今日もラベル探偵をしていて、たまたまネットサーフィンで
面白い記事を発見した
長野日報の2007年の記事だった。
それはこんな表題だった。
諏訪花柳界を語り継ぐ 「まぼろしの花街 大手」
かつて諏訪花柳界の中心として栄えた、諏訪市大手町。その大手町にあった老舗割烹(かっぽう)「宗藤本」の女将(おかみ)、波瀾万丈の人生を歩んだ藤森弘子さん(86)=同市湖岸通り五=が、自叙伝的回想録「まぼろしの花街 大手」を長野日報社から発刊した。製糸産業の全盛時代より諏訪の町を花柳界から見つめ、その華やぎを語り継いだ交友録。関係者は「大手町の往時を後世に伝える貴重な資料」と出版を祝福している。
藤森さんは「宗藤本」の4代目。大手町で生まれ育ち、結婚して夫の故邦守さんとともに諏訪の花柳界を担った。今となっては残された大手見番の看板と、ごくわずかとなった芸者に名残を留めるに過ぎないが、昭和の初めは200人を超える芸者が芸を磨き、界隈は毎晩三味線の音が響いた。元日には稲穂を挿した島田姿で、あいさつ回りする光景があった。
戦争を節目に時代は変遷、宗藤本も激動の時を乗り越えた。が1959年、料亭を閉じて諏訪湖畔にホテル宗藤を創業。五木寛之、瀬戸内寂聴、阿川弘之の各氏ら多くの文化人も宿泊したが、2000年には後継者がいないことなどから、惜しまれつつ廃業した。
そのマッチのラベルが
料亭【宗藤本】 そして
ホテル宗藤のラベル。
根気よく調べてみるものだと思いました。
あの文から考えるに、【宗藤本】は1959年に廃業しているので
ラベルの年代は昭和30年前後になるのだろうと思います。
そして、ホテル宗藤のラベルは開業当時に作られたものだろうと
考えていいのだろうと思います。
ということは、昭和34・35年からの物ということでしょうか。
なかなか奥が深い・楽しい・はまってしまいましたね。ラベル探偵
結婚する前、御田町のお父さんの計らいで宗藤で章さんとお食事しました。
宗藤はお父さんの行きつけでした。
食事した後「若尾あや子」の「舞子物語」という映画を見ました。古い話です。