今日の話題は
南熱海網代の金星館。
実際にはもうこの旅館は廃業していました。
旅行案内所に電話をかけて見たところ
電話に出た方が、昭和40年代まではやっていたと教えてくれました。
僕の調べたものは
十菱 麟が1961年1月5日に霞ヶ関書房から発行した、
【AZの金銭征服】という雑誌にこの書いた次の文です。
汽車が網代についたのは六時ごろ。海が鳴っている。例によって、交通公社などの厄介にもならず、気まぐれの一人旅行だから、待ち人を探す手間もいらず、小用をすましてから、駅の前をぶらぶらしていると、声がかかる。
「お客さま、宿はどこかにお決まりですか?」
「いや別に予約はないが、名前がいいから金星館にでもしようと思っている」
「キンセイ? キンボシですか?」
「ああ、キンボシか」
お金に関する本を書いているのだから、縁起よしと思ったのだが、キンボシという読みかたは私をいささかがっかりさせた。クロボシだのシロボシだの、相撲を連想させたからだ。
その番頭さんは、網代も東にはずれた「白とり荘」の人であった。よろしかろうと案内をたのむと、愛想よく私の鞄を自転車の荷台にのせて、先に立った。
海岸ぞいに、暗い岸壁の道を歩く。
たたきつける波はなかなか烈しく、道の一部にはしぶきがかかっていた。私たちは、その潮しぶきを避けるようにして、波打ちぎわから少し離れた「白とり荘」についた。
好い名まえである。海の青、空の藍に染まずただよう白鳥の、清らかなにこ毛に包まれて、ひと夜を明かすのもいいではないか。
私はとにかく憩いたのである。
結局この十菱氏は《金星館》ではなく 《白とり荘》に泊まるのだが、
この雑誌の発行が昭和36年であることから、この年あたりは確実に営業していたのだ。
これと旅行案内所の人が話してくれたことを合わせると
やはり戦後から昭和40年頃までの間にラベルは作られているようである。
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