会誌がありました。初期研修終了後、後期研修医となって専門医の資格の取得を目指すわけですが内科医になるにせよ、外科医になるにせよ各学会の会員であることが専門医試験を受ける条件になっています。さらに小児科の場合は日本小児科学会の会員年数が3年以上であることが求められているので昨年の12月に入会申請を提出していました。その他に封筒の中には1枚のチラシも入っており、それが目に止まりました。"こころをつむぐ、ほそくながく…"東日本大震災小児医療復興新生事務局が作成した被災地応援小児科医師募集の宣伝チラシです。

写真を見て気づいた方もいると思いますが、当院の先生も写っています。当院もこの被災地応援病院の一つになっております。日曜日や祝日の救急外来の小児科診療を外部の先生方に担当して頂いています。興味を持った方はネットで被災地応援小児科で検索してみてください。公立相馬病院で応援に来て頂いた先生方のコメントなども載っています。震災から8年が経とうとしておりますが、それでもなお多くの先生方の支援を頂いています。本当にありがたいことです。
震災から8年が経過しましたが、当院では今もなお第一線で活躍する先生方が数多くいらっしゃいます。今の被災地の医療事情に興味がある、震災当時の医療事情が知りたい、そんな学生さんも大歓迎です。是非見学に足を運んでみて下さい。