吾が見る先に(agamirusakini)

自分が見る先には何があるのだろうと思う事が多くなってきた。振り返りながら、自分の道を探しながら歩いていきたいと思う。

金星館

2014年04月12日 | Weblog

今日の話題は

    南熱海網代の金星館。

          実際にはもうこの旅館は廃業していました。

     旅行案内所に電話をかけて見たところ

    電話に出た方が、昭和40年代まではやっていたと教えてくれました。

                僕の調べたものは

       十菱 麟が1961年1月5日に霞ヶ関書房から発行した、

       【AZの金銭征服】という雑誌にこの書いた次の文です。

汽車が網代についたのは六時ごろ。海が鳴っている。例によって、交通公社などの厄介にもならず、気まぐれの一人旅行だから、待ち人を探す手間もいらず、小用をすましてから、駅の前をぶらぶらしていると、声がかかる。
 「お客さま、宿はどこかにお決まりですか?」
 「いや別に予約はないが、名前がいいから金星館にでもしようと思っている」
 「キンセイ? キンボシですか?」
 「ああ、キンボシか」
 お金に関する本を書いているのだから、縁起よしと思ったのだが、キンボシという読みかたは私をいささかがっかりさせた。クロボシだのシロボシだの、相撲を連想させたからだ。
 その番頭さんは、網代も東にはずれた「白とり荘」の人であった。よろしかろうと案内をたのむと、愛想よく私の鞄を自転車の荷台にのせて、先に立った。
 海岸ぞいに、暗い岸壁の道を歩く。
 たたきつける波はなかなか烈しく、道の一部にはしぶきがかかっていた。私たちは、その潮しぶきを避けるようにして、波打ちぎわから少し離れた「白とり荘」についた。
 好い名まえである。海の青、空の藍に染まずただよう白鳥の、清らかなにこ毛に包まれて、ひと夜を明かすのもいいではないか。
 私はとにかく憩いたのである。

           結局この十菱氏は《金星館》ではなく 《白とり荘》に泊まるのだが、

    この雑誌の発行が昭和36年であることから、この年あたりは確実に営業していたのだ。

     これと旅行案内所の人が話してくれたことを合わせると

     やはり戦後から昭和40年頃までの間にラベルは作られているようである。

 

 


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