そらとうみとりくと

初めて一緒に暮らしたそらがお空に帰り、その後ポメキーちゃんを迎え、うーたんと穏やかに暮らしています。

父の旅立ち

2022年07月12日 | ご報告

先月中頃、いつもの産経新聞でこんな詩を見つけ

去年の春、母が過労で倒れ

父をショートステイに預けるときに

「大丈夫、一人でも大丈夫。どこにも行きたくない」

父が同じことを言ったことを思い出した。

「母さんが入院してる間、1ヶ月だけ」

その時はそれも本心だったけど

高齢の母には退院してきても、父の介護は無理だった。

 

と記事を書こうとしていた矢先

18日の深夜「血圧が下がっています」と呼ばれ

19日午前4時40分、父は旅立ちました。

 

家が大好きだった父。

90年近く暮らした家に一度も帰ることなく

施設と病院を行き来して

最後はなにも食べられなくなり

点滴のみで過ごした父。

ようやく面会ができるようになった時にはすでに意識は朦朧として

何かいいたげに口を動かすものの、言葉にはならず。

体はやせ細って、骨に皮をまとっているよう。

「点滴外して、静かに逝かせてあげてください!」

なんども言いたくなった。

 

でも、後で考えたら

あれはずっと家族に会えなかった父が大切な人に何度も会えた大切な時間。

そして、私たちが父に触れ、体をさすり

心の準備をして、父にお別れを言う貴重な時間であったのだ。

 

前日の18日も母と二人で面会に行った。

もう昏睡状態で、酸素マスクもつけていたけれど

「来週も来るから、頑張ってね」と声をかけて、別れたばかり。

早く楽にさせてあげたい気持ちと、いざとなったらという不安な気持ち。

 

そして、私はその頃、心の中でいつも父に2つの願い事をしていた。

「夜中には呼ばないでね」

心臓に悪いし、冷静に運転していける自信がない。

もう一つは21日までは頑張って。

だって、その日金農フィーバーを巻き起こした輝星くんが

日ハムの先発ピッチャーとして、秋田のマウンドに立つんだもの。

ずっと前からチケット準備して、楽しみにしてるんだよ…

 

でも、2つとも反故にされたわ(苦笑)

姪っ子から電話がかかってきたのは深夜0時57分。

そして21日は葬儀の日。

やだわ~。

もうちょっと頑張れよっていう父さんのエール?

 

ともあれ、兄夫婦と姪っ子と力を合わせ

葬儀を終え、その後の仏事ももう少し。

来週23日の忌明けの法要で一区切り。

亡くなってしまえば、どんどん月日だけが過ぎてゆく。

 

みんなで父の動画や写真を見て、泣いたり笑ったり。

2人の姪っ子は祖父母に育てられたようなものなので

いまだにとても仲良し。

笑えるような作品がいっぱい。

 

この写真は6~7年前かな?

まだ元気で若い父母(と言っても、父84歳、母80歳過ぎってとこかな)

敬老の日のプレゼントをもらって、にっこり。

 

そして85歳の年。

田んぼをやめたこと、結婚60周年になることから

みんなでお祝い。

 

これは2年前の夏。

かなり弱ってきて、母の介護を受けていたけれど

2人のひ孫を前ににっこり。

(あひる2歳8ヶ月、ひよこ1歳7ヶ月)

 

その後は歩行器に頼らなければ、歩けなくなり

それでも、ひ孫の介助が嬉しそう。

 

その冬かな。

どんどん弱っていったね。

 

そして、春4月、母が倒れて急遽ショートスティへ。

その後、8月に

糖尿病の検査入院を経て、今度は特養に入るため

ショートステイに一時入所するときの1枚。

かなり痩せて、少し認知も進んだみたい。

なかなか、笑顔を見せてくれない。

もう家へは帰れないと覚悟してしまったのかな。

一度も家に連れて行ってあげられなくて、本当にごめんね。

 

どの写真もブログに載せたね。

元気な二人のことを書いていた時期が懐かしい。

 

葬儀は父が望んだように家族葬。

父はとってもイケメンなので

「おくりびと」さんに整えてもらったお顔はとってもきれいで穏やかだった。

遺影は10年くらい前に、自分で遺影用に撮ったというもの。

いい写真^^

 

子と孫、ひ孫に囲まれて、喜んでるかな?

 

1人でいると、いろいろ思い出して涙が出たり

もっとああしてあげればとかの後悔もあるけれど

それでも私たちができる精一杯だったのかな。

90歳まで生きてくれたこと

私の父であったこと

感謝です。

 

お留守番が続いたそらうみ。

一時体調を崩したりもあったけど、元気。

コメント (8)
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